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*たまたま手元に『滅びゆくジャーナリズム』(本多勝一1996/9/15朝日新聞社)という¥100で買った文庫本があるので、今日はこの本を小出しに引用しながらいろいろ考えてみるのです。
*まず、この本が天下の『朝日新聞社』から出版されているからと言って笑ってはいけない。
『獅子身中の虫』という言葉などはこの人のためにある(あった)のかも知れないからだ。この人は朝日の中で朝日とタタカイ、そして出た。
*パラパラ拾い読みをして行くとなかなか過激で面白いことも言っている。
冒頭、『評論』等の読み方として氏は次の四点を挙げている。(P13~)
1.虚飾を剥ぎ取る。
2.事実関係。
3.論理の整合性。
4.その言論を誰が歓迎するか。
*そう、1.については、大抵の論者は少しでも自分の意見の見栄えをを良くしようと、なんたらかんたら飾り付けて来るから、これを剥ぎ取るのは文句ないが、しかしそんな芸当はある程度修練を積んだ人でないとなかなかコンスタントにはやってのけられない。
ディスクール(←普通『言説』と訳される)などという言葉を持ち出すまでもなく、通常言論は敵を打ち負かすために「編成」される言葉の軍隊なのである。「為にする議論」などという言葉があるが、ザックバランに言ってしまえば『言論』などというものは元々、すべからくそういう何らかの意図を持ったいかがわしいシロモノなのである。
*「権力のPR機関にすぎぬ記者クラブ」(P64~)
「・・・今の記者クラブはもう有害無益じゃないかと思います。あんなものはなくてもいくらでも記事は書けますからね。・・・」
まったく、彼らこそ「みんなでオベッカ楽しいな♪」式の互助会なのである。恥というものを知らない連中である。小泉はどういう手を使ったのか、番記者たちを見事にたらし込んでいる。
*・・・『知床旅情』なんて歌っている人もいるけど、実際にあの国立公園が伐採され、危機に瀕している騒ぎになっても、なにもしない。・・・(P102)
おときさんこと加藤登紀子に関しては以前彼女がどこへ行くにも『マイ箸』を持ち歩いているというエピソードをTVで見たことがある。出先の食堂等で割り箸を使うことは森林伐採に繋がるからそれを拒否するという意思表示のためである。
「こんなことをしても大して意味がないことはわかっているのだが・・」敢て持ち歩くのだと、彼女は言っていた。
私は昔東京の五日市町方面のある杉林に入ったことがある。そこは間引かれた間伐材が雪崩を打ったように山腹に放置されていた。農業も林業も「間引く」ことは重要な基本業務である。
間引かれた間伐材は一部『割り箸』へと有効利用されるのだが、それも採算ベースに合えばという前提らしい。この点を突いて、ある商社系の研究者が間伐材を中国へ輸出して、そちらで箸その他の木工品に加工して貰って再輸入するというアイデアを披露していた。しかしこれが「採算が合うからやってみる価値がある」などと言うのは如何にも商社の人間が考えそうな机上の空論である。
中国側の視点に立てば、「材木の輸入などとんでもない。木は幾らでもある」とばかりに禿山を随所に造り上げる選択をするだろう。事実そうなっている。日本だって、「古紙を再生するよりは開発途上国の森林伐採を進めた方が安上がりだ」という発想であるから人のことは言えない。
============
*本多氏は舌鋒鋭く、ざっと拾ってみても、石原慎太郎、大江健三郎、ビート・たけし、舛添要一、山本七平・・・etcらを次々槍玉に挙げているが、さすがの私も、とてもじゃないが全部は付き合っていられない。氏の主張にも全面賛同は出来ない。
*そこで私は悪い頭を駆使して、ああだこうだと考える。
元々マスコミからの『情報』なんてものは過信は禁物である。あんなものは学者先生の皆さんの勿体を付けた有難い『解説』同様、せいぜいのところ『打率二割五分』程度なのだ。
だから、我々蚊帳の外に置かれている「一般大衆」も彼らのはったりに臆することなく、自ら率先して言わば『逆アドバルーン』を次々上げてしっちゃかめっちゃかにやって行くのも取り得る対抗手段の一つのように思うのである。
少なくとも「明日はそして明後日は、一体誰がどういう意図を持ってどんな報道をするだろうか?」という精神的な備えだけはしておいた方がいいと思う。昨今のマスコミの翼賛報道や一列横並び報道を鵜呑みにしていたのではそれこそ『ド壺に嵌る』のではないか。
仮令予測が外れてもいいのだ。外れて元々我々は別段何の損害も出ない。
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*まず、この本が天下の『朝日新聞社』から出版されているからと言って笑ってはいけない。
『獅子身中の虫』という言葉などはこの人のためにある(あった)のかも知れないからだ。この人は朝日の中で朝日とタタカイ、そして出た。
*パラパラ拾い読みをして行くとなかなか過激で面白いことも言っている。
冒頭、『評論』等の読み方として氏は次の四点を挙げている。(P13~)
1.虚飾を剥ぎ取る。
2.事実関係。
3.論理の整合性。
4.その言論を誰が歓迎するか。
*そう、1.については、大抵の論者は少しでも自分の意見の見栄えをを良くしようと、なんたらかんたら飾り付けて来るから、これを剥ぎ取るのは文句ないが、しかしそんな芸当はある程度修練を積んだ人でないとなかなかコンスタントにはやってのけられない。
ディスクール(←普通『言説』と訳される)などという言葉を持ち出すまでもなく、通常言論は敵を打ち負かすために「編成」される言葉の軍隊なのである。「為にする議論」などという言葉があるが、ザックバランに言ってしまえば『言論』などというものは元々、すべからくそういう何らかの意図を持ったいかがわしいシロモノなのである。
*「権力のPR機関にすぎぬ記者クラブ」(P64~)
「・・・今の記者クラブはもう有害無益じゃないかと思います。あんなものはなくてもいくらでも記事は書けますからね。・・・」
まったく、彼らこそ「みんなでオベッカ楽しいな♪」式の互助会なのである。恥というものを知らない連中である。小泉はどういう手を使ったのか、番記者たちを見事にたらし込んでいる。
*・・・『知床旅情』なんて歌っている人もいるけど、実際にあの国立公園が伐採され、危機に瀕している騒ぎになっても、なにもしない。・・・(P102)
おときさんこと加藤登紀子に関しては以前彼女がどこへ行くにも『マイ箸』を持ち歩いているというエピソードをTVで見たことがある。出先の食堂等で割り箸を使うことは森林伐採に繋がるからそれを拒否するという意思表示のためである。
「こんなことをしても大して意味がないことはわかっているのだが・・」敢て持ち歩くのだと、彼女は言っていた。
私は昔東京の五日市町方面のある杉林に入ったことがある。そこは間引かれた間伐材が雪崩を打ったように山腹に放置されていた。農業も林業も「間引く」ことは重要な基本業務である。
間引かれた間伐材は一部『割り箸』へと有効利用されるのだが、それも採算ベースに合えばという前提らしい。この点を突いて、ある商社系の研究者が間伐材を中国へ輸出して、そちらで箸その他の木工品に加工して貰って再輸入するというアイデアを披露していた。しかしこれが「採算が合うからやってみる価値がある」などと言うのは如何にも商社の人間が考えそうな机上の空論である。
中国側の視点に立てば、「材木の輸入などとんでもない。木は幾らでもある」とばかりに禿山を随所に造り上げる選択をするだろう。事実そうなっている。日本だって、「古紙を再生するよりは開発途上国の森林伐採を進めた方が安上がりだ」という発想であるから人のことは言えない。
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*本多氏は舌鋒鋭く、ざっと拾ってみても、石原慎太郎、大江健三郎、ビート・たけし、舛添要一、山本七平・・・etcらを次々槍玉に挙げているが、さすがの私も、とてもじゃないが全部は付き合っていられない。氏の主張にも全面賛同は出来ない。
*そこで私は悪い頭を駆使して、ああだこうだと考える。
元々マスコミからの『情報』なんてものは過信は禁物である。あんなものは学者先生の皆さんの勿体を付けた有難い『解説』同様、せいぜいのところ『打率二割五分』程度なのだ。
だから、我々蚊帳の外に置かれている「一般大衆」も彼らのはったりに臆することなく、自ら率先して言わば『逆アドバルーン』を次々上げてしっちゃかめっちゃかにやって行くのも取り得る対抗手段の一つのように思うのである。
少なくとも「明日はそして明後日は、一体誰がどういう意図を持ってどんな報道をするだろうか?」という精神的な備えだけはしておいた方がいいと思う。昨今のマスコミの翼賛報道や一列横並び報道を鵜呑みにしていたのではそれこそ『ド壺に嵌る』のではないか。
仮令予測が外れてもいいのだ。外れて元々我々は別段何の損害も出ない。
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