随分昔の政治・経済用語にマクナマラ元米国国防長官が使った《費用対効果率》という言葉があった。これは謂わば《金の計算の特化》であり、「あんた、そんなに金使って効果はあるのかい?充分ペイするのかい!?」という政治判断・価値判断を政府なり世論なりに要請していたものである。当時はアメリカ国策の中心課題だったあの《ベトナム戦争》でも、米兵の死者数に《より一層の効率化》を求めてこの論法が駆使されたわけである。「人の命は金で買え」である。
私は今回、ドコモ初の使用料金支払いを受けて「高過ぎる。合わねえな!」と強く感じられてふとこの言葉を想起したのである。
契約時月々かかる費用は八千円程度だとの説明を受け、それでも他社と比べて高過ぎると感じていた私であるが、それが今回徴収された金額が1万円を僅か数十円下回るだけの額となっていたのだから、まるで詐欺にでもあったかのような不愉快な印象を禁じ得なかった。これでは中古でも新品でも、パソコンを自室に導入していた方が遙かに安上がりで尚且つ利便性も高かったと思うが、これを世間では《後の祭り》と言って通常嘲う。外出して周りを横目で見ると、若い世代もそうではない人も、皆一様に小さいスマホをちょこちょこいじっているので、それを目撃した私は「なぜみんなあんなに小さな使い難い器材を好んで使うのか?」と実に不審に思っていたが、これで(今更ながらだが)理由ははっきりした。使い勝手が悪い上に料金も不当に高いからみんなこんなタブレットなど使わないのだ。私も今すぐにでも解約してしまいたいところだが、その《解約条件そのもの》が悪く、私に不利に出来ているのだから踏んだり蹴ったりだ。
まさに以前どこかのドラ息子がいみじくも言い放った如く「全ては金目でしょ?」の一言でこの世界の大方は読み解ける・・そういう時代は何も今始まったことではないのであると、私は改めて確認した。