本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

1968年メキシコオリンピックをちょっと思い出した。

2008-08-11 07:43:00 | 世界
*「オーバーエイジ枠など無用だ」と強がりを言うなど、能書きだけはご立派な反町ジャパンは事前の予想通りナイジェリアに負けた。アメリカなんてだいたいが少し前まではサッカーなんて頭から馬鹿にしていた国だけど、我が日本は1968年メキシコ五輪では卑しくも銅メダルを取っているんだもんね。しかも予選リーグでは今回の相手ナイジェリア以下そうそうたるメンバーを実力で打ち負かしている。
(後註:オリンピックの勝ち上がりルールを知らない人のために敢て説明を加えると、銅メダルを取ったということは、準決勝で1回負けただけというもの凄い快挙なのである! 確かブラジル相手にも引き分けている。)

 私の記憶では杉山が右サイドを疾風の如く突破してセンタリング、それを釜本がドンピシャでゴールを決めるというワンパターンだったが、サッカーなんてものは得点してナンボである。今の日本は能書きが多過ぎる。能書きは勝ってから好きなだけ言え!

 さてアメリカに負けて後が無い今回、ホソガイ某は後半10分相手のユニフォームを引張ってイエローカードを貰い、その直後の12分に日本は最初の失点をしたのである。これは実に見事なゴールだったからホソガイの愚行が余計目立った。
 みっともない真似をするな。そういう卑怯なテクニックだけはしっかり覚えて基本が出来ていないから、やれ「詰めが甘い」「決定力がない」「単純ミスで失点する」・・などと初歩的なことを十年も前から言われ続けているのだ。要するに、事前予想では日本以下の評価しかなかったアメリカに零封負けした日本は弱いし下手なのだ。人気だけが先行しているのだ。レベルは年々落ちている。

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*で、この「人気先行」については私の友人が「女が悪い」と滅茶苦茶なことを言っていた。若い女性がちやほやするから奴ら「Jリーガー」たちはその気になってチャラチャラ浮かれていると言うのである。ま、確かにソーユー感じもなくはないけどね。どうでもいいってか、ぁそ。

*一次リーグ敗退が決まるとアホな自称評論家どもは局の要請を受けたのか早速「オランダ戦に勝って日本の実力を示せ」などとほざいていたが、ばかやろう、アメリカに勝てないのにオランダにどうやって勝つ??
 見ているとナイジェリアは(ブラジルほど強くはない筈なのに!)余裕綽々、ときどき遊び半分で笑いながらやっていた。これでは勝てない。要するにこのリーグではアメリカ以外に勝てる相手はいなかったのだ。
 最終オランダ戦では相手が「ウサギと亀」みたいに居眠りでもしていてくれないことには口先だけの反町ジャパンは勝てないし、たとえ万が一ジャパンが勝ったり引き分けたりしても、そんなのはフロックで何かの間違いだとしか認められないだろう。

*スポーツというものがそもそも戦争・戦闘・殺し合いの代償行為・代替行為から発生・成立しているものだということは証明の必要のない自明のことのように思われる。従って、かどうかオリンピック期間中も戦火は止むことはないし、期間中を敢て狙ってのテロもある。

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五輪柔道:「限界説」はねのけ連覇の偉業…内柴正人
 ◇五輪柔道男子66キロ級で内柴正人が金メダル
「毎日jp」

 歴史は繰り返した。アジア選手権5位で何とか出場権を取った前回アテネ五輪で、前評判の低さを覆して優勝した内柴。今回も4月のアジア選手権5位で出場権を取り、この日、五輪2連覇の偉業を成し遂げた。

 05年世界選手権で2位になった後は成績が低迷し、国際大会の優勝はなし。それが五輪イヤーに見事な復活劇を演じた。金メダルを首に下げ「五輪は夢の舞台だから、一番強い物語を持っている人が勝たなくてはならないと思っている。ぼくは勝たなければいけない人間だと思っている」と話した。

 「この4年間はつらかった。何度もやめたいと思った」と振り返りつつも「(アテネ五輪以前の)60キロ級時代の方がつらかった。夢だった大会に出られるという喜びは、ぼくの体を元気にしてくれる」という。5年前まで五輪3連覇の野村忠宏(ミキハウス)の壁にはね返された。減量に苦しんで計量で失格したこともある。

 今大会前、斉藤仁・男子監督が「死ぬ気でやれ」と激励したところ「ぼくは60キロ級時代に一度死んでいますから」と答えたという。「かつて『地獄』を見た男だから、腹をくくっていた」と斉藤監督。内柴を担当していた中村行成・全日本強化コーチが体調不良で五輪に同行できず「中村コーチとの練習の成果を示すには結果を出すしかない」という思いもあった。

 30歳で日本柔道男子チーム最年長。斉藤監督から「監督やコーチが入れない選手同士の雰囲気を作ってほしい」と、チームの主将に任命された。この日の試合前、前日の60キロ級で初戦敗退した平岡拓晃(了徳寺学園職員)に「お前の中にたまっているものをオレにくれ」と言って握手した。限界説をはねのけての金メダル。後に続く選手たちに大きな勇気を与えた。【来住哲司】


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