人間社会にあっては《システムの問題》というものが常に付きまとって来る。私は若い頃仲間内から《あいつは料理が出来る》と半ば賞讃され、半ば揶揄されたものであるが、それは私が格別調理の才能があったからではなく、たまたま喫茶・レストラン関係を転々としていたというあまり名誉とは言えない職歴があったから故に過ぎない。
オーブンから調理台・洗い場に至るまで、合理的にシステム化されたキッチンがあれば、スタッフは調理器具の場所等を覚え、その中で無駄のない動きを習熟して行くだけのことなのであるから、多少の向き不向きがあったにせよ、格別の才能が必要とされることなどないのだ。《才能》という点では、同僚や上司と如何に折り合って行くかという才能なら当然必須の条件になって来るだろうが、それだったら何処でも同じことだろう。
埴谷雄高は《敵は制度、味方は全ての人間》というテーゼを掲げたが、その制度を個々担っているのは当然その部署にいる個人個人なのである。尤も埴谷の言う制度とは人間存在の在り方総体を問うものではあるが・・・。
オーブンから調理台・洗い場に至るまで、合理的にシステム化されたキッチンがあれば、スタッフは調理器具の場所等を覚え、その中で無駄のない動きを習熟して行くだけのことなのであるから、多少の向き不向きがあったにせよ、格別の才能が必要とされることなどないのだ。《才能》という点では、同僚や上司と如何に折り合って行くかという才能なら当然必須の条件になって来るだろうが、それだったら何処でも同じことだろう。
埴谷雄高は《敵は制度、味方は全ての人間》というテーゼを掲げたが、その制度を個々担っているのは当然その部署にいる個人個人なのである。尤も埴谷の言う制度とは人間存在の在り方総体を問うものではあるが・・・。