本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

若松監督も2000本。

2005-04-23 08:30:43 | 
*85年阪神がリーグ優勝を決めた試合を、私は神宮のヤクルト側内野席で見た。
 やや遅れ気味に現場に到着したためそこしか切符が買えなかったからだが、球場全体の9割方あるいはそれ以上が阪神ファンで埋め尽くされていた。私のいた1塁側内野スタンドにも十数人しかヤクルト応援団はいなかったように記憶している。

 その日の話だが、スコアボードの電光掲示板には『若松選手(現ヤクルト監督)祝2000本安打達成』の文字がくっきりと浮かび上がっていた。(記録はその時点で既に達成されていたのである)

*現阪神岡田監督も当時現役で5番、セカンドを守っていた。中西現阪神投手コーチがその日の胴上げ投手だったことは以前書いた。伝統というものはこのように人の流れで追うことが出来る。

*古田選手は関西出身なので、以前見た甲子園のヤクルト戦では地元の個人応援団数人が幟を持って外野席に陣取っていた。大学から社会人を経てプロ入りしている関係上、歳では2年ほど巨人清原選手より年長だがプロでは後輩となる。メガネをかけたキャッチャーは(今でもあまり見ないが)大成しないと当初よく言われていた。彼はしかし実力でそのような偏見を吹き飛ばした。

*去年プロ野球全体の問題で選手会を牽引して行った彼の活躍、彼の男泣きはまだ記憶に新しいところである。彼は今年は40歳になるのだと、そればかりが言われているが、彼を「手塩にかけて育てた」野村さんだって、四十過ぎても南海でプレイング・マネージャーを続けていた。

*オフになると、彼は将棋の番組のゲストに呼ばれる。結構強いのである。

古田 2000本ボールプレゼント (スポーツニッポン) - goo ニュース


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