クオリア
2007年10月10日 | 花
その昔、左利きと近視にあこがれていました
のちに、左利きは寿命を縮める、といわれ撤回
近視については
「近視の(ように見える)眼鏡がほしい」
と、のたまっておりました
そんなこともすっかり忘れた頃にふと見つけた
入試問題では常連の茂木健一郎氏のお言葉
「主観的体験の多くは視覚に依っており
この圧倒的な視覚体験の先へ行く、
あるいは視覚体験から自由になることが
アートにとってひとつの大きな課題ではないか」
世界の杉本博司には程遠いのですが
フォーカスが合っていない写真がもたらす居心地の悪さは
昔の夢を叶えてくれるだけでなく
確かに花の本質を見やすくしてくれている気がします
消えているディテールに神経を削がれない分
花のもつ柔らかな質感が強調されてきます
というより、香りさえ感じられてくるのは
理に適っているのかもしれません
最近流行の目隠しレストランや、真の暗黒体験などでは
視覚が不自由になることで「視覚から自由にな」り
焦点が合わず見えないことは「視覚体験の先へ行く」もので
つまり近視は
「圧倒的な視覚の支配から逃れるというアートの大きい課題」を
日常的に普通にやっているのです
そのうち来る老眼に期待しましょう