奈良の東大寺の脇に、思いのほかに奥行きと広がりを持ったお庭がありました。
依水園(いすいえん)というそのお庭は、南大門を抜けて、大仏殿までの途中を左に折れて、土塀沿いをまっすぐ、つきあたりを左に行った先にあります。
江戸時代に作られた前庭、明治時代の後庭共に、豊かな水を湛えた池と、その周りを回遊できるように路が設えてあり、気ままに散策ができます。
前庭は三秀亭の縁側の先に前池が広がり、鶴亀を象徴するという中島を配し、石橋で繋いで渡れるようにありました。
細やかな植栽や、随所に見られた石灯籠などは、やや縮景的な、欲張りな雰囲気を漂わせています。
後庭の築山の向こうには、南大門の屋根が望めます。
現在は垣根で遮られていますが、その昔はきっと、大仏様の参拝に直接行ける路があったのでしょうね。
さらに遠くの山の峰までを取り入れた借景で、実際の広さとは比べものにならないぐらいの広がりが感じられます。
古い時代から、東大寺が町の中に存在していて、人々の暮らしに影響してきたんでしょうね。
ちなみに上の写真の蹲(つくばい)は、豊臣秀吉が使っていたものだそうです。
皇室の菊のご紋と、豊臣家の桐紋が彫られています。
依水園(いすいえん)というそのお庭は、南大門を抜けて、大仏殿までの途中を左に折れて、土塀沿いをまっすぐ、つきあたりを左に行った先にあります。
江戸時代に作られた前庭、明治時代の後庭共に、豊かな水を湛えた池と、その周りを回遊できるように路が設えてあり、気ままに散策ができます。
前庭は三秀亭の縁側の先に前池が広がり、鶴亀を象徴するという中島を配し、石橋で繋いで渡れるようにありました。
細やかな植栽や、随所に見られた石灯籠などは、やや縮景的な、欲張りな雰囲気を漂わせています。
後庭の築山の向こうには、南大門の屋根が望めます。
現在は垣根で遮られていますが、その昔はきっと、大仏様の参拝に直接行ける路があったのでしょうね。
さらに遠くの山の峰までを取り入れた借景で、実際の広さとは比べものにならないぐらいの広がりが感じられます。
古い時代から、東大寺が町の中に存在していて、人々の暮らしに影響してきたんでしょうね。
ちなみに上の写真の蹲(つくばい)は、豊臣秀吉が使っていたものだそうです。
皇室の菊のご紋と、豊臣家の桐紋が彫られています。