「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10,姥ときめき ①

2025年03月16日 07時41分56秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・浦部謙次郎の名前を思い出したのは、
ひょんなことからである

私は今年七十七になる

世間では喜寿の祝い、
というのをなさるそうである

「おばあちゃんもやりまほか、
ウチへみな集まってもらうか、
それとも『吉兆』でも行って、
何ぞ美味しいもん食べて、
お祝いしまほか」

と五十四になる長男が電話してきた

「いや、
そんなあほらしいこと、
せんでもええ」

と私は言い捨てる

「七十七になったいうたかて、
今日びはそのぐらいの人、
何ぼでもいやはる
昔なら長生きも徳のうちやろうけど、
今日びはバカでもアホでも、
八十、九十まで生きるご時勢や
七十七くらいで祝うてたら、
人さまに嗤われますがな
わたしが百ぐらいまで生きて、
性根がこないしっかりしてたら、
そのときは祝うてんか
もっともそのときには、
あんたらの方が先にイテもうてるかも、
しれまへんけど・・・」

「さよか
しかしおばあちゃんの口も、
あいかわらずえげつないなあ
昔よりひどうなりはったん、
ちゃいますか」

「トシとったら、
頭はボケるんやさかい、
そのぐらいになってちょうどよろし」

「なんなといいなはれ
こっちゃ、喜寿のお祝いに、
家紋の風呂敷でも染めて配って、
紫縮緬の座布団作らして、
なんて思うてたのに・・・
おばあちゃんも考えたら、
ずーっとえらい一生やったんやから、
ここらでちとのんびりしたら、
どないでんねん
そやからみな寄って、
感謝とねぎらいの宴でも張ろうか、
という・・・」

「ああ、もうやめてんか、あほくさ」

私はそういう、
一族郎党の長がいいそうな文句が、
どうも身にそぐわぬ

この長男はそれが好きな男である

正月には一族を自分の家に集め、
自分は床柱を背にして、

「おめでとう
今年もよろしいに」

と挨拶したり訓辞をたれたり、
というのが好きである

長男は大阪船場で先祖代々、
繊維問屋関係の会社を持っていて、
社長をやっているが、
そのせいだけではない、
昔、私の舅が元旦に、
「山勝」(うちの屋号)の新しい法被を着た、
店の者たちを集め祝膳につき、
一座を見渡して、
新年の挨拶をしたあの血筋が、
脈々と伝わっているらしい

長男はけじめと称して、
何ごとにも一席ぶちあげるのが、
好きな男である

また一族の長という恰好が好きなので、
私が長男と同居せず一人暮らしを、
しているのを不満に思っている

私が長男と同居していれば、
次男や三男も長兄のところへ、
年始の挨拶にくるであろうに、
私は一人、東神戸のマンションで、
気楽な暮らしをしているので、
誰も長男宅へ来ないとむくれている

「けじめがつきまへんがな」

と長男はむくれる

しかし私としては、
たとえばお正月、
舅が挨拶すると、
奉公人代表で大番頭がうやうやしく、

「あけましておめでとうごわりま
本年も旧年にかわりませず・・・」

などとやっていた、
あの物々しさを思い浮かべてしまう

姑が「お家はん」
私が「ご寮人さん」

二人晴着着て、
舅や夫をはじめ奉公人の男たちに、
お酌してまわり年酒をついでゆく

船場の商家のしきたりでは、
正月の祝膳さえ、
浮き浮きした声は聞かれない

みな黙々と頂いて、
おごそかにきちんとしている

長男はあの正月風景を、
なつかしく思うであろうけれど、
私はことさら感慨もない

それより私には、
そのすぐあとに来た、
第二次世界大戦のあとの混乱のほうが、
ずーっと印象深い

船場の商家の秩序は崩壊してしまった

空襲でどこもかしこも焼野原、
疎開先の田舎に居ついて、
大阪へ帰れなかった船場人も多い

戦後のインフレと税金で、
伝来の土地を売り払った人も多い

私のうちでも、
舅姑は腑抜けのようになってしまった

夫はさいわい、
兵隊にとられる年でなかったけれど、
これもオタオタして呆然自失、
私は焼け残った家具を売ったり、
いろんな商売をして食いつなぎ、
追い追い復興するに従って、
もとの商売をはじめるようになった

そのとき銀行が融資に応じたのは、
家の暖簾や夫の顔ではなかった

そんなもの、
煙のように消えている

誰もそれに価値を認めていない
あとへ残ったのは、
新しい信用と顔である

つまり私のファイトである

「奥さんには負けますわ」

と銀行はいいよったではないか

それで店の復興が出来た

船場の昔ながらの土地に、
「株式会社 山本勝商店」
の看板を再びあげることが出来た

社長は夫だったが、
それは名目だけで、
実際切り盛りしたのは私である

夫の死後、息子を社長にしたものの、
まだまだ私が頑張らねばならなかった

幸い景気がよくなり、
そのとき思い切って五階建てのビルの、
計画をしておいてよかった

息子は尻込みしたが、
見よ、今頃の不景気だったら、
建たなかったろう

あのとき建てればこそ、
である

もういいだろうと、
私は息子にあとをゆずって、
引退したが、
それは実業界を引退したということで、
まだ人生は引退していない

それはともかく、
自分で苦境を切り抜けた、
と思う私は、
文句や挨拶ばかりぶちあげて、
実際には非力な人間というのに、
共感が持てないのである






          


(次回へ)

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