
・長男は、
(おばあちゃんはずーっと、
えらい一生やったんやから)
というが、
けじめ人間に限って回顧派であるのだ
すんだことを振り返って、
(波乱万丈やった・・・)
などと自分で自分をいたわっているのも、
感心しない
「えらい目するのは、誰も同じやから」
と私がいったら、
「ほんま、そらそうや、
この不景気の折に会社張っていく、
いうのもいうにいえん、
えらいもんや、
ワシらでも」
と自分で自分に感心している
ちがいますがな
「えらい目は、
誰でも当番で来るのや、
町内会で『掃除当番』という札が、
かかりまっしゃろ、
マンションでもゴミ集めの日の掃除、
月番になってるとこも、
ありますがな
えらい目もそうやって当番制や」
「誰が決めましてん」
「そら神さんやろ」
「何を言うてはりますねん、
ほな、もう喜寿の祝い、
せえへんのやな」
「要らん」
「要らん、やて
もちっと可愛らしゅうに言えまへんか、
ほなもう、よろし」
長男は電話を切ってしまう
なぜか長男としゃべると、
いつもこういうケンカになる
当番制というのは、
今ふっと思いついて、
口から出てきたのであるが、
もともと生きること自体が、
えらいことなのではないか、
と私は七十年生きてきて、
思うようになった
ラクをして世渡り出来る、
と思ってはいけない
人間はこの世に生まれ落ちるとすぐ、
神さんか、超越者か、
誰かわからない大きな存在が、
「当番」の札を人間の首にかけられる
そう私はにらんでいるのである
この神さんは人間を、
「えらい目」にあわせる、
「えらい目当番ふりあて役」なのである
「死に別れ当番」
「生き別れ当番」
「病気当番」
「災難当番」
いろいろ、
七苦七難の割り当てられた当番が、
どの人間にもあって、
神さんはその当番表をにらんで、
(ホイ、
歌子には会社再建当番)
という当番を割り当てられる
私は必死に働いて、
その当番を果たす
まだその上に、
(亭主に死に別れ当番)
とか、
(むつかしい姑にいじめられ当番)
などという当番札を、
二重三重に首におかけになる
一つが済んで首からはずれると、
また一つおかけになる
誰の首にもかかっているわけである
どうかした拍子に、
すべての当番が終わって、
首になにもかかっていないことがある
それが今の私である
すべて「えらい目当番」を、
果たしてしまった
この当番をさぼって逃げようかとか、
人に押し付けようとか、
腹立てて突っ返そうとしたりすると、
また神さんは、
(太い野郎である)
というので、
(当番をのがれようとした、
バツの当番)
の札をおかけになる
図々しくさぼったり、
あつかましく人に押し付けたり、
怒ったり泣いたりせぬほうがよい
なぜなら当番は、
呵責や罪とちがう
いつか自分のぶんは果たし終わり、
他人の番へまわるのであるから、
そう落ち込まないでもよい
廻り持ち、当番制、
神さんは雲の上で人間の首を杭に見立てて、
投げ輪あそびのように、
人間の首に当番の札をかけて、
喜んでいられるのだ
絶対者の輪投げあそびであるから、
(こんな札、いやだす)
と文句いって投げだせない
ただ、当番だから救われる
その月当番、人によれば年当番を、
果たしさえすれば、
札は外される
たまたま、すべての当番を終えると、
今の私のように、
首に何もかかってなくて、
軽いことがある
人によれば、
たくさんの当番札を、
外してもらったとたん、
ツキモノが落ちたような気がして、
あまりの幸せに呆然となり、
身のおちつけどころを失い、
かえって気が抜けて、
(シューッ!)
と昇天してしまう者もいる
まことに不甲斐ないと、
いわねばならぬ
私などはうれしくてならず、
毎日、いそがしい
一人暮らしできるほどの気力と体力、
経済力をかねてとりのけておいたのも、
よかった
当番を果たすだけで、
一生終わってはつまらない
この身軽さもいつまでのものや、
わからない
よそへ廻っている当番札が、
いつ私のところへ、
(お待たせしました!)
と飛んでくるやら知れぬ
それはもしかすると、
(病苦の当番)
かもしれない
(事故死の当番札)
(子供に先立たれる当番)
かもしれない
しかしそういう当番が廻ってくるまでは、
できるだけ楽しくやればいいのだ
こういう時こそ、
パーッと派手にやってええのやないかしら
長男が「けじめ」だの何だのと、
一席ぶつから、
私はむらむらと反対したくなり、
「やめてんか、あほくさ」
といいたくなるのだが、
「首に当番札のかかってない祝い」
ということになったら、
これはお祝いをしても、
ええのやないかしら
あるいは、
「かかった当番札をみな消化したお祝い」
とか
またこういうのも考えられる
「次の当番が来るまでの、
幕間のお祝い」
とか
私は一人で、
うふふふ、と笑えてきた
一人暮らしをしていると、
こういうとき、
一人で笑わなければしかたない
夜になって、
もう長男も帰ったであろうかと、
西宮へ電話をかけると、
嫁の治子が出てきた
長男はまだ帰っていないそうだ
この嫁はくそマジメで融通利かぬ、
りちぎ者であるゆえ、
当番札などといったところで、
とうてわからぬであろう
わかるようであればいいのだが・・・



(次回へ)