「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

40、さくら咲く国

2023年03月27日 08時52分20秒 | 「なにわの夕なぎ」










・阪神間にある二つの遊園地、
宝塚ファミリーランドと阪神パークが閉鎖になるというのは、
淋しい。

大阪西北部・阪神間で育った人はたいてい、
この二つの遊園地に郷愁がある。

私も子供の頃よく連れていってもらった。

現代の幼児を持つ親たちがいうのに、
いまどきの遊園地はスピードやスリルを競う、
成人向きの設備が多いが、

<チビを連れて行くのに、
あそこの二つは遊具も適当で、
動物園もあってええのに>

と若い父親が残念がっていた。

お子さま向きの遊園地、
閉鎖は少子化のせいだろうか。

ウチへ来る男たちはいう。

<子供が来ん、というなら大人呼ばんかい。
殊に男の大人、ヒマで行く先に困っとるデ>

<男が来ない、というのなら、
女でいっぱいにしたらどう?
女の物見遊山の滞在願望、
強いんだから>

と女たち。

二つの遊園地で飼われていた動物たちの落ち着き先も、
関西人の胸を痛めることだったが、
一つの朗報は、阪神パークのお猿島の猿十五匹。

猿は仲間意識が強く、
群れごと移さないといけない。

所がいいあんばいにお隣の韓国ソウルの近郊に、
新動物園がオープンし、
十年来のボス<ハットリ>くんもろとも、
十五匹のニホンザルは引き取られ、
新しい環境になじんで元気でいるという。

遊園地閉鎖にまして関西人のショックは、
OSK日本歌劇団の解散である。

宝塚に対して、
松竹がやはり女性ばかりの歌劇団を創設し、
ここから京マチ子や笠置シヅ子が育った。

戦前から大阪の名物だったのは、
春の公演の<春の踊り>。

舞台いっぱいの造花の桜。

出演者全員が舞台に並んで、
絵日傘を開いたり閉じたり、
交錯するライト、
舞い散る紙吹雪。

川柳作家・岸本水府の作詞にかかる、

♪さくら咲く国。さくらさくら・・・♪の歌を、
出演者も観客ももろともに声合わせて歌い、
私の父など、

<これを聞かんと、春が来た気、せえへん>

といっていたものだ。

OSKの踊りはキレがよく、
大人の女の色気があると、
男性ファンも多かった。

戦後何年かして近鉄資本となり、
奈良のあやめ池へ本拠が移ったので、
大阪っ子は淋しい思いをしたが、
それでも上本町の近鉄劇場で見ることができた。

しかし、OSKは資金難から解散、
劇場も閉鎖という。

OSKは八十年の伝統を持つ。
女性だけの歌、ダンス、お芝居の劇団は、
世界でも珍しい文化ではなかろうか。

能や歌舞伎の伝統だけではない。
粋でしゃれた、近代的センスの、美女の歌舞団、
宝塚以外にもう一つあると世界に知ってほしい。

OSKは、
近鉄から年間約三億五千万円の支援を受けていた、とあったが、
母胎企業が赤字でリストラされたよし。

日本は自国の文化をもっと支援してもいいんじゃないか。

(後記。近年、OSKは再開した。
<春の踊り>は今も大阪名物の一つになっている)






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

39、五センチ

2023年03月26日 07時34分14秒 | 「なにわの夕なぎ」










・私にいわせれば、
モノをいうのは犬ばかりではない。

わが家のぬいぐるみはもちろん、
コップも時計も、家財道具一切、みなモノをいう。

それも私をほめそやしたり、
この家の居心地がいいとて満足感謝、
という殊勝な発言は全くない。

みな不平不満、苦情や不足、
嫌味ばかりであるところに特徴がある。

それは私自身の体でもそうだ。

私は右足を右丸、左足を左丸、と名づけて、
会話を楽しんでいるが、最近、
右丸の機嫌が悪くなった。

<ワイばっかりエライ目ェにあう。
膝がどうも具合悪うて痛うてなりまへん。
ちょっと左丸もがんばるように、
ハッパかけとくなはれ。
甘やかしはあかん>

右丸のおっさんは浪花の働き人らしく、
達者な巻き舌の大阪弁である。

対する左丸も、
年は若いが口達者なやつ。

<ぼくはそもそも、
先天性股関節脱臼やよって、
自慢やないが、右丸のおっさんより五センチ短いねん。
今までようがんばってきたとほめられこそすれ、
文句いわれる筋合いはない。
おっさんの膝に文句いわんかい>

たしかに、双方の言い分尤もである。

左丸を庇うため、右丸を酷使してきたのも事実。
必然的に体の重みが右丸の膝にかかる。

長道を歩くのに不便になり、
この際、障害者手帳を申請しようと思いたった。

<えっ、オマエ、今までもろとらへんかったんか>

と友人たちは驚く。

<いや、自分で自分のことが出来る人は、
もらえないのかと思ってた>よ私。

何しろ、四十代は阿波踊り踊ってたくらいだもの。

友人たちは健常者だから、
そのあたりの事情に暗い。

ついに右丸の膝が音をあげて、
はじめて私は障害を自分で認める仕儀に至った次第。

申請書類に記入していただくため、病院へいった。
整形外科の先生に診ていただく。

レントゲン写真で、左丸の股関節を、じっくり見た。
いや、これは左丸がプーたれるはず。

右丸の膝も変形している。
右丸が悲鳴をあげるはず。

<膝は手術できます。一ヶ月の入院かな。
左の股関節はちょっとむつかしいかもしれないけど、
まったく不可能、というわけでもない。
この頃、手術も進歩してます>と先生。

つまり、私がその気になれば、
右丸・左丸ともに文句を言わせぬ道もある。

と、示唆して下さったわけで、
先生は、<足の長さはどれくらい違うのかなあ>

<五センチです>

先生は測られて、

<ほんま、五センチや!>

なぜか感嘆のひびきがあった。

左丸・右丸の今までの苦労を、
ねぎらわれたのかもしれない。

書類を頂いて地下の食堂で、
ラーメンを食べて帰宅。

右丸・左丸とも、私が手術を施して、
健常になれるかどうか、賭けてるあんばい。

死んだ夫(おっちゃん)は、私の足につき、

<酒飲むのになんの不都合もないやないか>

と言い捨てた。

それに人生は<だましだまし保ってゆく>、
自由もあるしなあ・・・






          


(次回へ)

写真は、プランター栽培のいちごの花です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

38、独楽

2023年03月25日 07時57分39秒 | 「なにわの夕なぎ」










・所用があって夕方、車で出かけた。
私は運転できない。

ミド嬢が運転してくれる。
私は車に乗るのが大好き。

運転の労は省かれ、
専ら、外の風景を楽しめるから。

歩道の広い大通りへ出た。
街路樹がふさふさ茂って夕風が快い。

この時間、この大通りをゆっくり走るのは楽しい。
というのも、犬を散歩させている人が多いから。

そして私は、車の窓から、
犬にちょっかいをかけるのが大好き、
という困った性格だ。

信号で停まった横に、
同じく信号待ちの奥さんが連れている、中型の黒犬。

私は早速、おなかの中で黒犬にしゃべりかける。

犬は異能の存在であるゆえ、
声なき私の声が聞こえ、
尻目に私を見る。

利かん気らしい、精悍な面構え、
獰猛といっていい
私はひやかす。

<黒犬もいいけど、
犬は目玉も黒いから、どこに目があるのか、
わからなくて、対応に困るんだよね>

<ワイのワルクチいうかっ!>

と目をいからせる黒犬。

<悪口じゃないけど、
ちょっとくらい白いところがあったほうが、
愛嬌があるんやない?
全身まっ黒、墨のかたまりってのは可愛くないよ>

<うっせえ!一発、かましたろか>

<大阪弁で“面白くない”というのを、
“黒犬のお尻(いど)”というの知ってる?
“尾も白うない”のシャレ、ハハハ・・・>

<まだいうかっ、くそう!>

吠えかかろうとして、
奥さんに引かれ、こっちをねめつけていく黒犬。

次にきたのは、
注意深く、ゆったりと歩をはこぶ熟年男性に引かれ、
これももろともに風雪の歳月を重ねた、
というような、思慮深げな老犬。

これも犬ながら練れた表情。

しかしそれは老いたから練れた、
というものではなく、
持って生まれた性格と環境により、
ある種の境地へ到達した、
という仄かな教養をうかがわせる。

だからさっきの獰猛犬に対するように、
どや、おっさん、などとはいえない感じ。

私は口調を改め、

<いかがですか、毎日のお食事は。
おいしいもん、出ますか>

練れ老犬は品よい横目で私を見、

<ま、そこそこでんなあ>

<ハハア。
しかしまあ、そんなシケたことはおっしゃらずに、
威勢よく“最高やでっ!”とかなんとか>

<現実は現実でっさかいな>

老犬はゆったり歩くご主人のあとから、
同じくゆったり従い、耳を澄ますと、
ふたりは共に♪吹けば飛ぶような将棋の駒に・・・♪
と村田英雄を口ずさみつつ去っていく。

<は?何を笑ってらっしゃるんですか>

とミドちゃん。

私は思わず独り笑いをしていたのだ。

私は独りでいるとき、
テレビもラジオもあまりつけない。

何を見ても、上のごとく、
独りでいろいろ空想して独りで楽しむから。

独唱、独奏、独酌、などという言葉があるが、
私の癖は「独楽」というのか。






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

37、ステッキ

2023年03月24日 08時57分45秒 | 「なにわの夕なぎ」










・元来、脚疾のある私ではあるけれど、
四十代ではまだ元気で阿波踊りに出かけて踊ったりしていた。

五十代の海外旅行もさして支障はなかったが、
六十代に入って歩きなやむようになった。

これは人間を落ち込ませる。

しかしふと、
(そうだ、ステッキというものがある)と思いつき、
ステッキ屋さんで身長にあうように切ってもらい、
ついてみた。

これが実に楽で、
これさえあれば駆けっこも、
富士登山もできるんじゃないか、
とにわかに気分及び前途が明るんで、
ハイの精神状態になってしまった。

私は落ち込みとハイの落差がひどいわりに、
すぐ、くらっと変わるタイプである。

ところが、また再び落ち込んだというのは、
ステッキなるもの、男性用女性用もなく、
黒が多く、地味で陰気臭く実用一点張りというしろもの、
趣味性も美的センスもない。

折よく、姪の一人に器用な子がいて、
既製ステッキを明るい色に塗り替え、
ヴィクトリア朝の花や天使、
あるいはスヌーピーのシールを張り、
透明ラッカーで上塗りして、
楽しいステッキに変身させてくれた。

天下に一品しかない私の自慢である。

私はかねて、自分の好きなもの、
あらまほしいものを自分の小説に書くことがある。

1980年代初めに書いた『恋にあっぷあっぷ』(光文社刊)や、
『お目にかかれて満足です』(中央公論新社刊)には、
しゃれたブティックに風変わりなものを置かせた。

人は悲しいとき、
憂い顔の人形を見るとかえって慰められるというので、
<冥途男 よみお>と名づけた人形。

笑わせる猫のぬいぐるみは<涙食い>。

そんなものの一つに<婦人用ステッキ>がある。
真っ赤なステッキ、横縞だんだらのもの。

当時は奇抜なアイディアだったが、
ブティックの女主人に、

<いまにこんなのがはやるわよ>といわせている。
たちまちにして、そんな時代が来た。

現在ではそういう美しいステッキを、
制作販売しているお店があるのだ。

さきの手作りもいいが、
プロのお店のは、ドレスに調和して美しい。

真紅、ピンク、空色、
お好みで花柄やら、いろいろある。

東京都渋谷区富ヶ谷の<チャップリン>さん、
もう一軒は神奈川県藤沢市鵠沼海岸の、
<ギャラリー・ガゼボ>さん。
こちらは手描き。

とお知らせするのも、
私のステッキコレクションはテレビで放映されたけど、
<どこでお求めになりましたか?>という、
皆さんのお問合せが多かったから。

また空港や新幹線の待合室で、
ふと隣に坐られた年輩の女性が、
私のステッキに目を留められて、

<まあきれい。
どこへ行けば、手に入るでしょうか>

と尋ねられることが多いから。

老人・障害者、イコール地味・野暮・無難・控え目、
というのも因循姑息な、古めかしい固定観念だろう。

時代が変ればステッキの流行も変わる。
まして思想・主義においてをや。






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

36、いづれも老いて

2023年03月23日 08時41分40秒 | 「なにわの夕なぎ」










・ついに見た「突入せよ!『あさま山荘』事件」

ウチの近くの映画館、
三十人ほど入るとぱらっといっぱいになるという、
心安い場所。

行ってまず感慨を催したは、
観客のほとんどが男女六、七十代の年ごろ。
茶髪の若いカップルもいたが。

そうか。
<あさま山荘>へたてこもった犯人の親の世代なんだ。

その人たちが、あれはどういうことだったのか、
と今なお、晴れやらぬ胸の鬱懐のままに、
観にきたのだ。

“連合赤軍”を知っている人はいま、
どれくらいいるだろう。

尖鋭的左翼集団で、
キューバのチェ・ゲバラに心酔して、
銃の力で世界同時革命の達成を妄信していた。
唯銃主義とか。

それに爆弾テロも加わる。
妄執のたどりつく先は排他性と猜疑心で、
<総括>と称して意見の合わぬ仲間を、
リンチで殺す。

十四人の仲間の殺害が発覚して、
幹部の永田洋子らは逮捕されたが、
グループの一部は、なお人質をとって、
山荘へたてこもったという次第。

すでにもう凶悪犯である。

その何日かの犯人と警察の攻防を、
映画はリアルに描く。

原作はそのときの警視庁の偉いさんで、
現場の指揮をとられた佐々敦行さんのご本、
(『連合赤軍「あさま山荘」事件』)であるが、
佐々さんを演ずるのは役所広司さんである。

ほか、藤田まことさんや宇崎竜童さん、
伊武雅刀さんといったベテランの役者さんたちで、
緊迫感に富み、面白い。

命をと賭けて人質を無事取り戻し、
犯人を逮捕した警官たちの奮闘を、
“面白い”といっては申し訳ないが、
まさに手に汗にぎるシーンの連続。

男たちの怒号、
鉄球で破壊される山荘、
銃声、
暮れなずむ雪山。

やがて勇敢な警官たちが山荘へなだれ入り、
人質は無事救出され、犯人たちは捕らえられる。

不幸にも警官に数人の犠牲者が出たのは、
身のひきしまる思い。

三十年前の事件だ。

現代も変わりはないと信ずるが、
昔の警官は根性が座って、たのもしかった。

しかし映画にはないが、
実はこの時、民間人が自殺した。

犯人の一人、坂東国男のお父さんである。

<世間を騒がせたことを死んでお詫びします>

と首を吊った。

それというのもこのときの、
赤軍派の息子・娘らの親に対する世間の弾劾は、
すさまじかった。

親たちは畳に手をついて詫びている写真を新聞に載せられ、
評論家たちは<親の顔が見たい>と石を投げた。

家庭のしつけ、
親の育て方が悪い、と、
犯人への憎しみは<親>への攻撃にすりかえられた。

世論は沸騰して<親>を責めたのである。

「あさま山荘」に籠った犯人たちを説得するため、
母親たちが連れてこられた。

必死にマイクで息子に呼びかける母親に向かっても、
銃声で応える若者たち。

その時点ですでにリンチで同志十四人を殺戮している彼らは、
尋常な理性も、人間らしい情感も取り落としていたのだった。

<親の顔が見たい>という世の評論家の罵詈雑言に、
マスコミも同調して煽る。

片や、あたまに血がのぼった息子・娘らが、
なんで親のいうままになろうか。

親の説得も泣訴哀願も一蹴して、
唯銃主義の血まみれの夢を追う若者たち、
それに追従する、ちまたの、小型の坂東国男や永田洋子、
重信房子らのコピーたち。

<だまれ、家族帝国主義!>
と親を棄て去り、親は世間・評論家から責められる。

坂東国男のお父さんは追い詰められたのである。
親はどないしたらええのや。
その子ら、今なにしてるのや。

家のローンがどうの、
子供が登校拒否で、などと、
泣き言を言うてるのと違いますか。

そのかみ、どれだけ親を苦しめたか忘れ果て、
繁栄日本の恩恵にどっぷり浴して、

<若いときはあばれたもんや>

なんて嬉し気に回想し、

<唐牛健太郎?
六十年安保闘争の全学連委員長か。
なつかしい名ぁや>

なんて感傷にふける。

親の方は、唐牛健太郎委員長が、
右翼の田中清玄から資金援助を受けていたというニュースに、
一驚したことを思いだす。

親はいま、子も世間も棄ててしまってるだろう。
子や世間の中身を見たから。

「赤軍のいづれも老いて悲しかる重信房子いかがあるらむ」
(前川佐重郎)

平成十三年の角川書店さんの「短歌手帳」にあった歌である。

坂東国男はその後一九七五年の、
日本赤軍のクアラルンプール事件で、
超法規的措置で出国した。

あさま山荘に籠った犯人五人のうち、
坂口弘は永田洋子と共に死刑判決。






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする