・この実資(さねすけ)の君は、
名家の小野宮家の跡取りで、
博識才学のほまれ高い方だが、
われわれ後宮の女房たちの間では、
(女好きの実資さん)
とひそかに噂されている
この方、
もと花山院の女御だった方を、
北の方に迎えていらっしゃる
ご夫婦仲はいいくせに、
なぜか身近の女房たちに、
よく手をお出しになる
だから男社会の評判と、
女社会の肌ざわりと、
二つ重ねないと、
人間の裏表はわからない
それはともかく、
道兼の大臣はかなり容態が、
重くなっていらっしゃるらしい
伊周(これちか)の君の陣営では、
がぜん、喜色がよみがえって、
祈祷にも熱がこもっていられる、
という噂
(道兼の君を、
呪い殺そうとしていらっしゃる)
という噂が、
私の耳に入る
粟田殿のお邸からは、
むろん、関白ご重病、
という公式発表はない
侍所に人々は集い、
祝い酒に酔って騒いで、
まさか当のあるじが、
日常の起き臥しもむつかしく、
あたまも上がらぬ重態だとは、
知るよしもないのである
それを収拾なさるのは、
弟の道長の君であった
邸内の指図、
行事のかずかずを差配し、
兄の新関白のために、
とりつくろっていられるが、
そのかいがいしい奔走ぶりは、
かえって、
「粟田殿ご不例」
という印象を世間に与えた
月が変り、
いまは関白邸でも、
重病をかくせなくなっている
祈祷の声が邸内に満ち、
寺や僧侶にその料として、
おびただしい財宝や馬が、
運び出される
私たちは、
道兼の大臣の北の方が、
お気の毒であった
ご懐妊のお身で、
どんなにお辛い毎日であろう
(今度こそ姫に決まっている)
道兼の大臣は楽しみにされていた
関白になられた今、
もし北の方が姫君を儲けられたら、
両手に花、というところ・・・
五月八日の朝、
六条の左大臣、
桃園の中納言らが、
疫病で亡くなられたと聞いた
大臣や中納言まで、
亡くなられるというのだから、
それ以下の身分の人々が、
疫病に倒れた数ときたら・・・
いったい、いつ、
この疫病はやむのか
その日の午後、
ついに新関白・道兼の君は、
逝かれた
関白の慶びを申して七日、
世間は(七日関白)と、
ささやいている
北の方は尼になられた
身重でいられるのに、
と人々はしきりにお止めしたが、
お心はかたかった
男君はお二人、
まだ十一と八つで、
いわけなかった
道長の君は左大将でいられるが、
兄君の死に泣く泣く葬送の、
手はずをはからわれ、
「おやさしい方でいらして、
死のけがれに触れることも、
かえりみられず、
何から何まで先に立って、
お葬式の準備を、
すすめられるのですよ
兄君を慕っていらして」
とこれは、
兵部の君からの噂であるが、
しかし道長の君は、
長兄の道隆公が亡くなられたときは、
弔問すらされず、
世間の目をそば立てられたでは、
ないか
粟田殿に労を惜しまず、
尽くされるのは、
どうやら伊周の君がたに、
対するあてつけのように見える
道長の君は知らず、
あわれなのは相如であった
あるじの亡骸の足元にはらばい、
取りついて相如は号泣したという
葬送の夜も、
骨身惜しまず尽くして仕え、
そのせいで、
どっと寝ついてしまった
相如が詠んだと伝わる歌
<ゆめならで
またもあふべき君ならば
寝られぬいをも嘆かざらまし>
相如はあとを追うように、
死んだ
関白の宣旨はどちらへも下りない
ここ中宮のお里、
二条北宮からすぐ裏の、
東三条南院に、
伊周の君のお邸があり、
こちらと行き来できるように、
なっているから、
何かあればすぐ気配で分かるはず
おそらく、
伊周の君から主上へ、
直訴が行われているに違いないし、
道長の君からも、
これは主上の母后、詮子女院を通じて、
働きかけていられると思われる
私たちは何も手がつかなかった
道長の君か、
伊周の君か、
世間の人々も、
どっちつかずで、
宙に迷う心地でいる
それで双方天秤にかけ、
しきりに見比べ、
情報を得ようとはげしく、
焦っている
それでもとうとう、
五月十一日、
道長の君に宣旨が下った
「宮中雑事、
一切まず内覧し関白せよ」
天下及び百官施行の宣旨は、
道長の君におりた
(次回へ)