・四月になったばかりのころの夜、
私の局(部屋)に、
たくさんの殿上人が集まって、
夜っぴて語り明かしていた
そのうち、
一人去り二人去りして、
あとは頭の中将・斉信の君と、
宣方の君、それに蔵人の一人が、
残った
いつの間にか夜が明けてしまい、
「そろそろ失礼しよう
暁の別れも風流でいい」
斉信の君はそういいつつ、
腰をあげ、ふと、
<露はまさに
別れの涙なるべし
珠は空しく落つ>
という詩を吟じられた
斉信の君の吟詠は、
声といい節回しといい、
みごとでほれぼれとする
しかしこの詩句は、
もともと七夕の主題で、
春のさかりに歌うのは、
季がちがう
「気の早い七夕さまね」
と私がいうと、
斉信の君ははっと気づかれて、
「しまった、
ただ暁の別れというので、
思い出したからたまたまですよ
このあたりで、
うかつなことをいうと、
恥をかく
これはご内分に願います」
といって、
大笑いして帰っていかれた
経房の君は、
「あの人はやり手だから、
あなたに近づくにも、
何か下心がありそうな感じです」
といわれる
「あなたはかしこい女性だから、
男たちが利用しようと、
寄ってくるのと、
真情で寄ってくるのと、
見分けていると思うけれど、
そのけじめをきちんと、
つけてほしいのです」
「そんなこと、
あるかしら?
わたくしなんか利用する、
ったって政治向きのことに、
口を入れられるはず、
ないでしょ」
「それは何ともいえない
現に中宮の女房たちの中でも、
誰が誰とツウツウで、
情報はつつぬけ、
という噂も聞くし・・・
べつに私が頭の中将に、
嫉妬していうんじゃなくて」
経房の君は、
微笑を浮べながら、
「まあいい、
世の中がどっちへ変わろうと、
私とあなたの仲は、
別次元だってこと、
おぼえていてください
こんなこという男、
ほかにいますか?
いないでしょうね」
でも本当いうと、
それは斉信の君も、
私にいわれたのだ
「少納言
どうして私にもっと、
親しくうちとけてくれない
蔵人頭という役目柄、
こうして殿上にいますから、
毎日お目にかかれるが、
私も来年ともなれば、
頭は別の人に譲ることになる
そうすれば、
後宮への御用もなくなり、
もうお目にかかれない」
「残念ですわ
せっかく、
おなじみになれましたのに」
「だから、
殿上でなくても、
お目にかかれるような、
きっかけを作って頂きたい
つまり個人的にもっと、
おなじみになって頂ければ、
お目にかかれるわけです」
などと、
斉信の君にいわれると、
私は嬉しい
しかしそれは、
斉信の君の知的遊戯の罠、
であることも私は知っている
私と斉信の君は、
そういう罠をしかけあうことに、
恋している間柄である
実体のある恋、
心と体が一体になるうずき、
といったそういうたぐいものでは、
ないのだった
斉信の君は真顔になられた
「世の中が、
どんな風になっても、
友情は持ち合おうじゃないか、
少納言」
「もちろんですわ、
友情にとどめておいて頂くのは、
私も大賛成」
なぜ、男の人たちは、
ふたこと目には、
「世の中が変っても」
「世の中の情勢が変っても」
と口走るのか
あとになって思うと、
「世の中のうつり変り」
の予兆が、
政治の嵐をまともに受ける、
男たちにはひしひしと、
身にしみたに違いなかった
この年、長徳元年(995)は、
音を立てて世の中が変る、
そのきっかけの年だった
定子中宮が、
東宮妃、原子女御とともに、
父君の関白・道隆公を、
見舞われたのは四月六日であった
その日、
もうとても助からぬというので、
道隆大臣は出家なさった
北の方もつづいて尼になられた
ひと月前、
内大臣・伊周の君に、
内覧の宣旨が下っている
「関白病いの間、
殿上および百官執行すること」
というのであった
(了)