むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「14」 ③

2024年10月29日 08時59分35秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・中宮が兄君の伊周(これちか)
の君に、

「お父さまのお葬いを、
とどこおりなく・・・
それがさしあたってのお仕事」

と進言されたのは、
遠回しに伊周の君の暴走を、
制御なさろうという、
お思いもあったのではないか

伊周の君は、
父関白亡くなられたあと、
矢継ぎ早に、
いろいろな宣旨を発せられた

たとえば、
衣の袖丈を縮めるという、
不思議な条令があった

なぜ?こういうときに、
世間は理解に苦しんだ

則光は、

「早く一人前の顔を、
してみせたいんだな」

と伊周の君を悪くいう

「自分一人、
政治をやってるつもりだが、
世間じゃ、頭をかしげている
関白どのは死ぬ前に、
氏の長者の位置を、
次男の粟田殿に譲った
順序としては、
あるべきことだろうな」

「粟田殿に?
それじゃ、
次の関白になるの?」

私は私邸でしゃべっているので、
宮中と違って遠慮がなかった

則光は昔から、
高二位を、

「くらえぬ爺さん」

と嫌っていたが、
今ではたいそう憎んでいる

「あの爺さん、
関白の法事にも出ず、
服喪もしないで、
怪しげな祈祷に精出してる、
というじゃないか
ひょっとして、
粟田殿や大納言・道長どのを、
呪い殺そうと、
丑の刻参りでも、
やらかしているんじゃないか」

「まさか・・・」

「あの爺さんならわからないぜ
陰険だからな
どっちにしろ世間は、
粟田殿が関白になるのは、
順番だと見ているだろう
高二位一族はここ一番と、
頑張っているつもりだろうけど、
あの連中じゃあな・・・
太刀打ちできゃしないさ
粟田殿や大納言どのを、
向こうにまわしては」

則光の口調には、
どことなく同情的な、
ひびきがある

高二位の爺さんを、
嫌っているけれど、
それがそのまま関白一家への、
憎しみになっている、
というのというのではないらしい

そこが、
私の兄・致信(むねのぶ)とは、
ちがう

「おれなどから見ると、
受領や役人あがりの、
家柄のよくない高階一族が、
どこまで這い上がっていけるか
家柄や血筋に関係ない一族が、
たまたま関白に取り入って、
どこまで繁栄できるか
内大臣の伊周では、
力が弱いだろう」

則光のいうのは、
世間の見る目と同じものに、
違いなかった

兄の致信は、
大納言・道長公のお家のことしか、
関心がなく、
その他は眼中にないが、
則光はそれほど、
大納言家に心寄せしていない

何といっても、
花山院びいきの則光にとっては、
粟田殿・道兼の君は、
花山院をあざむいて、
退位させた張本人、
といわれる人である

根強いこだわりを、
粟田殿に対して、
則光は持っているらしかった

兄のように、
熱狂的に誰かを支持する、
というのではないらしい

しかし私は、
定子中宮のためには、
内大臣・伊周の君に、
一の人になって頂きたかった

故関白に代わって、
たのもしい後ろ盾になって、
頂きたいのであった

奇しくも、
生前の飲み友達であった、
済時の大将のご葬送と、
同じ日になったのも、
あわれ深い

小一条の大将・済時の君も、
志を得ないままに亡くなられて、
その怨念ははらすすべも、
おありにならぬ

大将の妹姫は、
村上帝のとき、
宣耀殿の女御として時めかれ、
主上のご寵愛あつく、
皇子をもうけられたが、
それは気の毒にも痴呆の君で、
一門の希望を托すことは、
出来なかった

しかし、大将の姫君が、
いまの東宮に入内され、
叔母君と同じく宣耀殿の女御、
とよばれて、早くも、
玉のような皇子をお挙げになった

済時の大将は狂喜なさった

東宮が次代の帝として、
お立ちになれば、
皇子はそのまま次の東宮であろう

二代かかった一門の夢を、
自分の世にこそ、
と済時の大将はたのしみに。
していられたにちがいない

それなのに、
五十五という、
これからのお年で、
はやり病に倒れられた

痛恨して世を去られた

それに比べると、
粟田殿はやっと三十五、
道長の君は三十というお年で、
二十二の内大臣・伊周の君より、
官位は下であるが、
働き盛り、貫禄盛り、
前途は洋々である

ご葬送のあと、
則光は私の里に泊まった

「粟田殿の邸は、
牛や車、馬がたてこんで、
大さわぎだ」

「それじゃいよいよ、
粟田殿が一の人になられるの?」

「そういう動きだなあ
女院(帝の母、詮子)が、
道長公をしきりに押していられるが、
兄弟順からいっても、
粟田殿を飛び越える、
というわけにはいかんだろう」

私が聞く後宮での噂は、
粟田殿は男の子はおありだが、
姫君には恵まれず、
その点では兄の故関白や、
弟の道長の君を、
しきりにうらやましがって、
おられた
脇腹の姫君が一人おありだが、
あまり可愛がられない
ぜひ、正室の夫人に姫君が欲しい、
と神仏に祈願かけ、
やっといま、
身重でいられるという
もし関白になられれば、
両手に花という、
果報なお身の上である

「北の方に、
姫君がお出来になれば、
やがては女御に、
そして皇子でもお生まれになれば、
定子中宮は気おされて、
おしまいになるわ
北の方のおなかの君が、
どうぞ坊ちゃんでありますように」

私は熱心にいった

則光は、

「どうかなあ、
何十年も先の話じゃないか
中宮にそのうち皇子でも、
お出来になればいっぺんに、
風向きが変わってしまう
そういえば、
今日、妙なことを聞いた
粟田殿が体ぐあいが悪い、
というので、
邸を移ったということだ
相如(すけゆき)の邸、
前の出雲の守だ
あの相如、
以前から粟田殿のお気に入りで、
ごまをすっていたが、
いよいよ、
粟田殿の世の中になりそうだ、
というので手放しで喜んでいる、
ということだ」

「移ったって?
方違えなの、それとも療養?」

「よくわからん」

「あんな丈夫そうな方でも、
病気になられるのかしら?」

私は色黒の毛深い、
眼光するどい粟田殿を、
思い浮かべていった

気性も狷介で陰険で、
策謀家であって、
決して人に好かれるような、
人ではない

むしろ怖れられている

この方は、
自分が花山院をあざむいて、
退位させた手柄は、
自分が一番であって、
さればこそ、
いまの一門の繁栄がある、
関白の位も、
自分に譲るべきだと、
かねて揚言していられた

自分を跡目に立てなかった、
父君の兼家公を恨み、
お葬式にも参列せず、
服喪もなさらなかった

そういう気性のはげしい、
方である

そういう方は、
どんなことがあっても、
殺しても死なないほど頑健だ、
と私は思い込んでいた

もし粟田殿の病気が、
軽くないと関白の位は、
また振り出しにもどる・・・






          


(了)

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