むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「10」 ①

2024年10月11日 08時54分25秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・去年はやった病は、
咳病だった

芯熱がいつまでもとれず、
体がだるく、
やがて骨のふしぶしが、
ばらばらになるような感じで、
身を起こすこともできない

咳がひどく、
ついで下痢におよんで、
洟水はひっきりなし、
そういう症状であった

私は幸い軽かったが、
浅茅が、
則光の邸のものはみな罹り、
大難儀だったという知らせを、
もたらした

この病で、
死ぬ人の数も多かったから、
私は心を冷やしたが、
とりわけ胸に痛いのは、
病弱な吉祥だった

が、その胸の痛みも、
長く別れている今は、
紗の幕を隔てて、
ものを見るように、
無力なあきらめで、
薄められている

しかし、
頭を丸めて仏門に入り、
叡山へ、
修行に行ってからの吉祥は、
かえって元気で、
はやり病にもかからず、
一心に修行に励んでいる、
とのことである

真面目で頭も悪くなく、
内省的な吉祥のことだから、
きっと学識徳行を積んだ立派な、
えらいお坊さまに、
なってくれるかもしれない

私は成長した吉祥、
(頭を丸めた今は光明というそうだ)
を想像できた

吉祥をそんな風に考えるのは、
定子中宮の弟君・隆円僧都の、
ことがあるからだ

道隆の大臣のご一族で、
ただお一人、
僧籍に入られた方だが、
絶えず中宮の御殿に参上され、
殿上人や女房たちにうちまじり、
さざめいていられる

このご一族特有の、
冗談好み、おしゃべり好きの、
明るい性格でいらっしゃる

隆円の君のおそばでは、
いつも笑い声が絶えない

そういう僧都の君に比べ、
吉祥はいかにも坊さんらしい、
坊さんになりそうな予感が、
するのであった

それはともかく、
去年の咳病が下火になったら、
今年、正暦五年(994)の春から、
また悪い病がはやりだした

痘瘡(もがさ 天然痘)である

恐ろしいこの病は、
昔から西の国におこり、
やがて京へのぼってくる

九州ではやっています、
といういやな噂を、
聞いたのは春先であったが、
あっという間に都へ侵入した

体じゅうに、
火ぶくれのような瘡ができ、
体熱は燃えるようになる

その瘡が赤いときは軽症だが、
紫ずんで黒いと重症であり、
たちまち死に至るという

道ばたには、
おびただしい病者がよろめき、
さまよった末、
倒れ伏していた

検非違使庁の役人たちが、
死体を収容して、
鳥辺野へあつめ、
穴へ埋めたり、
焼いたりしていたが、
やがて追いつかなくなり、
賀茂の河原にまで、
死体はおびただしく、
積み上げられた

それらを取り締まる役人でさえ、
ばたばたと倒れはじめた

それは、
下位の役人たちだけでなく、
身分高き人々も容赦せず、
おそいかかった

(えっ、あの人が・・・)

というような、
四位五位の殿上人たちまで、
それも、ついこの間見た、
というような人々でさえ、
はかなくなった

朝廷ではあわただしく、
諸社に疫病終息祈願の、
使いを派遣される

たいてい、
はやり病は秋になると、
下火になるのであったが、
新涼の風が訪れても、
まだ京には、
なまぐさい屍臭がたちこめ、
死神は跳梁して人々を、
おびやかした

「もっと寒くなれば、
収まるのではないかしら・・・」

「年が明けたら、
落ち着くわよ
二年越しということは、
なかったのですもの」

とみんなは言い合った

中宮づきの、
五、六十人の女房たちも、
本人自身の病というより、
身内の死で服喪したり、
親の看護に追われて、
里下りしていたりして、
いつもの半分くらいになっている

でも後宮では、
それらの不吉な話題は、
禁句だった

中宮はいわれる

「主上はとてもお心を、
傷めていらっしゃるわ・・・
天下のあるじとして
この悪いはやり病は、
自分の不徳のいたすところ、
ではないかと反省して、
いらっしゃるの
毎日、暗い話ばかりの、
ご政治むきのことから離れて、
こちらへいらっしゃる時くらいは、
せめてお心をほっとさせて、
さしあげましょう」

後宮の女主人、中宮をはじめ、
幸い、つつがなくいられて、
魔風はこの奥深い殿舎の内までは、
吹き入ってこない

疫病を恐れる私は、
外の空気を吸うさえ、
怖かった

ただ、心配なのは、
道隆の大臣が病んでいられること

尤もこれははやり病ではなく、
ほかの病気によるものらしい

しきりに水を飲まれて、
飲水病だという

北の方、貴子の上は、
手をつくして看病していられ、
出家された舅、高二位の、
高階成忠殿も、
平癒祈願の祈りをされて、
いられるそうである

そんな騒ぎのうちにも、
中宮ご一家には、
喜びごとが続いた

兄、伊周の君は内大臣になられ、
権大納言・道長の君を、
ついに越えられた

これで、伊周の君が、
父君・道隆の大臣のあとをつぎ、
関白さまにのぼられることは、
まちがいなし、になった

道長の君は、
面白からず思われたのであろう

ふてくされて、
この頃は出仕も、
なさらないということだ






          


(次回へ)

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