・蔵人(くろうど)といえば、
天皇のご側近にいて、
いつも侍って、
後宮への連絡係りである
殿上の男たちの中では、
もっとも後宮の局に、
近しい役目の役人である
人々に則光が、
昔の私の夫だと、
知られるだろうし、
それはかまわないが、
どんなつき合い方をすれば、
いいのかしら
というより、
則光はどんな男に、
変貌しているだろうか
(みっともないとか、
みすぼをらしい男になっていたら、
あたしが恥をかくわ)
などと思うのも、
何という私の得手勝手であろう
兄・致信のほうは、
則光が昇殿を許される、
宮中での政権の帰趨を、
問題にしている
それに兄は、
男たちの世界の、
なまなましい噂をもたらした
中の関白家の勢力下にいる、
私たちには全く聞こえてこない、
噂を・・・
道長の君が、
伊周(これちか)の君の下位に、
甘んじられていられることに、
世間は不安な思いを持っている
兄は話す
東三条の詮子女院(帝の母君)の、
石山寺ご参詣のとき、
道長の君は馬で、
伊周の君は車で従われた
伊周の君は障りで、
粟田口から、
引き返されることになり、
女院のお車をとどめて、
その由おことわりしていられると、
道長の君は引き返して来られ、
伊周の君の頭上から、
「何をしているんだ、
早くしろ、
日が暮れるではないか」
と居丈高にいわれた
伊周の君は、
(何という怪しからぬいい方だ)
ときっとして見返られたが、
道長の君ははばかられる気もなく、
「早く、早く、日が暮れるぞ」
とせきたてられた
伊周の君は無念だったが、
どうしようもなく、
立たれたという
のちに、
父関白さまに訴えられると、
関白さまは、
「大臣ともあろうものを、
軽んずるような人間の行く末、
よいはずがないわい
気にするな」
と慰められたとか
兄はこの話を、
得意気に話す
兄は、
道長の君の味方であるから、
当然であるが、
私は複雑であった
というのは、
伊周の君に敬愛と共感を、
捧げながら、その一方、
傍若無人な意気高い、
道長の君に、
なみなみならぬ心さわぎ、
するような魅力を感じるからだ
(大物でいらっしゃる・・・)
と思った直感は、
はずれていないのかもしれない
しかし道長の君に、
捧げる親愛感は、
そのまま中の関白家への、
裏切りになってしまう矛盾を、
どうしたらよかろう?
兄の致信はさらにいった
「中の関白家一家の、
評判はものすごく悪いんだぜ
世間じゃどういってるか、
知らないだろ?
お前みたいに、
中宮さまが定子さまが、
と女ばかりの世界で、
狎れあって、
じゃらけているような、
人間の耳には入って来ねえだろう」
私は定子中宮を含めた、
中の関白さまご一家のことを、
悪くいわれるのが、
聞き辛い以上に、
強く好奇心を感じた
「どうしてそうなの?」
「とにかく、
あの一家は積悪の家、
とまでいう奴がいる」
「なぜなの、
なぜそんなひどいこと・・・
お兄さまは、
中宮さまや関白さま、
内大臣の伊周さまも、
ご存じないから、
そんなことをいうんだわ
あんなに教養がおありになって、
すぐれたご一家って、
めったにないわよ」
「教養があっても、
悪い奴はいる」
兄は酒をついで、
「これも、
おれだけじゃない
世間はみな、
内心ではそう思っているな
そうじて道長どのが、
天下を取って頂けるよう、
やきもきしている
中の関白家一家に、
いいようにされちゃ、
世の中たまったもんじゃないさ」
「どうしてそう、
悪く言われるんでしょうねえ・・・
伊周さまも、
関白さまもいい方なのに」
私は気落ちしてつぶやいた
「わはは・・・
『いい方』ってのは、
天下を切り盛りする器じゃねえ、
ということだ
関白はもう今年いっぱい、
保つまいという死病で、
こりゃだめだろう
その後を伊周が継ぐなんてこたあ、
まず無理だろうな、
あの坊やにゃ、
そんな器量はない
容れものがないんだよ
あんな青二才に任しちゃおけない」
兄は決して気は悪くない人間だが、
人のいやがることを、
よけいいい募って、
加虐的喜びを感じる癖が、
あるらしい
人の嫌がることをしゃべるのは、
則光も同じであったが、
則光はある種の無邪気さのため、
気付かないからであった
だから、
人に強く反発されると、
驚いて自分の発言を、
検討し直す、
という素直さがあった
しかし兄は、
人の嫌がることを、
ようく知っていうのだから、
タチが悪い
そして人の反撃を、
舌なめずりして、
待ち構える好戦的なところがある
(次回へ)