
・彰子中宮が、
あらたな年若き后として、
藤壺へ入内されたときの美々しさは、
はじめての入内の折に、
劣らぬ豪奢なさまで、
あったらしい
御輿も御張台も、
まばゆいばかりの新調のもの
仕える女房たちも身分がつき、
それぞれの地位によって、
衣装の色や紋様もことなり、
物々しかったよし
彰子中宮は、
中宮として入内され、
にわかにおとなびられ、
気品も添うて見えられたそうな
「今までは、
気楽な遊び相手と見ていましたが、
このたびは尊いご身分になられたので、
つきあいにくくなられた
へたをすると、
お叱りを受けそうなご様子にみえる」
と主上が諧謔されて、
人々は思わず忍び笑いを、
洩らしたよし
いま、おん年はやっと十三歳
そんな噂が流れてくるが、
ここ三条宮でも、
また殿方の訪れが繁くなっていた
賀茂祭りのころも、
外へ出なかったかわり、
入れ代わり立ち代わり、
人々が訪れてくる
いまは平生昌(なりまさ)の、
朴訥な人のよさを、
女房たちも知るようになっていた
「ハイ、シーッ」
のおじさんはこのたびもまた、
御産の準備に邸を清め、
奔走してご用を果たすのである
宮中から御産用意の、
入用の品々が次々届けられるが、
その折衝や接待やらに、
生昌は心身を打ち込んで、
いるようであった
兄君の帥の大臣・伊周の君も、
弟君の中納言隆家の君も、
絶えず三条の宮へおいでになり、
祈祷などの手配をされる
お側に詰めるのは、
弟君の隆円僧都の君
ご一家で姫君や若君、
中宮を守っていられる
帥の大臣は、
お人が変られた
三度のご懐妊と聞いて、
手放しの喜ばれかた、
まなざしに強い光が加わり、
憑かれたようにいわれる
「これこそ、
亡き二位殿の祖父君が、
守って下さっている証拠ですよ
彰子中宮はまだ十三でいられる
この合間にどんどん、
若宮を挙げていただく
四人も五人も、
今上の若宮を・・・
さすればもう、
押しも押されもせぬ后の地位も、
われわれの身分も大磐石
父君や母君のお声が、
このごろの私には、
よく聞こえるのです
『今をしのげばよい
今をしのげば、
この先は安泰じゃ』
そう仰せられて励まされる
あなたたちもそのつもりで、
皇后の宮をお守りするように」
そのお目の光は、
ただならぬものがあり、
人々を不安がらせるのである
昔ののびやかな教養人の、
おもかげはなく、
日も夜も数珠を、
つまぐっていらっしゃる
お口からはひまなく、
経の文句が洩れる
それにひきかえ、
隆家の君は、
すっかりもとの快活さを、
とりもどされた
そして中宮のお身のまわりの、
ことについても、
的確なご判断でお指図して下さる
生昌や私たちにも、
しっかり指針を与えて下さるし、
何より嬉しいのは、
若殿ばらや公達と、
昔の友情を復活なすって、
三条の宮を訪れる殿方の中には、
隆家の君としゃべりたい、
という方々がふえたらしかった
五月になった
(いまの六月、梅雨どき)
五月の節句ほど、
すばらしいものはない
空はどんより曇り、
菖蒲、蓬の匂いが京のみやこに、
たれこめている
家々は軒や廂、
屋根にびっしり菖蒲を葺かれ、
薬玉が奉られる
彰子中宮の御殿では、
さぞ花やかな節句であろう
しかしこちらも結構、
人が多く、中宮のおんもとへも、
おん薬玉が縫殿寮から届けられる
これは菖蒲や蓬など、
匂いの高い邪気を払うめでたいもの、
そのほか花々などを、
菖蒲の輿に乗せて持ってくるのである
それを薬玉につくる
麝香や沈香、丁子などを、
網玉に入れ菖蒲をつけて、
五色の糸を垂れる
若い女房たちや、
中宮のお妹姫、みくしげ殿と呼ばれる
末の姫がつくられる
みくしげ殿は、
中宮によく似られたおもざしの、
十五、六の美しい方である
若宮をお可愛がりになっていて、
お召し物に薬玉をつけて、
さしあげられる
中宮にはご一門から、
献上してきた薬玉と、
それに、
「お体、
ことにお悪阻のころには、
これがよろしいかと、
存じまして」
と田舎住みをなさっている、
伯父君の明順ぬしからの、
献上物「青稜子(あおざし)」を、
さしあげる
これはまだ青い麦をついて、
作った菓子で、
胃によいとされている
そのまま献上するのも、
とふと私は思いつき、
青い薄様を硯の下に敷いて、
その上に盛り、
「これ・・・『ませ越し』
でございます」
とさしあげる
<ませ越しに麦喰む駒のはつはつに
及ばぬ恋も我はするかな>
の古歌をふまえたつもりだった
馬が柵越しにやっとのことで、
麦を食べるように、
私は身のほどわきまえぬ恋に、
身を焼いております
宮さまに誠実ひとすじに、
お仕えしております
そういう心根を、
ちょっぴり匂わせたもの
中宮はその青い薄様を、
お取りになり、
端を少し破って、
こう書き付けたのを賜った
<みな人の花や蝶やといそぐ日も
わが心をば君ぞ知りけり>
人はみな、
花や蝶やと騒いでいるけど、
私の心はあなただけが、
知っていてくれるのね
中宮のお心のうちには、
特別の何々と指すのではなく、
いままでの長からぬ年月のうちに、
めざましく転変されたご運、
そのもののことであろう
主上との束の間の、
幸せなおん月日、
忍びやかに交わされるお文、
それらをふくめてのことであるに、
ちがいなかった
それにしても、
このごろ中宮は、
すこしお気の弱りを、
洩らされるようになったのでは、
とふと私は思うことがある



(次回へ)