むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「28」 ②

2025年01月07日 16時13分08秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・定子中宮のおん乳母、
母君、貴子の上の妹の大輔の命婦、
この人が夫の転任で、
日向に下ることになった

もともとこの人は、
乳母としての役よりも、
自分の夫や子のほうに、
人生の関心が深い人で、
私はあまり、
好意を持てないのであるが、
中宮をおいて日向へ向かうという

中宮からは、
贈り物にさまざまのものが、
下されたが、
その中に扇があった

特に趣向を凝らせて、
お描かせになったもの、
片方には日のうららかにさした、
田舎風な豪邸、
(これは日向の国司の、
館のつもりであろう)

もう一面には、
都の家に、
陰気に雨が降っている絵である

そこへ中宮は、
おんみずから筆をとって、
お書きになった

<茜さす日に向かひても思ひ出でよ
都は晴れぬながめすらむと>

日向、
明るく日に向かう国、
日に栄える国にあなたは行くのね
日向にいても、
私のことを思い出しておくれ
都では晴れぬ思いで、
泣き沈んでいる者もいるのだと・・・

その扇を命婦は、
どんな思いで見るのやら

私なら、
そんなお歌を拝したら、
どんなにいいところだって、
下向を取りやめてしまう

この君をおいて、
どこへも行けるものか

私は扇のお歌を見ているうちに、
泣けてきた

あんなにいつも明るく明るく、
ふるまっていらした中宮が、
はじめてお気弱になられた

「晴れぬながめ」

といわれた

じめじめした涙、
むすぼれた思い、
そういうものを厭わしがって、
いらした中宮が、
いまはじめて洩らされた、
重い重い吐息

お体のせいだろうか
ご妊娠中の不安定なお心が、
そうさせるのだろうか

このごろは、
私をお離しにならない

ところが、
摂津の棟世から連絡があった

「娘が清水寺におまいりしたい、
というので、
自分はついてゆけないが、
供をつけてやる
もしよければ清水寺で、
会ってやってくれないか
以前から娘はあなたに、
会いたがっていた
御殿の都合がつけば、
の話だが・・・」

といってきたのだ

棟世の手紙は簡潔で、
くわしいことは書かれていないので、
なぜ娘が私に会いたいのか、
わからない

例によって田舎の贈り物、
干した貝やら魚やらわかめやら、
それに珍しい白珠(真珠)など、
平絹の反物、
美しい貝殻細工など、
どっさり贈って来た

私は好奇心もあって、
棟世の娘に会いたかった

暑い夏で、
みな代わる代わる休みを頂いて、
里下りしている

はやり病がまた広がりそうなので、
そういうときに、
人のたくさん集まるところへ、
行くのは恐ろしいのだが、
清水寺なら気心の知れた僧も居り、
お籠りに便宜をはかってもらえるので、
しばらくおいとまを願うことにした

「早く帰ってきて
少納言の声が聞けなくなると、
物足らなくて淋しい」

と中宮は仰せられる

「中宮さまのご安産を、
お籠りしてお祈りいたします
おすこやかなみこが、
お生まれ遊ばすように、と」

と私は心からいった

清水寺は木々が繁って、
やや涼しかった

棟世の娘一行は、
一つの僧坊を借りて、
一昨日から籠っているという

私のいる僧坊の方が、
やや広く眺めもよく、
涼しいので、
私の方へ来るようにと、
迎えを出してやった

供の女房や乳母や、
若侍たちといっしょに、
その娘はやってきた

乳母のかげにかくれるように坐り、
はじらっているが、
私が、

「お目にかかれて嬉しいわ
お父さまから、
お噂はいつもうかがっていたの
もっとこっちへいらして、
ようくお顔を見せて」

というと、
素直に寄ってきた

棟世に眉や目のあたりが似ていて、
思った以上に美しい娘である

十六になったという

「安良木(やすらぎ)といいます」

という声もほのぼのと愛らしい

やすらぎ・・・なんて、
いかにも棟世のつけそうな名だわ、
と私はほほえましかった

「もっとこっちへ来て
仲良くしてほしいの
お目にかかれて嬉しいわ
とてもとても嬉しいわ」

娘のたたずまいが、
いかにも純真そうなのが気に入り、
すぐ、好きになった

娘ははじらいながらも、

「早くお目にかかりとう、
ございました、わたくしも」

すがすがしい口ぶりである

「だって、わたくし、
もうずっとせんから、
おばさまの『春はあけぼの草子』
を読んであこがれていましたの
本は父が持ってきてくれました
海松子(みるこ)おばさまってすてき
海松子おばさまと呼んでいいですか?」

「え、え、その方がいいわよ」

娘がべったりした、
女くさい感情でないのを、
私は嬉しく思う

「あなたは物語や絵がお好きなの?」

「はい、
手に入るが早いか、
すぐ読んでしまいます」

娘ははにかみながらも、
はきはきいう

何より、
すずやかな透る声が美しい

撫子がさねの、
表は紅梅色、
下は青い衣装も、
田舎びていず可愛かった

乳母はよく太った、
気のよさそうな四十くらいの女、
さっきからしゃべりたくて、
むずむずしていたらしい

「私の口から申すのも、
なんでございますが、
おさかしくていらして、
何ごとにつけ、
物習いの道も、
ご上達がすみやかで、
いらっしゃいます
お手もよく書かれますし、
お琴、琵琶・・・
一通りおさめていらして、
どこへ出られても、
お見劣りなあることは、
あるまいと存じます
どうか、
ひいさんをよろしくお願いいたします
とは申すものの、
私は大事なひいさんを、
お宮仕えおさせ申すのは、
気がすすまないのでございます
何せ私どもは昔人間で、
ございますから、
女と鬼は人に姿を見せるものではない、
といわれて育ちましたので」

私は乳母の多弁に、
閉口しながら、
やっと、

「それ、どういうことなの?」

といわずにいられない

「宮仕えって、安良来さんが?」






          


(次回へ)

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