むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「30」 ⑤

2025年01月19日 08時49分52秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・しかし安良木は、
私に頼んだ宮仕えのことを、
一日も忘れていないらしく、

「まだかしら、おばさま
まだお返事は来ない?」

毎日のようにいう

しかしついにある日、
赤染衛門の君から手紙が来た

夫がこんど尾張の国の守となり、
自分も共に下ることになった、
ついては頼まれていた安良木どののこと、
ちゃんと取り計らうことが出来たので、
その手はずをつけるため、
こちらにおいでを乞う、
とのことである

棟世と尾張の国の話を、
したばかりだったので、
おかしくばあったが、
赤染衛門は忘れずに安良木を、
推してくれたらしかった

彰子中宮のおそばへ、
あがれるかどうかは、
最終的に大殿の上(道長大臣の北の方)や、
その女房にお目通りして、
決まるらしいが、
しかし大殿の上は、
私のことをご存じで、
兵部のおもとの口添えもあり、

「ああ、元輔の娘ね、
あの清少納言の夫の娘というのなら、
素性もよろしいし・・・」

と満足されているという

安良木は有頂天になっていた

彼女の心にはもう、
輝く藤壺のきらびやかな世界しか、
ないらしかった

「お前についていってもらうほか、
ないな
おれには準備してやりたくても・・・」

棟世は娘を手放すのに、
淋しさはあったろうが、
あきらめではなく、
淡々としていた

「かいもく見当のつかぬ世界だから
宮仕えというのは、
どんなふうにやるんだね?
宮さまからのお手当ては、
出るんだろうか、
こちらからはどの方面に、
付けとどけをしたらいいのか、
衣装やそのほかの支度は、
乳母にいいつけておくれ
やれやれ女の子というものは、
金の要るものだ」

私は久方ぶりに、
あれこれと安良木の支度に、
付き添って心が動いた

ともあれ、
京へ戻らなくてはならない

「安良木の身のふり方を、
つけてしまったら、
またすぐに帰ります」

と私は棟世にいった

「たのむ
それにしても、
あんなに夢を持って、
勇んでいる娘を見るのは、
気持ちのいいものだ
何の希望も期待も持てない人間に、
育てなくてよかった
おれが男手ひとつで育てた、
甲斐があった

実をいうと、
お前も皇后の崩御で、
がっくりまいって、
別人のように魅力の無い女に、
なるんじゃないかと心配だった
それがどうだ」

棟世は私に笑顔を向けた

「こんどは草子を書くと、
張り切っている
津の国の海や山、
自然に感動している
安良木の後見に身を入れている
おれはそういう人間が好きだ
お前の書く物語は、
きっと人々に愛されると思うよ」

私は機嫌よく京へ出発した

おびただしい財物と共に帰るので、
棟世は護衛の侍を多くつけてくれた

京は少しも変っていなかった

棟世の留守宅へ入り、
早速、赤染衛門の君に連絡する

ちょうど彰子中宮が、
土御門のお邸へ里帰りしていられ、
そこへ近々、
主上も行幸になり、
東三条女院の四十の賀が、
行われるらしかった

上を下へのさわぎであるが、
安良木は殿の上に、
お目通りを許され、
幸いお気に入って頂けたらしく、
宮仕えを許されることになった

その折、

「清少納言は、
宮仕えする意志はもうないのか
あればこちらへ来ないか」

というお話があったという

そのお志は嬉しかったが、
私は多分、もう二度と、
仕えることはないであろう

それよりも赤染衛門の邸で、
彼女と和泉式部に会えたのは、
嬉しかった

衛門は五十にはまだ間があるが、
どっしり太って、
ふっくらした色白の頬、
声の若々しい人だった

歌人として名声の高い女流であるが、
名声のわりに気取らぬ、
穏健な家庭婦人、
何かというと、

「主人が・・・
主人が・・・」

と学者の夫、大江匡衡のことをいった

和泉式部は、
三十を出たばかりであろうか、
いま京の人々の口の端にのぼっている、
恋愛沙汰にふさわしく、
しっとりと魅力ある女だったが、
美人ではないが、
どことなく捨てがたい、
心残りのような情趣をたたえ、
すこし酷薄そうな、
切れ長の目が美しかった

言葉少ないその人が、
やっとしゃべるひと言は、
こちらの心にいつまでも、
余韻をもたらした

彼女は冷泉院第三皇子の、
為尊親王と恋愛のため、
とうとう夫の和泉守・橘道貞に、
離縁されてしまったそうである

為尊親王の熱は、
ますますたかぶるばかりで、
日ごと夜ごと物狂おしく、
和泉式部につきまとっていられるという

しかしこのごろでは、
和泉式部が歌詠みだという名声も高く、
衛門のおもとは彼女に、

「大殿は、
ぜひあなたにも、
と宮仕えをおのぞみで、
いらっしゃいましたよ
ええ、無論、彰子姫の」

といった
和泉は、

「自分のような者は」

と口ごもっていた

というより、
私にはどことなく彼女が、
放心しているように見えた

恋をしている最中は、
何かに魂を抜き取られているのかも、
しれない

その放心のさまは、
好もしく私には映った

中宮に逝かれた私もまた、
ある放心を味わっているのだから・・・






          


(次回へ)

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