「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

14、わがアメリカ ④

2022年08月14日 08時37分18秒 | 田辺聖子・エッセー集










・ウォーター事件というのがあった。
あれと同じことが日本では行われるだろうか。

日本でならもみ消されてしまうのではなかろうか、
いや、たとえ摘発糾弾され、権力者が失脚しても、
それをただちにテレビドラマにし仕立てる、などという、
野放図で太っ腹なことが許されるだろうか。

私は「大統領の陰謀」というアメリカのテレビドラマを、
面白く見たが、それ以上に、こういう事実あった事件を、
すぐテレビドラマ化させるアメリカ社会の柔軟な発想、
ふところ深さを面白く思った。

実際、アメリカでは何でも起り得るのだ。

大統領が汚い手を使って陰謀をめぐらすかと思えば、
現職の大統領が射殺されたりする。

その犯人は、真実のところまだはっきりしない。

どんなに浩瀚な政府関係の調査報告が公表されても、
誰も心から納得しない。

そういう暗黒部分はあるものの、
あの、宇宙ロケット打ち上げのニュース、
あれは失敗も成功もアメリカではもろとも発表される。

宇宙飛行士のいたましい事故も、
ただちに報道される。

社会主義国の厳しい報道規制とくらべてあげつらうのは、
あまりにも単純で粗笨な考えではあるが、
一般庶民としては感動しないではいられない。

もっともこれは、
われわれ庶民クラスが普通に接するニュースの範囲で、
プロのそのみちの方々からみれば、
庶民のうかがい知れぬ部分も多いと思われるが、
私の印象では、アメリカはつねにフランクである。

ふところ深いといえば、
映画「風と共に去りぬ」は昭和14年(1939年)にできた。

昭和14年といえば5月に日本はノモンハンでソ連と衝突、
日中戦争はその2年前からはじまっていた。

物資がそろそろ配給制になり、
服装も規制され、ヨーロッパでは、
この年、9月にヒットラーのドイツ軍がポーランドに進撃し、
第二次世界大戦がはじまるという、
物騒な騒然たる時代に「風と共に去りぬ」は出来た。

映画原作料5万ドル、製作費600万ドル、
上映時間4時間、総天然色、
今見ても興趣あせぬ豪華版である。

これが日本で見られるようになったのは昭和27年(1952年)。
製作されて13年もたっていたが、めざましく面白く、
24才の私は熱中して何度も見た。

もっともその時は若かったので、
クラーク・ゲーブルやヴィヴィアン・リーにばかり、
心を奪われていたが、今では、映画そのものよりも、
あの風雲ただならぬ時代に、腰を据えてこれだけの大作を作る、
アメリカの底力というか、身幅の広さというか、
底なしの壷のような深い活力に打たれてしまう。

戦後、私たちは、渇いたものが清冽な水をむさぼるように、
続々封切られるアメリカ映画を、飛びついて見た。

今もおぼえている名作の一つに、
「心の旅路」がある。

しっとりしたラブ・ロマンスで、
いささかの戦争批判もただよっていた。

これが昭和17年に作られたというのだから驚く。

戦争の真っ最中は日本もアメリカも同じ条件だが、
そのころの日本で、恋愛映画が作られただろうか。

戦意昂揚映画ばかり、
そうでなければ剣豪もの、
恋愛映画は記憶にはない。

日本は昔も今もまとまりがよすぎて、
号令がかけやすく、統制は行われやすく、
戦争下では戦争遂行に必要なものしか、認めない。

戦争に無関係な恋愛小説を書く、恋愛映画を作る、
というようなことは考えられない。

物資的な国力のひよわさというよりも、
何かぽっと抜けた精神の人のよさ、
みたいなものが日本には欠けている気がする。

私がこうしてアメリカをほめる、
それを政治的レベルで勘ぐって、
なぜアメリカに色目を使う、
という人があるかもしれないが、
全くそういう色合いは私にはない。

私はアメリカにわずかばかり滞在して、
天窓が開けられたような気がし、
その気分を珍重しているだけである。

べつにおいしいものとてなく、
遺跡も美景もない。奇観というのならあるが。

ヨーロッパよりアメリカが好もしいのは、
いまの時点で思うことで、
さらに年を重ねればどうなるかわからないが、
私には尽きぬ興をそそる国である。






          


(了)

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