「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

15、思いこみ健康法 ①

2022年08月15日 08時29分20秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私のまわりを見わたすと、
五十代で死ぬ男が多くなった。

かつそれに加え、五十代男性の自殺も増えている。
まさに五十代危機といっていい。

いったい、どうしてこんなことになったのだろう?

社会の中枢にいるはずの五十代が、
心身とも脆弱になってしまったのだろうか。

そういえばこの間私はあるところで、
そこにあった週刊誌を見るともなく見ていたら、
アメリカのジョギング提唱者の男性が、
ジョギングの最中に心臓マヒだか心不全だかで、
急死したというニュースが出ていた。

この人も五十代である。

「奇蹟のランニング」という本を書いて、
ジョギングブームを引き起こした有名な人らしい。

ジョギングをやれば体重を落とせるし、
心臓も強くなると説いて、
いまも毎日16キロを走っていたという。

そういう人が心臓の不調でジョギング中に死んだというのは、
皮肉といって嗤えない。

いたましくて可哀そうで、どこかそらおそろしい、
不気味な感じを受けてしまった。

ほんとにいいと信じてやってることが、
正しいのかどうかという気がして、
怖ろしくなったのだった。

この人は朝、走っていて町なかで倒れたのだが、
身につけているのはTシャツとジョギングパンツだけだったので、
身許の確認が遅れた。

病院へ運ばれたとき、もう息はなかったという。

日本でも有名な企業の御曹司の副社長が、
朝のランニング中に亡くなられたことがあった。

この人も五十を出たばかりだった。

階段を大股に二段跳びにあがるのが健康にいいというので、
エレベーターやエスカレーターを使わず、
つねに二段あがりを心がけていた男性が、
これは脳出血で亡くなった。

煙草がわるいといわれると、ピタッとやめ、
お酒もほどほどにと言われると、
宴会も二次会もすべて敬遠されていた人なのに。

健康のためと信じてやってることが、
あべこべの結果になるのでは、
われわれ素人は迷ってしまう。

私の夫は十年くらい前からそれを唱えていた。

ジョギングブームはしりのころから、
ジョギングや階段二段上りを中年男性がやるのに危惧をもち、
そのブームに疑問を感じていたようだ。

彼にいわせると、
走ること、階段をかけ上ることは激越な運動であって、
子供や若い者は知らず、中年男性にとっては、
そこから得られる好結果よりも、
むしろリスクの方が大きいという。

彼は医者のはしくれであるが、
西洋医学に疑問を持ち、
クスリも怖ろしいという。

彼は患者に対して、

「休んでいなさい。とにかく横になりなさい」

とすすめて倦まない。

「そのくらいの病気ならクスリも注射も要らない、
ぬくいもの食べてじっと寝て、なるべく気楽にしてたら治る」

という。

<寝ておれと 生活(くらし)知らぬ 医者がいう>

という川柳があるが、
ほんとにその通りであった。

学生の患者さんは、

「明日、テストがあるから休めない。
すぐなおる注射して下さい」

というし、勤め人の患者さんは、

「このところ会社が忙しいて休みがとれまへん。
イッパツで熱の引くような薬頼みます」

などというのであった。

その度、夫は「困るなあ」といっているのだが、
困るのは医者の家族もそうで、
「ぬくいもの食べてじっと寝てたら治る」
という診察では、現今の保険では点数に数えられず、
稼ぎにならないのである。

それでも夫は、

「やたらクスリ服むんやない」

という見解をあらためようとしない。

ところで、この男にいわせると、
中年老年男性は走ってはならぬ、
階段をかけ上るのは恐ろしい、
というほかに、ゴルフも怖い、という。

血圧の高い人はことに要注意といい、
減量はしてもしなくてもよいが、
仮にやせるときも、一ヵ月に500gとか1キロとか、
少量ずつやせるようにするべきで、
一ヶ月に5キロもやせるようなことは、
考えただけでも恐ろしい、という。

さる著名な中年男性が、
たしか一ヵ月で10キロやせて、
そのあと、ふいっと亡くなられた。

体というのは人間の心より鈍いところがあり、
急激な変化についていけないのかもしれない。






          


(次回へ)

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