「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、竹河 ⑤

2024年04月16日 08時31分23秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・玉蔓の長女の姫、大君が、
冷泉院へお輿入れされて、
同じ御所内に起き臥ししている、
薫はその御殿のあたりを、
散策するときなど、
意識せずにはいられない。

夕霧の息子、蔵人の少将より、
失恋の打撃は大きくなかったが、
美しい人と聞けば、
残念に思われる。

冷泉院のお二人の妃、
秋好中宮(故六條御息所の姫君)
女御(亡き柏木、雲井雁の姉君)も、
すでにお年たけていられるので、
まぶしいような若さの大君は、
院の後宮でいっそう映える、
ようであった。

玉蔓は、
少将の母、雲井雁からの願いを、
しりぞけたことを、
気にしていたので、
中の君と少将の縁談を、
考えていた。

しかし少将にはその気は全くなく、
玉蔓邸への出入りも途絶えた。

玉蔓邸だけではなく、
しげしげと参上していた、
冷泉院の御所へも、
足を向けなくなった。

大君の院参で、
心を傷つけられたのは、
内裏の帝も落胆なさった。

大君の兄の左近の中将を、
お呼びになって、

「故髭黒の大臣は、
生前、こちらに宮仕えさせる、
意志があったのに、
なぜ冷泉院へ参らせたのか」

とお責めになる。

左近の中将は母の玉蔓を責める。

「でも、
院と主上とお二方から、
お申込みがあったけれど、
宮中では気苦労も多いし、
冷泉院はみ位を下りられて、
お気楽で、その上女御、
(玉蔓の異腹の姉君)も、
おやさしくいって下すったから」

玉蔓はそういう。

「宮中では気苦労多いと、
いわれますがそれは、
冷泉院だって同じです。
女御のご親切もいつまで、
頼りにできますやら」

兄の中将はいうが、
やがて大君はおめでたと、
伝えられた。

冷泉院のおいつくしみは、
日に日に募る一方である。

明け暮れ、
大君のもとにいられて、
音楽会を催される。

薫も絶えず、
お側にお召しになるので、
御簾の奥で弾く大君の琴の音を、
聞くこともあり、
心がときめくのであった。

春四月、
今は御息所と呼ばれる大君は、
姫宮をお産みになった。

冷泉院には、
女御とのあいだに、
おひと方の姫宮しか、
おいでにならなかったから、
久しぶりにかわいい姫を得られ、
大切に思われる。

今は御息所のもとにばかり、
いられるので、ようやく、
女御方からも、
秋好中宮からも、
ご不満が洩れるようになり、
後宮社会はむつかしいこと、
多くなった。

一方、帝はなお、
わだかまりをお持ちのようなので、
玉蔓は自分の公職である、
尚侍(ないしのかみ)の役を、
中の君に譲る形で、
宮仕えさせることにした。

少将との縁談は、
先方が乗り気でなかったが、
一応、父の夕霧にも話して、
了解をとり、
中の君を宮中へ差し出した。

そうこうするうち、
御息所にまたお喜びがあり、
今度は男御子を、
お産みになった。

冷泉院は初めての男御子で、
珍しく嬉しくお思いになる。

退位されたお身だから、
男御子も栄えはないのを、
(帝位につけない)
今さらのように残念に、
思われるが御息所への、
ご寵愛はますます深くなる。

そうなると、
中宮や女御がたからの、
風当りは辛いものとなり、
御息所は気苦労が絶えず、
ご実家にお里帰りのことが、
多くなった。

「むつかしいものですね」

玉蔓は薫に訴える。

「はじめのころは、
女御さまを心やすく、
頼りにさせて頂いて、
おりましたのに・・・
いまは、
御息所も宮中に居辛く、
といって里帰りしていますと、
院のご機嫌がお悪く・・・
あなたからそれとなく、
院におとりなし下さいませ」

「後宮というのは、
そんなものらしいです。
そのぐらいのお覚悟は、
おありだったはず。
そ知らぬ風におだやかに、
受け流しておかれたら、
いかがです。
男の私がそういうことに、
口をはさめません、姉上」

思慮深い薫は、
わずらわしい女同士の、
確執に立ち入らず、
突き放していう。

「そうですわね、
女の愚痴というものね。
このごろあなたにも、
めったにお目にかかれないので、
つい年よりの愚痴が出ました」

と笑う玉蔓は、
あでやかで大きい息子や娘が、
あるとは見えぬ若々しさ、
おっとりと上品である。

御息所も、
似ていらっしゃるのだろうか。

かの少将も今は位もすすみ、
中将になって、
左大臣の姫と結婚したが、
なお御息所を忘れかねている。

しかし薫は、
別の女人のおもかげを、
胸に抱いていた。

それは誰にも明かさないが、
宇治の八の宮の姫君であった。






          


(了)

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