「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

6、総角 ⑨

2024年05月11日 08時43分47秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・大君は薫に、
強い不快の念を持つ。

「ひどいお仕打ち。
そんなお心も知らず、
今までご信頼申し上げて、
いましたのに」

大君は裏切られた思いで、
ものをいう気力もない。

薫は、

「もうどうにもなりません。
お詫びは何度でも申し上げます。
匂宮は中の君に、
ご執心だったのです。
お気の毒とは思いますが、
私の方も哀れです。
思いの叶わぬ私は、
身の置き所もなく辛いのです。
お願いです。
あきらめてください。
ふすまの錠は下ろしていても、
二人が潔白とは、
誰も思わないでしょう。
宮もまさか私が、
胸の晴れぬ思いで、
嘆き明かしているとは、
思いも寄られぬことでしょう」

青年はふすまを引きやぶって、
入りそうな気配。

大君は自分の意志を、
踏みにじられる不快さばかりが、
胸にきた。

こんな形で、
自分をわがものにしよう、
とする男の一方的な態度が、
納得できない。

しかし何とかこの場を、
とりつくろおうと、
必死に気持ちを落ち着け、

「どうぞ、ほんとに、
こんな恐ろしい情けないお仕打ちを、
あれこれなさって、
わたくしを困らせないでください。
死にたい気持ちですけれど、
生き長らえていましたら、
気も落ち着いたころに、
ゆっくりお目にかかりましょう。
気分が悪くなってまいりまして、
辛うございますので、
横になりたいと思います。
どうぞその手をお放し下さい」

大君の声は苦しげだった。

薫は自分を恥じる。

薫は言われるままに、
大君の袖を放す。

「それでは物越しでもお話を。
どうかお願いです。
見捨てないでください、私を」

大君は自由になって身を、
少し奥へいざり入ったが、
さすがに青年の苦悩の声に、
動かされてそのまま姿を隠さず、
そこにとどまった。

「そうです。
あなたがそこにいらっしゃる、
せめてそれだけのお気配を慰めに、
夜を明かしましょう。
これ以上の失礼はいたしません」

やがて夜明けであった。
山寺の鐘が聞こえる。

匂宮は寝んでいられるのか、
出て来られる様子もない。

「宮とは反対に、
ご案内した私のほうは、
充たされぬ思いを抱いて、
迷いつつ帰る・・・」

薫がつぶやくと、
大君はほのかに、

「あれこれ思い悩む、
わたくしのほうこそ・・・
あなたはご自分のお心から勝手に、
お迷いになっているのです」

「何ですって、
私をこんなに恋させた、
あなたにだって責任はおありだ」

などと言い続けるうち、
夜は明けてゆき、
匂宮が出て来られた。

老女たちは、
真相を知らされていなかったので、
唖然として、

(これは・・・
どうしたこと。
薫の君と違う方が)

と合点がいかずうろうろしたが、

(何ごとにも、
薫さまが悪いようになさるはずは、
あるまい)

とささやきあった。

宮は早々後朝の文を、
宇治へおやりになる。

宇治では姉妹の姫たちが、
呆然として思い乱れていた。

とりわけ中の君の惑乱は深い。

「ひどいお姉さま。
薫の君との結婚をおすすめに、
なるかと思えば、
匂宮さまを引き入れられたりして、
顔色にも出されず、
不意打ちなさる・・・
あんまりだわ)

と大君と目もあわせぬように、
していた。

そういう妹の態度も無理ない、
と思いながら大君は、
匂宮のことは自分も知らなかった、
と弁解することも出来ず、

(可哀そうに、
中の君が怒るのも尤もなこと。
でもわたくしだって、
落ち度がなかったともいえない)

と自分を責めていた。






          


(次回へ)

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