「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

最終章 姥勝手  ③

2021年11月30日 10時44分33秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「ぜんぶスッたんか。ほんで銀行から借りとんのか」

「私のもんは、みな借りもん、というのはな、
神さんからお借りした、いうこっちゃ。
何も銀行から借りたんやない。
それに借りたもんはお金やあらへんの。
寿命や体や才能、健康、そんなもんをお借りしてますのや。
ほんで、もう返してんか、と言われたら、
おおきに、言うてみなお返しして、
裸一つですってんてんであの世へ行きますのや・・・」

次男は理解するゆとりもなく、

「え~~っ、すってんてんになった、てか、
なんてことさらすんじゃ、よし、西宮と打ち合わせをする」

怒りまくって電話を切った。

「お姑さん、あのですね・・・」

せきこんだ声は豊中の次男の嫁、

「西宮のお義兄さんの話では、
お姑さんは財産を無くされた上に借金もある、という話ですけど、
いうときますけど、親の遺産相続を辞退すると、
借金も肩代わりしないで済むんですってね、
うちは一切かかわりなしにして頂きますわ」

「あ、そう。
ほんなら道子さんとこは私のものは一切要らん、と・・・」

「当然ですわ」

「・・・あんたかて、道子はん、
神サンから、体、健康、借りてるんでっせ。
せっかくええもん、お借りしているのに、
充分たのしんで大事にせず、ヒステリー起こしていては、
勿体ないやないか」

やれやれ、八十婆さんをゆっくりさせてくれない。

そこへまた電話。
べつに出てやらなくてもいいのだ。
電話が鳴れば即出る、というのは若いもんの習い。
こっちも出ぬ自由もあるわい。
と、無視しようとしたが、この電話かなりしつこい。


~~~


・ほんまに・・・舌打ちしつつ電話に出ると、

「あ、いらした?よかった、うれしい・・・」

というのは飯塚夫人ではないか。
もと、音楽の先生。七十八の今も美しい声。

二、三年前に再婚したが、ご主人に亡くなられて、
毎日、仏壇の「お父ちゃん」とおしゃべりするのが楽しみと言っていた。

ここしばらくは世間とのお付き合いも中休みしていたが、
あれから半年あまり、傷心も癒えて、
人づきあいする気持ちになったのであろうか。

「またご一緒に、お付き合いしはったら、お気持ちもまぎれますよ」

夫人はちょっといい淀み、
いい家庭に育ち、最初の結婚も幸せで温和な人柄、
だが、声が沈んでいる。

「お父ちゃんの四十九日が済むと、
息子さんたちが私の籍を抜いてしまいましてね」

飯塚さんは家を追い出された。
今は自分の財産といささかのもらった金で、
宝塚にワンルームマンションの一室を買って、
そこに独り住まい。

「それはええのんですけど、
お仏壇も取り上げられたので、お寺さんにお願いして、
お位牌を別に頂いて拝んでいます。
歌子さん、お金の話になると、人間変りますわねえ・・・」

今ごろ何を言うているのや。
昔から決まったこと。

「ま、何にしても、また遊びましょうよ」

「ほんと、これからも友達でいましょうよ、ずっとね、私たち」

私は春の夕暮れの甘い空気を胸いっぱい吸い込み、
たのしく足を運ぶ。肩に桜の花びらが散りかかる。

姥こそ、身勝手に生きればいいのだ。






          


(終了)

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