・私が以前、病気をしたときはお政どんが来てくれた。
おトキどんは、家の裏山で、私の電話を聞いて、
急いで刈ったというドクダミをいっぱい持ってきてくれた。
これを風呂に入れ、ドクダミ湯にすれば、
「ようあったまって、腰痛なんかすぐなおります」
十薬といわれるドクダミは、薬を十種あわせたほど効果がある薬草。
陰干しにしたものも持ってきてくれ、お茶代わりに飲むと、
高血圧や便秘、風邪にいいという。
「アカザの葉ぁも、ちょぴっと積んで参じました。
みそ汁の実に入れると高血圧によろしごあんねん」
ドクダミ風呂をおトキどんが用意してくれてる間に私は、
山永夫人、飯塚夫人に電話した。
山永さんはびっくりし、ちゃんと養生するように、
人手が要るようだったら、と言ってくれたが、
これは礼を言って辞退した。
飯塚夫人は二年ばかり前、再婚した人である。
古いわらべ唄で心通わせ、
いまだに夫婦の話題は尽きることがないという。
「まあ!もちろん養生なさらないといけませんわ。
信州はいつでも行けますもの」
その再婚したお父ちゃんは戦友会で四国へ行くので、
その留守中に計画したので、
「でも、ご主人のお留守って、滅多にないんでしょう?残念やわ」
「大丈夫!うちのお父ちゃんはやさしい人やから、
いつでも行かしてくれますわ。快うなりはったら行きましょ。
どうぞお大事に」
そうこうするうち、
「ドクダミ風呂、でけましてござりま。
ようぬくもって、じ~~っとおつかりやしたら、じきに治ります」
「そうか、おおきに」
誰かが何かしてくれるって、こんな幸せなことがあるやろか、
と、ふと目頭が熱くなった。(目がうるむのも老いのはじめや)
珍しい体の不調に足取りも目頭もつい、失調したのであろう。
人間は、普段はともかく、いざとなったときは一人で生きにくいもの。
群れて生きる、というのは人間の本質なのかもしれぬ。
おトキどんも私の婚家が嫁入り支度をして、
西九条の鉄工所へ嫁づけたが、
戦後は夫の在所の池田へ帰って、しばらく百姓をしていたが、
現在は近郊の土地の値上がりでえらい資産家になり、
畠を作り、自給自足で安気に暮らしている。
「ほんまいうたら、こんな狭いお風呂や無うて、大きいお風呂・・・
うちのお風呂でご寮人さんを養生おさせしとうござります」
「おおきに。けどこのドクダミ湯のおかげで、
ほんに、心持ちもようなった・・・」
目の粗い木綿袋にドクダミは詰め込まれ、
口を絞って結ばれている。
独特のきつい匂いであるが、
ハート型の葉から玄妙な霊汁がにじみ出るのであろう。
「ご寮人さんのは『つかいたみ』というもんでごあっせ」
つかいたみ、というのは、
使い傷みで、略して大阪弁では「つかいたみ」といっている。
(次回へ)