・村上天皇の妃、安子は師輔の娘なんですけれど、
安子姫は早くから、村上天皇が皇太子の時代からお妃になっていて、
父親が大変勢いのある師輔ですし、他の人を乗り越えて、
皇后になり、しかも皇子をたくさん生みました。
その第一皇子がのちの冷泉天皇です。
村上天皇の本当の第一皇子は、
異母兄の広平親王という方です。
広平親王の生母は祐姫(すけひめ)で、
この方の父は大納言の藤原元方、
安子姫の父が時の右大臣、師輔であるのに比べると、
その実力は天と地ほど差があります。
広平親王は皇太子(次の天皇)になれませんでした。
一方、安子姫の生んだ皇子は生後三か月で皇太子に立てられ、
広平親王の生母、祐姫と祖父の元方大納言は、
恨み死にみたいに死んでしまいました。
冷泉天皇の狂気は広平親王一派の祟りではないかと、
信じられていたそうです。
安子という皇后(この時代は中宮と呼びます)は、
大変な身びいきで兄弟思い、藤原氏のために尽くさねば、
と考える自我の強い女性だったらしい。
村上天皇の後宮に芳子という女御がおられ、
絶世の美人と言われた方でした。
安子中宮はこの方に嫉妬されました。
天皇は芳子女御の所に入りびたりになっておられ、
安子中宮は壁に穴を開けてのぞかれたという。
まあ、なんて美しい女御なんです。
ご自分の方はすでに数人のお子さまを生んでいらっしゃる。
(安子中宮は三十八才で八人目のお子を生む時に亡くなられたました)
嫉妬でムラムラきた安子中宮はその辺にあった、
土器のかけらを穴から投げつけました。
何て人間的な方でしょう。
このかけらが女御の袖に当たりまして、
滅多に怒られない天皇なんですが、
大そう立腹されて安子の兄弟たちの勅勘、
(宮中出仕さし止め)を決められたのです。
これには安子中宮、血相を変えて天皇のところへ行き、
勅勘をお許し下さいと膝詰め談判をなさった。
安子中宮はきびきびしていて、
自分の思う通りに行動していられた。
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・安子中宮が藤原一族のよりどころになったように、
その次の時代、兼家の娘、詮子が、
兼家の子、道長の娘、彰子が、
これまた藤原一族の大変な力になる。
村上天皇の第十皇女の選子、
この選子内親王は五代の斎院といいまして、
(斎院とは賀茂神社に奉仕する未婚の皇族女性)
斎院になられるのは、天皇が即位してから一代限り、
ということになっているのですが、
この方は、円融、花山、一条、三条、後一条
五代の間お勤めになった。
安子中宮は村上天皇に愛されて八人のお子を挙げられ、
そのうちお二人までが天皇の位にまでなられて、
国母となられた。
けれど晩年は傷心の時代があったのでした。
安子姫の下に登子(とうこ)という妹姫が、
村上天皇のご兄弟、重明親王のもとへ嫁いでいらした。
それでよく妹姫を宮中へ呼んでいました。
村上天皇は色好みの君でして、
この美人の義妹に夢中になってしまわれ、
安子中宮に何とか橋渡しを頼まれる。
あんまり天皇がせっつくものですから、
見て見ないふりをして数回会わせてあげられた。
と「大鏡」に載っています。
そのうち、重明親王が亡くなってしまわれた。
天皇はもう大っぴらに登子姫を宮中に引き入れて愛された。
安子中宮は大変苦しんで困られたのではないか、
と想像します。
安子中宮は蜻蛉のように日記を書かれませんでしたので、
安子中宮のお心の中はよくわかりません。
それに、清少納言、
(この人は定子中宮に仕えて中宮を讃美しました)
のようなものを書く女房もいませんでした。
千年後になって、どんなに恵まれていても、
内へ入ると女の人は私的な部分で、
苦しみや悩みが多かったんだろうな、と想像します。
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・安和の変。
安子中宮がお生みになったお子さまのうち、
冷泉天皇が狂気の君なので、
次の皇太子にしっかりした人を立てなければいけない。
すぐ下の為平親王という方です。
この方は冷泉天皇と正反対の立派な方でした。
村上天皇、安子中宮もみな為平親王が、
当然次の皇太子、そして天皇になるだろうと思っていました。
為平親王は十五才で結婚されました。
お相手は源高明の娘です。
高明は村上天皇の弟君。
天皇は宮中で結婚式を挙げさせる気の入れ方でした。
ところが為平親王は皇太子にならなくて、
次は円融天皇、お名前は守平親王という弟宮が立てられました。
もし、為平親王が天皇になると、
今度はお妃の父ということで源高明が出てくる。
高明は源氏ですから、
源氏の方へ政権が移ってはいけないという、
藤原一族の画策であった。
源高明は藤原氏の策によって阻止されたのです。
しかし、やがて奇怪な事件が起きます。
源高明は為平親王を擁して謀反を計っていると、
密告した者があり、高明は大宰府へ左遷され、
政権の座から蹴落とされてしまう。
謀反を計ったという証拠などあるはずはなく、
高明も顕官の一人ですから、
(冷泉天皇の狂気はどうも困ったものだ)
くらいは座談で言ったのでしょう。
そういう言葉尻をとらえられて、
罠にはめられたのでしょう。
為平親王も高明の娘と結婚しなければ、
帝位につけたのかもわかりません。
(1 了)