「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12、カモカ連

2022年02月26日 08時44分04秒 | 田辺聖子・エッセー集










・今年で阿波踊りも四回目になる。
実に不思議なご縁である。

「徳島のご出身ですか」とよく聞かれるが、
私は大阪生まれの大阪育ち。

母は岡山の出だから、山陽道に縁戚縁辺は多いが、
海を渡った四国には全く何の関係もなかった。

人生の契機というものは面白いものだ。

ことの起りは、私が日本経済新聞に連載した、
「中年ちゃらんぽらん」という小説であった。

連載中に私は信州の松本へ取材に行った。

昭和五十二年の六月、
はじめて山開きしたばかりの雪の立山から大町を通って、
松本へまわる旅であった。

松本市郊外の崖の温泉に泊まった時、
どういうきっかけからか、阿波踊りの話が出た。

メンバーは日経の編集局の人と、
挿絵を描いて頂いた高橋孟氏。

それに私と主人の四人で、
中年者ばかりの楽しいメンバーであり、
泊まり泊まりのうちに打ちとけて、
小説についても扇動やら入れ知恵やらアイディアが飛び交った。

その旅ははなから終わりまでテーマが「中年」であったため、
戦中派中年の特色も話題にのぼった。

1、英語に弱い。
2、ダンスが出来ない。
3、出されたものはみな食べる。

「社交ダンスもゴーゴーも出来ないが、
かといって盆踊りも出来ない」

中途半端世代、谷間世代であるという話から、
孟さんが徳島ご出身なので、

「阿波踊りは都会の空き地や団地の広場の盆踊りとは違う。
これは中年もみな踊っている」と。

いろいろ阿波踊りについて聞くことになった。

すると、成り行き上、「見に行こか」になり、
また成り行き上、「同じことやったら、みなで踊ろ」
ということになった。

「そろいのユカタとなると、四人では貧弱や。
募ったら神戸の連中たくさん来るかも知れん」

「東京の編集者も来たい人はいるかも知れん」

「それなら、連を作って」ということで、
「カモカ連」という名前が出来上がり、
ユカタも孟さん描く「カモカのおっちゃん」の似顔絵を散らそう、
ということになった。


~~~


・六月初めのことで、もう阿波踊りまで二ヵ月しかない。
急な話で、親戚の方々はさぞビックリなさったに違いない。

来年となると、気が抜けてしまう。

ユカタの手配はともかく、難関は宿の確保。
「かめへん、この際、軒下でええ」と、
電話でハッパをかけていた。

それに続く二ヵ月というのは全く戦争騒ぎで、
これ、ご当地の孟さん及び奥さんのご縁戚のご尽力がなかったら、
到底実現できなかったであろう。

第一回は七、八十人がそろい、「カモカ連」のユカタに身を包んで、
灯のまばゆい演舞場をどうやら踊り抜けたのであった。

みんな初めてのことで、不安でいっぱい。
男性の中にはキマタのはき方もわからない人、
印籠を首にかける人・・・

女性たちも、帯を結んでもらい、鳥追笠をかぶった格好が、
嬉しそうであった。

阿波踊りへ行ってみると、
私は小説の結末は、はじめ違う風に考えていたが、
ラストはこのシーン以外にないと思われてきたのだった。

阿波踊りは、テンポが早いので、
いったんコツをのみこむと体が覚えてしまう。

神戸には祭りにサンバを踊る習慣があるので、
阿波踊りもその要領でこなす人が多い。

何百人の連がそろいの衣装でくり出すさまは迫力があり、
エネルギーに満ちたもので、他の踊りにない明るさがみなぎるのがいい。

日本の盆踊りというと、
哀々切々たるしらべにしんみりした踊りが続くが、
これはその土地の人々でないと、
よそ者には消化しきれぬうらみがある。

それに比べると阿波踊りはモダンで都会的で、
今の若い人たちが溶け込みやすい雰囲気を持っている。

それに町全体が大人の秩序を保ちつつ、
楽しんでいるところがいい。

「カモカ連」には九州、東京、神戸、大阪と、
ちゃんと税金を払っている大人が参加していて、
一年に一度の憂さを散ずるのを楽しみにしている。

一行の中には肩書きのあるエライさんもたくさんいるが、
徳島へ来るとそれは一切抜きにして、
ただの「カモカ連」の踊り子になる。






          

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