
・私はもう半世紀、大阪とその周辺で暮らしている。
大阪、尼崎、神戸、伊丹と小さい輪を描いてまわっている。
時々、脱出しようかと思うが、
(いやいや、美味しいおうどんが食べられなくなる)
と思うと出られない。
実際出てしまえば、案外適応するかもしれないが。
本当は、物書きは一所不在でなければならない、という気持ちで、
どこに住んでもよいと自戒しているが、
これが、死ぬまで永住となると(待った!)の声がかかるのだから、
意気地がない。
こうも私を近畿圏にしばりつけておくものは何かというと、
うどんもそうであるが、食べ物が美味しいのだ。
ことに野菜がいい。
関西特有のやわらかい水菜やかぶら、
ナスといった美味しい野菜が買える。
市場には「明石の昼網とれとれ」の魚が並んだり、
神戸へ出ると牛肉を買い、京都へ行けば錦市場へ足をのばして、
琵琶湖の小魚のたぐい、湯葉、漬物、ゆずみそを少しずつ買って楽しむ。
美味しいものは諸国にあるが、
近畿地方は都会と田舎の混ざり具合がうまくできていて、
流通の按配がいい。
海山の美味しいものを食べ慣れて、
うどんのお汁(つゆ)も色は淡いのに味は濃い、という、
まったりしたものになった。
こまごました美味しいものを作るのは、
上方の温暖な気候であろうか。
特に阪神間の気候は人間の肌に、
いちばんあたりがやわらかいように思える。
そういう中で暮らしていると、
人は切り口上でものが言えなくなってしまう。
白黒をつけることは出来ない。
うやむや、なあなあのうちに、
「それもええけど、こっちゃもよろしデ」
「ぼちぼち行きまひょ」ということになる。
他国の人が聞かれると、
これらはじれったく歯がゆく思われる言葉で、それを生む精神風土は、
「何もそない、角立てんかて、
いつかはまたお世話にならんとも限らんし」
という曖昧模糊としたもの。
白黒の決着は自分一人の胸ではついているが、
それをぶちまけて、あとの収拾がつかなくなる、
という、そういうことはしない。
商売人の感覚で、
「いつ、どこで、回り回ってまた顔合わせんならんかもしれん」
と思い、糸ほどの細いつながりでも残しておく。
大阪では「あの人、商売人やな」というのは、賛辞なのだ。
それからまた、私にとって、この辺に住む楽しみは、
歴史のふところが深いことである。
京都、奈良はむろん、大阪近郊でもなつかしい地名が随所に残り、
(近ごろは便利さを重んじ、古い由緒ある地名が抹殺されることが多い。
あれは郵政省の横暴、怠慢である)
そぞろ歩きしながら、それを拾う楽しみは格別である。
近畿地方は私鉄がよく発達しているので、
かなりのところでも日帰り出来る。
大和の古い山野を歩いて「古事記」や「日本書紀」「万葉集」
に出てくる地名を見つけたりした時の心ときめきを、
どう言おうか。
地図には載っていなくても、それを見つけたりする。
古い歴史の風土に生まれ、住んでいるということは、
私をたいそう落ち着かせ、くつろがせる。


