「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、姥ざかり ②

2025年01月25日 08時58分21秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・この間、
お花仲間の竹下夫人のところへ、
まわした縁談の結果も聞かないといけない

男の方から、
おつきあい願いたい、
という電話が入っているのだ

相手の娘さんは、
竹下夫人の知人の娘である

そのあと午前中に、
向かいのビルの医者へ行って、
午後は油絵の会へ行き、
ついでに近いから、
長男の家へまわろうか

そういえば、
次男の所も三男の所も、
ここしばらく電話がない

ひと月になんべん電話するか、
私は帳面につけていてやるのだ

嫁はいずれも四十代、
受験期の子供を持っていて、
手が抜けない、
なんぞぬかして、
手紙一本よこさない

私は一人暮らしが好きで、
一人で暮らしているのであって、
長男は同居せい、
といってくれている

西宮にある家は、
亡夫と私とで建てた家で、
名義は私である

私の部屋もそのままあるのだが、
嫁や大きい孫と住むのは、
わずらわしいのだ

それで東神戸に十階建てのマンションが、
出来たのを幸い、
その八階の一戸を買って住んでいる

ここは神戸にも大阪にも、
電車の便がよく、
行動するのに具合よい

マンションからは海も見え、
特に夜景がすばらしいのである

これは息子名義になっていて、
嫁は悔しがって、

「お母さんが西宮に住みはって、
私たちがそのマンションに住んだほうが、
ええ、と思いますけど、
西宮には庭もあるし、
土いじりができて、
日当りもいいですわ

年からいうと、
マンションは若い者のほうが・・・」

というのだが、
あほらしい

私ゃ、
土いじりも庭もきらいだ

マンションは日当りもよい

湯が出て、
鍵一つで外出できて、
清潔で簡便だ

西宮の家は二階建てで、
いやに大きいが、
やれ草むしりだ、
やれトユが詰まった、
生垣の手入れだ、
雨漏りだ、
門柱がどうかした、

と文句のいい通し、
一戸建てというのは、
まことに手がかかって、
面倒で不経済

「でも町内は古いなじみですし、
お母さんもそんな箱みたいなところに、
ぽつんと一人でいてはるより、
ここやと近所に、
話し相手もたくさんいますわよ」

と長男の嫁の治子は、
やっきになっていう

「やれやれ、
何が悲しくて、
近所づきあいせんならん
私はマンションへ来て、
心からほっとしてるんやわ

隣の住人が何してる人やら、
顔も見たことないし、
こんな気楽なことはじめてや
私ゃ近所隣は嫌いや」

「それでも一人で住んではったら、
みんな心配です」

「ふん
死ぬときは死ぬときや」

「私がお母さんを、
追いやったように、
親類にいわれたりしますしねえ」

長男の嫁の真意は、
息子名義のマンションで暮らして、
自分たちは水入らずになりたい、
というところであろう

そうして、
西宮の家には、
次男か三男が入って、
私と同居すればいい、
というところらしい

そう何もかも思い通りに、
いくものか、
とりあえず私は、
快適なマンションの一人暮らしを、
楽しんでいるのだ

「お母さんぐらい、
幸せな人はないでしょうねえ」

と嫁たちがいうと、
カッとくるのである

「お金は持ってはるし、
贅沢なマンションに暮らしてはって、
気ずい気ままの生活やし」

といわれると、
何をいうてるねん、
お金は今まで苦労した、
年金みたいなもので当然、
気ずい気ままというけれど、
どこを見ても腹立つこと、
気にいらぬこと、
じれったいことばかり

どれもこれも頼りない上に、
物知らず、考えちがいばっかり、
いちいちカッとしているのだから、
なんで気ずい気ままになれようか

そんな世捨て人みたいな平和を、
楽しんでおれますかいな

朝食は、
グレープフルーツと、
紅茶にトースト、
目玉焼きである

紅茶はティパック一袋で、
二杯飲む

トーストはバター、ジャムを、
つけるのが決まりである

いつぞや、
次男の家に泊ったら、
即席みそ汁と漬物、
梅干しを出した

こんな貧乏たらしいものを、
朝から食べているのかいな

「いえ、
いつも朝は抜きです
忙しいから・・・
お母さんが来はったから、
特別に作りました

お年やよってに、
アッサリしたもんの方が、
ええやろ思うて」

と次男の嫁の道子はいう

なんで年よりなら、
味噌汁に漬物と決めるのだ

年よりだって、
洋食の方が好きなのもいる

そのせいか、
次に三男の家で食事をしたら、
洋風であったが、
出来あいのハンバーグに、
これまた固形コンソメの素を溶かした、
即席スープであった

三男はそれをサカナに、
ビールを美味しそうに飲んでおり、
それはそれでもよいが、
育ち盛りの中学生の子供たちが、
あわれである

「いえ、
私がひき肉から作るより、
この方が子供らは喜ぶんですよ」

と三男の嫁の須美子はいっていたが、
私なんか箸もつけられない

不味くて脂がコテコテして、
結局持っていった海苔で、
食事を済ませた

「あら、お母さんて、
若向きの料理の方がいい、
というお話やったのに、
やっぱりアッサリ好きですか」

と嫁は不服そうにいい、
どうやら嫁同士、
情報交換しあっているらしい

「アッサリ好きでも、
ひつこいもん好きでもありません
私ゃ、うまいもん好きなのよ

インスタントの料理が、
舌にあわないだけなのよ」

といってやったら、

「お口にあわなくてすみません!」

といい、
三男の嫁は四十を出たばかりであるが、
いちばん気の強い奴で、
いちばんカチンとくる奴である

こんな連中と一緒に住めるか!
一人暮らしがいちばんなのだ






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1、姥ざかり ① | トップ | 1、姥ざかり ③ »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事