「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、姥日和 ②

2025年02月04日 09時11分56秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・といって、私は、
べつにこの年になって、
現役の采配をふりたいわけではない

浮世の苦労は、
もうしつくした

あとは課外の自習時間である

そのため、
長男にも次男三男にも分けない、
自分名義の資産をとりのけておいた

そうして、
この年になれば怖いもんなし、
で、いやなことはしないのだ

仏壇のお守り、法事、ワビ、サビ、
お茶、日本趣味もいや

(姑を見ていて、
骨身に徹して、
反発したからかもしれない)

老人っぽい色彩・風態もいや、
老人のつきあいもいや、
なのだ

そうだ、
親類の話をしていたのだった

年寄りは親類好き、
などと決めつけないでもらいたい

私は船場へ嫁に来て、
うるさい親類に悩まされつづけた、
反動かもしれないが、
しかし私の身内にも、
あまり会いたくないのだ

古い親類が死んだり代替りして、
やっと縁がうすくなったと思ったら、
また新しい親類ができた

三人の息子の嫁の身内である

親類縁者というものは、
入れ代わり立ち代わりあらわれて、
人を悩ますものである

まったく天涯孤独というのも、
侘びしいであろうから、
私がこういうのも、
贅沢の一種にちがいないが、
しかし血のつながらぬ、
義理の縁者というものは、
血縁よりも始末にこまるものである

粗略にすると怒るし、
親密にするほどの、
情味もわかないという、
全く外交手腕だけに頼る関係である

すなわち、
わが子の連れ合いの身内がそれである

その中でも、
ことに女は扱いにくい

嫁の母親なんていうのは、
全く苦手である

三人の息子の嫁に、
それぞれ母親がいまも健在で、
まあ、めったに会わないけれど、
何年に一度か顔を合わせると、
挨拶が長々しいので、
面食らってしまう

次男の嫁のお袋がことにいけない

私はこの人の顔を見ると、
逃げ出したくなる

三男の嫁の父親の葬式で出会ったが、
いったん挨拶をはじめると、
とどまるところを知らず、
一時間くらいやっている

あんなものは、

「こんにちは」

「ごきげんさんです」

ですむのだ

その夫人が私のところへ、

「ちょっとご挨拶に」

やって来たいと電話してきた

この人の息子夫婦が、
この近くへ引っ越したので、
ついでといったら何だが、

「お近くに参りましたのに、
ご挨拶にも上がりませんでは、
志失礼に当たりますから」

というのだ

べつに失礼にはあたらない

用もないのにやって来て、
他人の貴重な時間を奪うほうが、
よっぽど失礼である

しかしさすがにそう、
むきつけにいえないので、

「いいえ、
わざわざお越し頂かなくとも、
結構ですわ、
お忙しいでしょうに」

と辞退したら、

「いいえ、
わざわざじゃございませんのよ、
息子のところへ参りますので、
そのついでで・・・
ま、ついで、なんて申しあげて、
失礼いたしました
それに私は、
べつに忙しくはございませんもので、
お気遣いご無用でございます」

そっちは忙しくなくても、
こっちは忙しいのだ

この夫人は背が低くてよく太り、
顔も手も丸々している

そして甘いもの好きで、
それもねっとりした和菓子を好み、
ていねいな長口上のあいだに、
よく召しあがる

髪は不自然に黒く、
染めているらしい、
太っているので、
着物の衿もとはつねにはだけている

紙問屋の会社の社長夫人で、
家は帝塚山である

まず、
無沙汰のおわび、
それから天候の話、
次男夫婦の話、
孫の進学について、
長男と三男の子供の出来ぐあいの比較、
娘自慢(私には嫁である)
娘のきょうだいの子供の自慢、
自慢話がひろがって、
海外旅行自慢、
買い物自慢、
住居自慢、
着物自慢、

「まあ、長いこと、
お邪魔してしまって」

が出てから、
更に一時間、
私はしまいに顔がこわばり、
のどはからからになり、
とうとうあからさまに、

「実は今日、
出かけるところがありますので、
ごめんなさい、
ゆっくりお話をうかがいたいのですが」

とにこやかにいってやった

夫人は大仰に驚いてみせ、

「あらまっ、
そうとは存じませず、
長居をいたしました・・・」

(早く帰れ、帰れ)

と私は心中いっている

夫人はそれとも知らず、

「こんどまた、
おひまの折にはぜひ、
お邪魔させて下さいませ、
ご趣味が広くていらっしゃるんですってね
私も何かてほどきして、
頂こうかしら

私はお茶を二十年ばかり、
小唄を主人と一緒にやりはじめて、
五、六年で、
どれもまだかけだしで、
お恥ずかしゅうございます・・・」

(わかった、わかった、
おしゃべり婆め)

「ほんとに長いことお邪魔して・・・
いえ、ね、
こう長くお邪魔するつもりでは、
なかったのですけど、
せっかくお近くにまいっていますのに、
ご挨拶にも上がりませんでは、
失礼に当たりますから、
ほんのちょっとお顔だけ拝見して、
と思いまして・・・」

(何べんいうとんねん、
あほちゃうか)

それからやっと押し出して、
私はエレベーターへ送っていった

このマンションは、
コの字型に建っていて、
両端に階段がつき、
まん中の奥にエレベーターがある

エレベーターを待つ間も、
夫人はしゃべりつづけている

またエレベーターも、
中々来ない

建物が新しいので、
エレベーターも最新設備のもの、
かなりスピードがあるので、
昇り下りは早いはずだが、
階下で引っ越しでもあるのかもしれない






          


(次回へ)

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