
・玉蔓は源氏の足音が消えるまで、
身じろぎもしないで、
恐ろしそうにすくんでいた。
年を重ねていても、
玉蔓は世なれず、
男女の道に暗かった。
都育ちの早熟な少女と違って、
素朴な田舎暮らしの明け暮れ、
側の乳母や乳姉妹も、
まじめな堅気の女たちだったので、
軽やかな色ごとめいたたわむれ、
きわどいすれすれの情事の遊びのかけひきを、
夢にも経験したことがなかった。
突然、現実の男に言い寄られ、
抱きすくめられたので、
玉蔓は混乱してしまったのだった。
しかも、かりそめにも、
「お父さま」と呼ばされていた男性だから。
玉蔓にとって、
男女の道というのは、
具体的知識があるわけではないので、
源氏のとった行動以上のことがあろうとも、
思えない。
(とりかえしのつかないことになってしまった。
どうしたらいいのかしら・・・)
死にたいように思っている玉蔓の心も知らず、
女房たちは、
「源氏の君はほんとうにおやさしく、
お姫さまのお話相手をして下さいますね」
と感心し、
「実の親でもああまで可愛がって、
お世話なさる方はありません。
ありがたいことです」
と言い合っていた。
しかしまさか源氏が、
その埒を越えて、
男女の愛に大胆にも踏み込もうと、
しているとは知らない。
玉蔓が、乳母にも打ち明けられず、
悶々と一夜を過ごした翌朝、
源氏から手紙がことづけられたが、
玉蔓は見る気もしなかったが、
女房たちの手前、
そんなわけにもいかなかった。
白い紙に、
「まだご機嫌はなおりませんか。
おそばの人は何と思うでしょう。
いつまでも子供じみた風をしないで、
早く大人になりなさい」
と親ぶって書いてある。
歌の意味は、
ほんとうの関係が成立したわけでもないのに、
なにをくよくよ心配しているのです、
というようなもの。
玉蔓は返事をしたくなかったが、
女房たちの手前、
まじめな風情の厚ぼったい陸奥紙に、
「拝見しました。
気分がすぐれませんので、
お返事は失礼」
とだけ書いて持たせた。
源氏は受け取って、
(面白い。
しっかりした女だ。
相手にとって不足はない)
などとよけいに玉蔓に、
関心と愛情を寄せるのだから、
困った好色心である。
源氏はしばしば言い寄った。
玉蔓は身のおきどころもない思いで、
物思いがこうじて病気になってしまった。
(こんなことが世に知れたら、
どんな物嗤いのたねにされることであろう。
実のお父さまも、
もしわたくしがこんなことで困っていると、
お知りになれば、
わたくしの至らぬためと、
お蔑みになるのであろうか)
などと思い乱れ、
ますます憔悴していった。
そんなことも知らず、
玉蔓への思慕に心焦がす、
兵部卿の宮と髭黒の大将は、
どちらも熱心に手紙をよこして、
求婚していた。



(了)