・玉蔓の悩みは日ごと深まる。
源氏はひと気のない折は、
ただならぬ懸想の心を口にする。
玉蔓は胸がつぶれた。
兵部卿の宮は、
むろん、源氏が玉蔓に言い寄っていることなど、
夢にもご存じない。
それで熱心に求愛の手紙を送ってこられ、
返事を待ち焦がれていられた。
五月は、
結婚のためには忌み月だと世間ではいう。
兵部卿の宮は、
「もう少しお側近く寄ることを、
お許し下さい」
と言って来られた。
源氏は男たちの恋文を見て、
「焦れているな。
面白いではありませんか」
と、こういうお返事はどうだと、
示唆するのであるが、
玉蔓は、源氏のそんなやり方がうとましく、
返事を書かずにいた。
玉蔓に仕える者は、
急いで集めた女房が多かったので、
頼もしい人がいなかった。
ただ、母君、夕顔の叔父に、
参議なる人がいたが、
その人の娘で宰相の君というのを、
探し出してそばに置いていた。
字などもよく書き、
人柄もいいので手紙の返事は、
彼女に代筆させることが多い。
源氏は玉蔓が逃げてばかりいるので、
宰相の君に返事を書かせたりする。
玉蔓は、
兵部卿の宮にふと心ひかれる折があった。
宮に愛を感じたのではないが、
うわべは親顔をしながら、
言い寄ってくる源氏のうとましさに、
(いっそ宮のいうままになれば・・・)
などと女めいた分別がついて、
考え込んだりした。
宰相の君が、
源氏にいいつけられて、
どんな文をさし上げたのやら、
兵部卿の宮は色よい返事と喜ばれて、
玉蔓を密かに訪れられた。
源氏が忍んで様子を見ようと、
待ち受けているのもご存じない。
廂の妻戸に宮の座を参らせて、
几帳だけをへだて、
玉蔓は近くにいる。
宮が何か言われると、
宰相の君がお返事する。
兵部卿の宮はしんみりしたご気配で、
あでやかな男ぶりでいられる。
「今宵は、姫君のお声を間近にお聞かせ頂いて、
私の心を引き留めて頂きたいのです。
人づてのお返事ではなく・・・」
物静かなおとなの男の言い寄り方に、
源氏は、
(なかなかやるな)
などと面白そうに聞いている。
玉蔓は、部屋にひきこもって出ようとしない。
宰相の君が、
「宮さまは、
ああ仰せられていられます」
源氏も口を添えた。
「こんな場合は、
自身でお返事なさるのが風流というもの。
いつまでも子供っぽく、
恥ずかしがっていてはいけない」
玉蔓は仕方なく、
几帳の内側へ入って坐った。
宮はその気配をお知りになって、
お話しを続けられる。
玉蔓が返事をためらっている、
その時であった。
源氏は玉蔓の側へ寄った。
几帳の帷子をひと幅あげると同時に、
ぱ~っと何かが光って、
人々を驚かせた。
それは蛍なのだった。
夕方、たくさんの蛍を、
薄衣に包んで、
源氏はさりげなく袖に隠しながら、
持ち込んだのを放ったのだった。
玉蔓は驚いて、
「あ」
と小さくつぶやき、
扇をかざして顔を隠したが、
一瞬、無数の青白い光に浮かび上がった、
横顔の美しさは宮のおん目にも止まり、
宮は息が詰まるように思われた。
(宮はまさかこうもこの姫君が美女とは、
思っていられなかっただろう。
蛍の光でみた美しさに目がくらみ、
宮はますます迷い込まれるに違いない)
源氏は、自分のたくらんだ趣向を、
おかしがっている。
実の娘なら、
こんなことはしないはずである。
源氏は騒ぎにまみれて自室へ逃げ出した。
兵部卿の宮は、
源氏の術中におちいって、
呆然としていられた。
蛍はやがて女房たちが追い払い、
再びあたりは薄闇に沈んだが、
宮はうつつ心もなくなってしまわれた。
<なく声も聞こえぬ虫の思ひだに
人の消つには消ゆるものかは>
(蛍の火でさえ消せません・・・
まして人の燃ゆる恋心が、
消せるものと思われますか)
宮は思いつめた声音で迫られる。
さすがに玉蔓は黙っていられなかった。
<声はせで身をのみ焦がす蛍こそ
いふよりまさる思ひなるらめ>
(燃ゆる恋心だの、
あこがれだのとおっしゃいますが、
もし本当の恋でしたら、
あの蛍のように鳴き声も立てず、
身を焦がしているだけではありませんか)
玉蔓はそっと奥へ入った。
宮は玉蔓のつれなさを恨まれながら、
世更けて帰られた。
玉蔓は源氏のたくらんだ趣向が、
不愉快だった。
なぜあの方は、
人の心をもてあそんで楽しまれるのだろう。
わたくしばかりか、
宮さままでも。
何も知らぬ女房たちは、
源氏の世話を、
「女親でも及ばぬような」
と感激しているが、
玉蔓は厭わしかった。
(次回へ)