36、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/7e/41969f3d4ca16af361436fda5d1d699f.jpg)
・紫の上は、
明石の中宮のお生みになった、
宮たちの中でも、
とりわけ自分が手元でお育てした、
三の宮と女一の宮が可愛かった。
この宮たちのご成長を、
見ずにこの世を去るのは、
名残り惜しい気がされる。
三の宮は今年五つになられる。
紫の上は気分のよい時に、
あたりに人のいないころ、
「わたくしがいなくなりましたら、
宮さまは思いだして下さいますか」
とおたずねすると、
「おばあちゃま、
どこへいらっしゃるの?
ぼくは御所の主上よりも、
中宮さまよりも、
おばあちゃまが大好き。
いらっしゃらなくなったら、
いやだよ」
涙をためていられる。
紫の上は微笑みつつ、
「大きくなられたら、
この二條院にお住みになって、
紅梅と桜は、
花の季節には忘れず、
眺めてお楽しみになってね。
時には花を仏さまにも、
お供え下さいね」
やっと秋になって、
いくらか涼しくなり、
紫の上は少し気分を取り戻した。
中宮はもう、
御所へ帰らなければならなかった。
紫の上は、
お引き止めしたいのであるが、
また主上も待ちかねていらして、
お使いがひまなく来るので、
そうも出来ない。
中宮が紫の上の、
お見舞いに東の対から、
おいでになった。
風が荒々しく吹く夕暮れ。
紫の上は、
前栽の景色を見ようとして、
起き上がって脇息に寄っていた。
源氏がやって来た。
「おお、今日は起きているね。
中宮のお顔を見ると、
気分がよさそうだ」
と嬉しそうにいった。
(ほんの少し気分がよいのを、
ご覧になると、
こんなに喜んで下さる。
もし、わたくしが亡くなったら、
どんなにお嘆きになるかしら)
源氏を置いて逝くのが、
紫の上は悲しかった。
「でももう、
だめです・・・
わたくしね、
萩の花の露を見ています。
ほら、風に乱れて散っていきます。
あんな風に命の露も」
源氏は耐えられなくなり、
「死ぬときはもろとも。
あなたを先立たせて長くは、
生きられない」
「お母さま、
花の露なんて、
さびしいたとえを、
おっしゃらないで下さいまし」
中宮は紫の上にすがって、
泣いていられる。
源氏のもっとも身近な女人たち、
紫の上、明石の中宮、
どちらも劣らぬこよない佳人、
この美しさをそのままに、
みんなで幸福に、
千年も生き長らえることが、
出来たらと思うが、
しかし、花の命を、
取り止めることは出来ぬ。
「どうぞもう、
あちらへおいで下さい。
気分がたいそう苦しくて。
横にならせて頂きます・・・」
紫の上は中宮にいい、
几帳を引き寄せて臥したが、
そのさまがいつもより、
弱々しげなので、
「お母さま、
どうなさいました。
しっかりなすって・・・」
中宮が紫の上の手を取って、
泣く泣くご覧になると、
消えゆく露のように、
紫の上は絶え入った。
臨終と見えたので、
たちまち、祈祷誦経の使者たち、
寺々へ立てられる。
邸内はざわめいた。
以前にもこうして絶え入って、
蘇生したことがあったので、
今度も、
物の怪のしわざではないかと、
夜もすがら祈祷したが、
その甲斐もなく、
夜の明けるのを待たず、
紫の上は亡くなった。
(御所へ帰らないでよかった。
お母さまのご臨終に、
おそばにいられたのだもの)
中宮は涙ながらに、
紫の上との契りの深さを、
あわれに悲しく思われた。
誰も彼も正気でいる者はない。
女房たちは呆然としている。
源氏はまして、
どうしていいかわからない。
乱れる心を鎮めるすべもなく、
夕霧がそばへ来たのを、
几帳のかげに呼んで、
「とうとうこんなことに。
この年来、
あんなに望んでいた出家のこと、
叶えさせずにしまったのが、
いとおしくて。
僧たちはもう帰ったらしいが、
それでも残っている僧に、
この人に仏の功徳を、
授けて頂いて、
暗い冥途のみちの、
光にしてやりたい・・・
髪を下ろすように、
いってくれないか」
そういいつつ、
源氏自身も死んだようになって、
悲嘆にくれ心は破れて、
涙が止まらない。
尤もなことだと、
夕霧は同情した。
夕霧は、
源氏よりもまだしっかりし、
僧たちに指図をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hawaii_plumeria.gif)
(次回へ)
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・紫の上は、
明石の中宮のお生みになった、
宮たちの中でも、
とりわけ自分が手元でお育てした、
三の宮と女一の宮が可愛かった。
この宮たちのご成長を、
見ずにこの世を去るのは、
名残り惜しい気がされる。
三の宮は今年五つになられる。
紫の上は気分のよい時に、
あたりに人のいないころ、
「わたくしがいなくなりましたら、
宮さまは思いだして下さいますか」
とおたずねすると、
「おばあちゃま、
どこへいらっしゃるの?
ぼくは御所の主上よりも、
中宮さまよりも、
おばあちゃまが大好き。
いらっしゃらなくなったら、
いやだよ」
涙をためていられる。
紫の上は微笑みつつ、
「大きくなられたら、
この二條院にお住みになって、
紅梅と桜は、
花の季節には忘れず、
眺めてお楽しみになってね。
時には花を仏さまにも、
お供え下さいね」
やっと秋になって、
いくらか涼しくなり、
紫の上は少し気分を取り戻した。
中宮はもう、
御所へ帰らなければならなかった。
紫の上は、
お引き止めしたいのであるが、
また主上も待ちかねていらして、
お使いがひまなく来るので、
そうも出来ない。
中宮が紫の上の、
お見舞いに東の対から、
おいでになった。
風が荒々しく吹く夕暮れ。
紫の上は、
前栽の景色を見ようとして、
起き上がって脇息に寄っていた。
源氏がやって来た。
「おお、今日は起きているね。
中宮のお顔を見ると、
気分がよさそうだ」
と嬉しそうにいった。
(ほんの少し気分がよいのを、
ご覧になると、
こんなに喜んで下さる。
もし、わたくしが亡くなったら、
どんなにお嘆きになるかしら)
源氏を置いて逝くのが、
紫の上は悲しかった。
「でももう、
だめです・・・
わたくしね、
萩の花の露を見ています。
ほら、風に乱れて散っていきます。
あんな風に命の露も」
源氏は耐えられなくなり、
「死ぬときはもろとも。
あなたを先立たせて長くは、
生きられない」
「お母さま、
花の露なんて、
さびしいたとえを、
おっしゃらないで下さいまし」
中宮は紫の上にすがって、
泣いていられる。
源氏のもっとも身近な女人たち、
紫の上、明石の中宮、
どちらも劣らぬこよない佳人、
この美しさをそのままに、
みんなで幸福に、
千年も生き長らえることが、
出来たらと思うが、
しかし、花の命を、
取り止めることは出来ぬ。
「どうぞもう、
あちらへおいで下さい。
気分がたいそう苦しくて。
横にならせて頂きます・・・」
紫の上は中宮にいい、
几帳を引き寄せて臥したが、
そのさまがいつもより、
弱々しげなので、
「お母さま、
どうなさいました。
しっかりなすって・・・」
中宮が紫の上の手を取って、
泣く泣くご覧になると、
消えゆく露のように、
紫の上は絶え入った。
臨終と見えたので、
たちまち、祈祷誦経の使者たち、
寺々へ立てられる。
邸内はざわめいた。
以前にもこうして絶え入って、
蘇生したことがあったので、
今度も、
物の怪のしわざではないかと、
夜もすがら祈祷したが、
その甲斐もなく、
夜の明けるのを待たず、
紫の上は亡くなった。
(御所へ帰らないでよかった。
お母さまのご臨終に、
おそばにいられたのだもの)
中宮は涙ながらに、
紫の上との契りの深さを、
あわれに悲しく思われた。
誰も彼も正気でいる者はない。
女房たちは呆然としている。
源氏はまして、
どうしていいかわからない。
乱れる心を鎮めるすべもなく、
夕霧がそばへ来たのを、
几帳のかげに呼んで、
「とうとうこんなことに。
この年来、
あんなに望んでいた出家のこと、
叶えさせずにしまったのが、
いとおしくて。
僧たちはもう帰ったらしいが、
それでも残っている僧に、
この人に仏の功徳を、
授けて頂いて、
暗い冥途のみちの、
光にしてやりたい・・・
髪を下ろすように、
いってくれないか」
そういいつつ、
源氏自身も死んだようになって、
悲嘆にくれ心は破れて、
涙が止まらない。
尤もなことだと、
夕霧は同情した。
夕霧は、
源氏よりもまだしっかりし、
僧たちに指図をした。
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