むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

35、夕霧 ⑩

2024年03月29日 08時39分11秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





(ユキヤナギ)







・少将の君の案内で、
塗籠に入ってきた夕霧を見て、

(みんな、
わたくしの味方ではなくなった)

と宮は、
女房の仕打ちを悲しく思われた。

夕霧は言葉を尽くして、
お話する。

宮は声を出して泣いておられる。

(いや、
どうしてこうお嫌いになるのか)

悲しむ妻の顔も思いだされ、
自分が招いたことなのだ、
と夕霧はためいきをつきつつ、
夜を明かした。

夕霧はその日一日中、
一條邸にいた。

塗籠の中には、
調度もなく、
内は暗いが、
朝日がさして明るくなった。

夕霧は宮の被いていらっしゃる、
衣をのけてはじめて、
ほのかに宮のお顔を見た。

この上なく、
気品高く女らしい方だった。

「私をご覧ください」

夕霧は宮にいう。

宮は夕霧に視線を当てられた。

微笑している夕霧は、
男ざかりの美しさがあり、
柏木よりも大人びて、
やさしかった。

柏木は、
宮のご器量が気に入らなかった。

あの頃より衰えている私の容色を、
夕霧も気にいるはずがない、
と宮はかたくなに考えて、
いらっしゃる。

父君の朱雀院、
舅の大臣が聞かれたら、
何と思われるだろうか、
宮はお辛くてならない。

「新しい人生が始まるのです。
宮さまにも私にも。
私にすべて任せてください」

夕霧はゆったりという。

朝の手水や食事は、
いつもの居間で出された。

喪中ゆえ、
家具調度は新婚の朝に、
ふさわしくないので、
東の廂の間に屏風を立て、
心にくくしつらえてあり、
大和の守の配慮であった。

夕霧という新しい主をいただいて、
邸内はにわかに活気づき、
羽振りのよい主がいられると聞き、
今まで勤めを休んでいた家司なども、
急いで参上した。

夕霧が一條の邸から帰ると、
若君たちが寄ってきて、

「お母さまが、
行っておしまいになったの」

幼い子たちは泣いている。

雲井雁は、
姫君たちと、
ごく小さな若君だけを連れて、
実家の父大臣の邸へ帰ってしまった。

(真面目な人が狂いだすと、
もとへ戻らないって、
ほんとうなんだ)

雲井雁は思い込んだ。

夕霧は、
妻の気強さが不快だったが、
舅の思わくもあるので、
日が暮れてから迎えに行った。

丁度、姉君の弘徽殿女御が、
御里帰りしていられて、
そちらへ話にいっていた。

夕霧は腹が立った。

「よい年をして何だ。
子供たちをほおり出して、
遊んでいるなんて」

「どうせ私など、
お見捨てになったのですから、
子供たちだけはお願いします」

雲井雁は顔を見せず、
返事だけよこした。

夕霧は強いて自邸へ帰れ、
とはいわず、
その晩は子供たちと寝た。

(一條の宮は、
今夜、私が行かないことで、
また思い乱れていられるのでは)

と思うと平静でいられない。

夜が明けて、
夕霧は妻にいった。

「あなたがいうように、
しばらく別れているかね。
姫君たちをよこしなさい。
私がここに逢いにくるわけにも、
いかないし、
三條の子供たちも、
淋しがっているから、
あちらで一緒に面倒をみる」

一條では、
宮はこのことをお聞きになって、
お心がふさいでいられる。

雲井雁の父の大臣は、
柏木の父でもあり、
心を痛めていた。

柏木の弟を使いにして、
宮へ手紙をことづけた。

「柏木との縁がうすく、
お気の毒に存じておりましたが、
このたびはまた、
娘のことでお怨みを、
思うことになりましょうとは、
こちらの立場もお考えください」

宮は、
人々にすすめられてようやく、

「物の数にも入らぬ私、
お心を悩ませることなど、
できるはずもございませんのに」

と、お心に浮かんだだけ、
お書きになる。

夕霧はそのご機嫌を取るのに、
あれこれ気を遣う。

夕霧には妻の雲井雁のほかに、
もう一人、
古くからの愛人、藤内侍がいて、
彼女とのあいだに、
五人の子供をもうけているが、
雲井雁と藤内侍は、
あたらしい恋仇の出現に、

「北の方がお気の毒です」

「まさか私が、
このような目にあうとは、
思いませんでした」

と珍しく、
心を通わせあう。

雲井雁には、
長男、三男、五男、六男、
次女、四女、五女の子供が出来、
藤内侍には、
長女、三女、六女、次男、四男と、
合わせて十二人の子供をもつ夕霧。

どの子も美しく才気がある。

藤内侍の三女と次男は、
花散里がたいせつに育てており、
源氏もかわいがっている。

女二の宮に執心する夕霧は、
律義者の子沢山というべき、
男であった。






          


(了)

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