「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

21、胡蝶 ③

2023年12月15日 07時56分57秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





・玉蔓のいつも考えていることは、
実の父に会うことであった。

親でもない人の邸に養われる、
不安定な運命に、
辛い気持ちを持っていた。

「物ごころつかぬ頃から、
親はいないもの、
と思って育ったのでございます。
・・・親のように思え、
とおっしゃって下さいますのは、
嬉しいのですが、
どう考えてよろしいやら」

と、玉蔓が当惑したように言うのを、
源氏はもっともなことだ、
と聞いた。

「生みの親より育ての親、
といいますから。
私の気持ちも追い追いに、
おわかりいただけます」

源氏は、
玉蔓が日一日と好もしく、
愛しくなりはじめている。

「いい子なんだよ。
なつかしい人柄の女人だ」

源氏は、紫の上に、
玉蔓をほめていた。

「そうみたいね。
あなたがお好きになるはず、
お目にかかったとき思いました」

紫の上はうなずいた。

「あの子の母(夕顔)なる人は、
あまりにやさしすぎて、
頼りなかった。
しかしあの子は聡くて、
しかも才気あり、
愛嬌もあり、
申し分ない」

「かわいそうなあの方、
そんな方が、
何もご存じなく、
あなたに頼っていらっしゃるなんて」

「どうして、
私に頼っていて、
かわいそうなんだね」

「だって、
わたくしのときもそうでした。
あなたをお父さまか、
お兄さまのように、
頼りきっていて、
とんでもないことに、
なってしまったのです。
あの頃はどんなに、
あなたを怒ったり恨んだり、
しましたことか・・・
あの方が、
実の親のように頼っていらして、
またわたくしと同じような目に、
お会いになるのじゃないかしら、
と思ったから、
お気の毒に、
と申しました」

「変な邪推はよしなさい。
もしそうなら、
聡いあの人はすぐ察するはず」

源氏はやましい所があるので、
急いで話を切り上げた。

しかし、
紫の上の推量どおりに、
押し流される危うさを、
自分でも気付いている。

源氏は玉蔓のことが、
気になってならないので、
しばしば西の対へあいに行った。

雨上がりのしめやかな空に、
庭の柏の木が青々と茂って、
さわやかな夕べ、
玉蔓の部屋をのぞくと、
姫君は手習いなどして、
くつろいでいた。

源氏が来たので、
居ずまいを正したが、
やわらかな物腰に、
ふと昔の夕顔が思いだされて、
源氏はやるせなかった。

「だんだん、
あなたは亡き母君に、
似てきますね。
もしや、
あの人が生き返って、
目の前にいるのかと、
思うばかりです・・・」

源氏は玉蔓を抱きしめてささやく。

「わたくしが母に似ていますなら、
きっと母と同じように、
はかなく消えてしまいます・・・」

と答えた。

「私は青春が、
もう終わったと思っていた。
ところがまだ燃え尽きてはいなかった。
それを知らせてくれたのは、
あなたです」

「まことの親と思え、
お父さまと呼べ、
とおっしゃいましたから、
わたくしはそう信じて参りました」

「そうだよ。
親子の情の上に、
もっと深い愛が加わるのだから、
こんなに深い縁はない」

源氏は動じないでほほえむ。

「兵部卿の宮や、
髭黒の大将などより、
私の愛はもっと深い。
あの人たちにあなたをやる気など、
当然ない」

女房たちは、
二人が仲のいい親子の語らいを、
続けているものと遠慮して、
遠くへ離れていた。

抗いかねて玉蔓は、
衣に埋もれるように倒れ、
横たわった源氏の胸に、
抱きすくめられた。

こんなところを女房に見られたら、
どうしよう。

何と思われることだろうと、
玉蔓は身も心も、
衝撃を受けて、
わなないていた。

(こんな仕打ちをなさるなんて・・・
もし本当の親なら、
こんな困った辛い立場には、
ならないだろうものを)

と思うと、
玉蔓は涙がこぼれて、
袖で顔をかくしてしまった。

「何を泣く。
これ以上のことは何もしません。
あなたの心に逆らってまで、
遂げようとは思わない」

源氏は玉蔓を離して、

「私がきらいになりましたか?
真実を打ち明けて、
ご不興を買ったかな。
それもこれも、
あなたへの愛が深ければこそ。
あなたが愛しいから、
私は必死に堪えているのです。
他の男なら、
こんなことでは済まない。
あなたを見ていると、
昔の恋人がそのまま、
重なって見える。
ついには、
あなたか昔の恋人か、
わかちがたく、
おぼろになって、
分別も理性も鈍ってくる」

源氏はしみじみ言い聞かすが、
玉蔓は源氏の動作に、
目もくれ心も惑うて、
言葉が耳に入らなかった。

ただもう、
源氏の腕から、
離れようと必死になっている。

「これはきつい嫌われようだ」

源氏は落ち着いて、
笑みを含んだ声で言い、
腕の力をゆるめ、
玉蔓を解放した。

筑紫の大夫の監とは、
くらべものにならないけれど、
でもやはり、
玉蔓にとっては、
厭わしい求愛であるに、
違いなかった。






😯      😯      😯 




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