・玉蔓のいつも考えていることは、
実の父に会うことであった。
親でもない人の邸に養われる、
不安定な運命に、
辛い気持ちを持っていた。
「物ごころつかぬ頃から、
親はいないもの、
と思って育ったのでございます。
・・・親のように思え、
とおっしゃって下さいますのは、
嬉しいのですが、
どう考えてよろしいやら」
と、玉蔓が当惑したように言うのを、
源氏はもっともなことだ、
と聞いた。
「生みの親より育ての親、
といいますから。
私の気持ちも追い追いに、
おわかりいただけます」
源氏は、
玉蔓が日一日と好もしく、
愛しくなりはじめている。
「いい子なんだよ。
なつかしい人柄の女人だ」
源氏は、紫の上に、
玉蔓をほめていた。
「そうみたいね。
あなたがお好きになるはず、
お目にかかったとき思いました」
紫の上はうなずいた。
「あの子の母(夕顔)なる人は、
あまりにやさしすぎて、
頼りなかった。
しかしあの子は聡くて、
しかも才気あり、
愛嬌もあり、
申し分ない」
「かわいそうなあの方、
そんな方が、
何もご存じなく、
あなたに頼っていらっしゃるなんて」
「どうして、
私に頼っていて、
かわいそうなんだね」
「だって、
わたくしのときもそうでした。
あなたをお父さまか、
お兄さまのように、
頼りきっていて、
とんでもないことに、
なってしまったのです。
あの頃はどんなに、
あなたを怒ったり恨んだり、
しましたことか・・・
あの方が、
実の親のように頼っていらして、
またわたくしと同じような目に、
お会いになるのじゃないかしら、
と思ったから、
お気の毒に、
と申しました」
「変な邪推はよしなさい。
もしそうなら、
聡いあの人はすぐ察するはず」
源氏はやましい所があるので、
急いで話を切り上げた。
しかし、
紫の上の推量どおりに、
押し流される危うさを、
自分でも気付いている。
源氏は玉蔓のことが、
気になってならないので、
しばしば西の対へあいに行った。
雨上がりのしめやかな空に、
庭の柏の木が青々と茂って、
さわやかな夕べ、
玉蔓の部屋をのぞくと、
姫君は手習いなどして、
くつろいでいた。
源氏が来たので、
居ずまいを正したが、
やわらかな物腰に、
ふと昔の夕顔が思いだされて、
源氏はやるせなかった。
「だんだん、
あなたは亡き母君に、
似てきますね。
もしや、
あの人が生き返って、
目の前にいるのかと、
思うばかりです・・・」
源氏は玉蔓を抱きしめてささやく。
「わたくしが母に似ていますなら、
きっと母と同じように、
はかなく消えてしまいます・・・」
と答えた。
「私は青春が、
もう終わったと思っていた。
ところがまだ燃え尽きてはいなかった。
それを知らせてくれたのは、
あなたです」
「まことの親と思え、
お父さまと呼べ、
とおっしゃいましたから、
わたくしはそう信じて参りました」
「そうだよ。
親子の情の上に、
もっと深い愛が加わるのだから、
こんなに深い縁はない」
源氏は動じないでほほえむ。
「兵部卿の宮や、
髭黒の大将などより、
私の愛はもっと深い。
あの人たちにあなたをやる気など、
当然ない」
女房たちは、
二人が仲のいい親子の語らいを、
続けているものと遠慮して、
遠くへ離れていた。
抗いかねて玉蔓は、
衣に埋もれるように倒れ、
横たわった源氏の胸に、
抱きすくめられた。
こんなところを女房に見られたら、
どうしよう。
何と思われることだろうと、
玉蔓は身も心も、
衝撃を受けて、
わなないていた。
(こんな仕打ちをなさるなんて・・・
もし本当の親なら、
こんな困った辛い立場には、
ならないだろうものを)
と思うと、
玉蔓は涙がこぼれて、
袖で顔をかくしてしまった。
「何を泣く。
これ以上のことは何もしません。
あなたの心に逆らってまで、
遂げようとは思わない」
源氏は玉蔓を離して、
「私がきらいになりましたか?
真実を打ち明けて、
ご不興を買ったかな。
それもこれも、
あなたへの愛が深ければこそ。
あなたが愛しいから、
私は必死に堪えているのです。
他の男なら、
こんなことでは済まない。
あなたを見ていると、
昔の恋人がそのまま、
重なって見える。
ついには、
あなたか昔の恋人か、
わかちがたく、
おぼろになって、
分別も理性も鈍ってくる」
源氏はしみじみ言い聞かすが、
玉蔓は源氏の動作に、
目もくれ心も惑うて、
言葉が耳に入らなかった。
ただもう、
源氏の腕から、
離れようと必死になっている。
「これはきつい嫌われようだ」
源氏は落ち着いて、
笑みを含んだ声で言い、
腕の力をゆるめ、
玉蔓を解放した。
筑紫の大夫の監とは、
くらべものにならないけれど、
でもやはり、
玉蔓にとっては、
厭わしい求愛であるに、
違いなかった。
😯 😯 😯