むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「残花亭日暦」  3

2021年12月04日 07時20分26秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作









2001年(平成13年)

・6月27日(水)

パパをショートスティへ送り、あと仕事。

夕方、前々から頼んでいたタクシーが来たので、
アシスタント嬢と乗り込んで、蛍を見に。

これは、場所を人に言ってはダメ、といわれた。
その土地の人々が苦心して養殖に成功された。
心ない町の人が押しかけ、乱獲してはいけないから。

車で谷川をとろとろ下ると、集落を外れて暗くなったあたり、
木々の茂みにおどろくほど大きな蛍が飛び交っていた。
風に吹き払われて消え、また光のかたまりとなって流れてゆく。

帰途、大人の三、四人、やっぱり蛍かごを手にして乱獲していて、
それを見るとどっと疲れてしまった。


・6月30日(土)

昨日から東京に来ている。

朝食後、NHKの迎えで放送局へ。
「土曜オアシス」という番組。

どこの放送局でも綿密な打ち合わせがあるが、
殊にNHKの放送台本はすごい。

あまりに細かく規制されると、
私のようにぐうたらな物書きは、
かえってはみ出したい誘惑を感じてしまう。

刻々迫る本番前の緊張感もいやなものだ。
しかし、始まると私は気楽にしゃべることができた。

新幹線でただちに帰ったら、まだ二時。

パパはそんなことをあまり言わない男だが、
「よかったよ」と言う。

妹から「きれいに服がとれてました」とFAXが入っている。
服だけかい。

留守番の人が用意しておいてくれたメニュー、
赤貝とかんぱちのお刺身、
あさりの酒蒸し、
スズキの塩焼き、
そら豆の塩茹で、
焼きナス、
ハモの皮とキュウリの酢のもの、

老母は今夜も私より健啖だった。

テレビの私を見て、
「わりに見よく映っていた」と。親バカだろう。


・7月5日(木)

昨日、みんなで書いた七夕の短冊を、朝見たら面白かった。

小さな笹をお花屋さんから買ってきて、
家族全員(ウチで働いていてくれる人も)、
何かしら短冊に書いて結びつける。

みんな字がうまい。

真紅の短冊に、
「タイガース 最下位だけはやめてよね  おしず」
おしずちゃんはタイガースファンである。

「料理が上手になりますように  ミナミ」
グリーンのそれは台所を引き受けるミナミちゃん。

「先生ご一家のご健康をお祈りして」
は、やっぱり台所兼家事もろもろの係りのヤナちゃん。

もう一枚、プライベートな願いを。
「私たち夫婦がいつまでも健康で過ごせますように」

「美しさ 健康を 愛を」
これはアシスタント嬢のミドちゃん。あつかましい。
みどりという名にちなんでグリーンの短冊。

「大先生、いつも下さい すてきな笑顔 おしず」
これはパパの付き添いをしてくれるおしずちゃんの願いらしい。

パパはみんなから「笑顔よし」と思われ、
いっぺんニコッとすると、「あ、笑った!笑われました!」
なんてみな大喜び。

薩摩育ちの男は「男は三年に片頬」、
男はむやみやたら笑うんじゃない、
三年に片頬ぐらいでいいかげんだ、
という教育を受けるというが、パパは奄美生まれだから、
芯からの薩摩男ではなく、その上、彼は、
笑いたいときに笑うわい、という気まま男、
素のまま、生まれっぱなしという奴。

私の短冊は、
「みんな元気で ごはんが美味しい 聖子」
という非文学的なもの。

「いつまでも思ひ出多い 七夕様」
「七夕様 みんな楽しく暮らしませう」は老母。

旧仮名づかい、しかも老母の字がいちばんさまになり、
ととのっている。

戦後の家の没落と父の死で、働きに働いた老母、
私たち子供が社会人として独立し、やっと労苦から解放されたとき、
母がまっ先に始めたのは書道と日本舞踊。

踊りはともかく書道に打ち込み、
町春草先生のお弟子さんのそのまたお弟子さんに習って、
田辺春芳の名を頂いている。

私はパパのために、
「ゴルフをやること」と書き、
手を取って筆を持ちそろえ「純夫」とサインさせた。

それだけでやっとこさで、彼はまじまじしている。
去年はまだ持ちにくそうに筆をとって自分で書いたものだった。

今年はみなが去年のことを言うと、

「忘れた、去年のことまで覚えてられるかい。
昨日のことも覚えてないのに」

ともあれ、一同七色の短冊が、
笹にヒラヒラまつわっているのは楽しい。






          


(次回へ)

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