昭和28年のこの日に日テレが放送を開始した。
で、例によって懐古調。(^^;
幼児だった私は、当然テレビの民放開始なんてことは知らなかったが、
それからしばらくして、あの力道山が全国民?をテレビの前に
釘付けにすることとなった。昭和30年代前半のこと。
テレビのある銭湯は客が殺到し、しかも湯船には誰も居ない。
大人も子どもも皆、脱衣場でテレビのプロレスに熱中していた。
近所のお金持ちがテレビを買うと、大人も子どももぞろぞろと
金曜の夜、プロレスのある日は出向いて見せて貰ったものだ。
のどかな時代だった。(^^;
あの頃のテレビはお昼休みがあって、放送休止のときは砂嵐状態。
何度も近所のお姉さんに「なぁ、まだテレビ始まらへんの?」
とスイッチオンをせがんだのを思い出す。(^^;
そして、ついに我が家にテレビがやって来たのは昭和33年11月の
休日のこと。確か「二十世紀」というドキュメンタリーが放送されていた。
あの頃のテレビにはうやうやしく布製のカバーが掛けられていたものだ。
一家に一台だからチャンネル権の争奪戦は兄弟姉妹間で激しいものだった。(^^;
そして、テレビはよく故障した。
すわ!一大事!テレビが映らないとなると、近くの電気屋さんに来て貰う。
電気屋さんは裏蓋を開けて、真空管を一本取り替えた。
すると、見事テレビが元通りに! みんなニッコリ。(^^;
チャンネルをあまりにバリバリ回しすぎると接点に汚れがついて
時々チャンネルと引き抜いて拭きあげてやる、なんてこともした。
50年も前のことだ。
あれから、どれ程の時間テレビを見てきたのだろう。
若い頃はほんとうにテレビが好きだった。
「続日本縦断」後に「新日本紀行」「科学時代」「現代の映像」、、
なんていう特にNHKがね!(笑)
そして、今や、本当に見たい番組が少なくなった。
送り手の問題か、こちらの問題かは不明なれど。(^^;
これから50年先、テレビはどうなっているのだろう?
さて、本日の一枚は、大鳴門橋。向こうは四国徳島、阿波の国。
お帰り前に...
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