今年も暑い夏、8月15日がやってきました。そして、今年は夫婦して「熱い広島」に行ってきました。
原爆被害者への慰霊、福島の子供たちの保養などもありますが、大きな要件は年老いた両親の今後についての家族での相談。
父親が90歳、母親が88歳になりました。母は認知症ですが、身体は元気。父は頭はしっかりしていますが、足腰が弱ってきました。老老介護はもう無理です。
私は1951年に広島で生まれ、小学校は大手町小学校。平和公園のすぐ近くで育ちました。まだ放置されていた原爆ドームで遊んだ、数少ない子どもの一人です。
母親は黒い雨にあたっています。被曝6年後の原爆ドームは、それなりに放射線レベルも高かったでしょう。
そして成人してからは核燃料輸送車を追いかけ、1989年の福島第二原発事故のあとには、驚くほどに放射線レベルの高い原発建屋の中にも何度か入りました。
それでも、今回の福島原発事故で放射能を浴びた多くの被災者に比べれば、ずいぶん被曝量は少ないと思います。放射線のレベルが一桁も二桁も違うと。
私はときどき、高い放射線にさらされましたが、年間で何ミリシーベルトにもなってしまうような所で毎日暮らしている方もいらっしゃる。
その中に、子供たちも、小さな赤ちゃんまでも・・。これが戦後70年の日本です。
いったい「暮らしを守る」「安全を確保する」「安心を保証する」などということができているのでしょうか。
これらは「日本国憲法」に定められた私たちの権利のはずです。
憲法は「九条」だけではないのです。
日本国憲法の、とても大切な条文が、お題目としか意識されず、実はないがしろにされ、ボロボロにされてきた。
これが戦後70年であったのではないか。もちろん政府の責任も大きいですが、一国民としての私の責任もあると思います。
公然と切り捨てられはじめた「人間」
熱中症でお年寄りが死亡。エアコンもなく、扇風機をまわす電気も切られ・・。
最近よくある話です。気象が異常になったからしょうがないネ・・見たいな感覚がはびこっていないでしょうか?
生活保護世帯への厳しい制限、介護保険への厳しい査定、それは当たり前なんでしょうか?
弱者に対する厳しさの割に、あの福島原発事故を引き起こした東電、および東電の幹部達はいまだに責任を問われていません。
巨額の粉飾決算を繰り返してきたことが明らかになった東芝もおとがめなしのような雰囲気です。
人に厳しく、企業に甘い。いや、正確には「巨大企業に甘い!」これが、もう一つの戦後70年の姿です。
政治を事実上、大企業の代理人達が担ってきた結果といえるでしょう。
人間の切り捨ては、水俣病をはじめとする公害問題で静かにはじまりました。
日本列島改造、高度経済成長の中で地方と地方の人々の切り捨てがはじまりました。
その象徴が原発だといっても良いでしょう。その正体は、福島原発事故で明白になりました。
放射性廃棄物のことまで計算に入れたら天井知らずのコスト高、他のもので代替できる技術でじつは必要はない、それを隠すために情報管理とメディア操作にもコスト、その費用は全部消費者転嫁できたので、巨額であればあるほど日本の経済界に君臨できた。
福島原発後に行われたことは、その巨大企業(人を守らない無意味な金もうけのシステム)を守れ、被害者を切り捨てろという政策。
こんな事故でも大したことない、平気平気と思わせるためには、汚染地に被害者を住まわせ続けること(すぐには死なないですから・・)。
人間切り捨ての極みだと思います。
未来と国際社会に対する責任とは
私たちの国は、70年前の戦争で、侵略と殺戮と破壊を行い、その結果として原爆被爆、東京大空襲、悲惨な沖縄戦などを引きうけました。
他国の人を苦しめたのも、その報いとしての苦しみを味わったのも、私たちの父母、祖父母の世代です。
戦争はそもそも人間を一肉弾、一標的とするもので人間を切り捨てています。
戦場だけでなく、その周辺の国々の政治や暮らしにも、それまでと比べると破壊とも言える激変をもたらします。
国内では「赤紙」1枚で、生命をお国に捧げる運命を強制され、自由な言論も、文化も暮らしも文字通り破壊されました。
一人一人の希望は切り捨てられたのです。
そんな戦争をした、その結果として原爆や大空襲、沖縄戦のようなしっぺ返しを受けた。
その記憶を私たちは簡単に消し去って良いのでしょうか。
未来永劫にわたって「日本の信念」として、これはやっては行けないと子々孫々にわたって伝え抜いて行かなければならないのではないでしょうか?
その神髄は「人間を切り捨てない」ということです。
どんなときにも、その神髄に立ち返り、今やろうとしていることは誰かを切り捨てることになりはしないかと考えること。
「その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍総理の70年談話は、まさにこの神髄を切り捨て、なかったことにしてしまおうという言葉のように聞こえます。
安倍内閣の放置は、先の世代に対する、今の世代の責任
そして、戦後70年に対する責任です。せっかくの憲法をないがしろにし、ボロボロにしてきた責任。
その結果の一つの象徴が安倍内閣の戦争法案、福島原発事故、お年寄りをはじめとする弱者の切り捨てなのではと思います。
戦争法案の議論を聞いていると、まさに人間がいません。人間の存在は法案から切り捨てられています。
集団的自衛権=アメリカへの戦争協力のための言葉遊びとの指摘もあります。これほど「空虚な言葉」を語る総理大臣は、かつて存在しませんでした。
原発問題でもオリンピックでも、「女性が輝く」でも、この人の言葉は空虚です。しかしまだ9月の自民党総裁選で居座るのだそうです。
でも、支持率は30%台まで落ちてきました。
戦争法案には、市民だけでなく科学者、宗教者、元総理をはじめとする元政治家たち、普通なら声を出さない俳優、芸能人まで「反対!」の声を上げはじめています。
けっこう私たち市民は頑張っています。でももう一息です。おそらく来年の参議院選挙が安倍退陣のXデーとなるだろうと思います。
すでに、岩手県知事選からは自民党は退却。与党公明党の中も揺れています。
今度こそ、私たち市民が「有権者」として、この力をどう有効に発揮するのかを考えてみましょう。
それが戦後70年をむかえた「私たちの責任」であると思います。
原爆被害者への慰霊、福島の子供たちの保養などもありますが、大きな要件は年老いた両親の今後についての家族での相談。
父親が90歳、母親が88歳になりました。母は認知症ですが、身体は元気。父は頭はしっかりしていますが、足腰が弱ってきました。老老介護はもう無理です。
私は1951年に広島で生まれ、小学校は大手町小学校。平和公園のすぐ近くで育ちました。まだ放置されていた原爆ドームで遊んだ、数少ない子どもの一人です。
母親は黒い雨にあたっています。被曝6年後の原爆ドームは、それなりに放射線レベルも高かったでしょう。
そして成人してからは核燃料輸送車を追いかけ、1989年の福島第二原発事故のあとには、驚くほどに放射線レベルの高い原発建屋の中にも何度か入りました。
それでも、今回の福島原発事故で放射能を浴びた多くの被災者に比べれば、ずいぶん被曝量は少ないと思います。放射線のレベルが一桁も二桁も違うと。
私はときどき、高い放射線にさらされましたが、年間で何ミリシーベルトにもなってしまうような所で毎日暮らしている方もいらっしゃる。
その中に、子供たちも、小さな赤ちゃんまでも・・。これが戦後70年の日本です。
いったい「暮らしを守る」「安全を確保する」「安心を保証する」などということができているのでしょうか。
これらは「日本国憲法」に定められた私たちの権利のはずです。
憲法は「九条」だけではないのです。
日本国憲法の、とても大切な条文が、お題目としか意識されず、実はないがしろにされ、ボロボロにされてきた。
これが戦後70年であったのではないか。もちろん政府の責任も大きいですが、一国民としての私の責任もあると思います。
公然と切り捨てられはじめた「人間」
熱中症でお年寄りが死亡。エアコンもなく、扇風機をまわす電気も切られ・・。
最近よくある話です。気象が異常になったからしょうがないネ・・見たいな感覚がはびこっていないでしょうか?
生活保護世帯への厳しい制限、介護保険への厳しい査定、それは当たり前なんでしょうか?
弱者に対する厳しさの割に、あの福島原発事故を引き起こした東電、および東電の幹部達はいまだに責任を問われていません。
巨額の粉飾決算を繰り返してきたことが明らかになった東芝もおとがめなしのような雰囲気です。
人に厳しく、企業に甘い。いや、正確には「巨大企業に甘い!」これが、もう一つの戦後70年の姿です。
政治を事実上、大企業の代理人達が担ってきた結果といえるでしょう。
人間の切り捨ては、水俣病をはじめとする公害問題で静かにはじまりました。
日本列島改造、高度経済成長の中で地方と地方の人々の切り捨てがはじまりました。
その象徴が原発だといっても良いでしょう。その正体は、福島原発事故で明白になりました。
放射性廃棄物のことまで計算に入れたら天井知らずのコスト高、他のもので代替できる技術でじつは必要はない、それを隠すために情報管理とメディア操作にもコスト、その費用は全部消費者転嫁できたので、巨額であればあるほど日本の経済界に君臨できた。
福島原発後に行われたことは、その巨大企業(人を守らない無意味な金もうけのシステム)を守れ、被害者を切り捨てろという政策。
こんな事故でも大したことない、平気平気と思わせるためには、汚染地に被害者を住まわせ続けること(すぐには死なないですから・・)。
人間切り捨ての極みだと思います。
未来と国際社会に対する責任とは
私たちの国は、70年前の戦争で、侵略と殺戮と破壊を行い、その結果として原爆被爆、東京大空襲、悲惨な沖縄戦などを引きうけました。
他国の人を苦しめたのも、その報いとしての苦しみを味わったのも、私たちの父母、祖父母の世代です。
戦争はそもそも人間を一肉弾、一標的とするもので人間を切り捨てています。
戦場だけでなく、その周辺の国々の政治や暮らしにも、それまでと比べると破壊とも言える激変をもたらします。
国内では「赤紙」1枚で、生命をお国に捧げる運命を強制され、自由な言論も、文化も暮らしも文字通り破壊されました。
一人一人の希望は切り捨てられたのです。
そんな戦争をした、その結果として原爆や大空襲、沖縄戦のようなしっぺ返しを受けた。
その記憶を私たちは簡単に消し去って良いのでしょうか。
未来永劫にわたって「日本の信念」として、これはやっては行けないと子々孫々にわたって伝え抜いて行かなければならないのではないでしょうか?
その神髄は「人間を切り捨てない」ということです。
どんなときにも、その神髄に立ち返り、今やろうとしていることは誰かを切り捨てることになりはしないかと考えること。
「その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍総理の70年談話は、まさにこの神髄を切り捨て、なかったことにしてしまおうという言葉のように聞こえます。
安倍内閣の放置は、先の世代に対する、今の世代の責任
そして、戦後70年に対する責任です。せっかくの憲法をないがしろにし、ボロボロにしてきた責任。
その結果の一つの象徴が安倍内閣の戦争法案、福島原発事故、お年寄りをはじめとする弱者の切り捨てなのではと思います。
戦争法案の議論を聞いていると、まさに人間がいません。人間の存在は法案から切り捨てられています。
集団的自衛権=アメリカへの戦争協力のための言葉遊びとの指摘もあります。これほど「空虚な言葉」を語る総理大臣は、かつて存在しませんでした。
原発問題でもオリンピックでも、「女性が輝く」でも、この人の言葉は空虚です。しかしまだ9月の自民党総裁選で居座るのだそうです。
でも、支持率は30%台まで落ちてきました。
戦争法案には、市民だけでなく科学者、宗教者、元総理をはじめとする元政治家たち、普通なら声を出さない俳優、芸能人まで「反対!」の声を上げはじめています。
けっこう私たち市民は頑張っています。でももう一息です。おそらく来年の参議院選挙が安倍退陣のXデーとなるだろうと思います。
すでに、岩手県知事選からは自民党は退却。与党公明党の中も揺れています。
今度こそ、私たち市民が「有権者」として、この力をどう有効に発揮するのかを考えてみましょう。
それが戦後70年をむかえた「私たちの責任」であると思います。
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