竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

3年目の「3.11」をむかえて想うこと

2014年03月12日 | 原発
 未曾有の東日本大震災と福島原発事故から3年目の3月11日をむかえました。この震災と原発事故で亡くなられた多数の皆さんのことを思い、黙祷を捧げたいと思います。東北の復興が遅れている!と言われますが、原発被災地の福島県の多くの地域は、その自治体を含むコミュニティが存続できるのかすらわからないという状況にあります。原発事故時に緊急避難しなければならなかった浪江町など、放射能レベルの高さのために人がはいれず、まだご遺体の捜索すらできないまま、被災直後の状態で3年間放置されて来たところもあります。
 おそらく被災直後に生きておられた人も、救出活動もなく、傷の手当もなく、命をつないでいても食料も来ず・・、亡くなられた方が多数あったであろうと思います。そして、これが「原発事故」なのだということを、あらためて思います。

福島での原発関連死は1700人以上。

 東日本大震災でなくなられた方は約2万人。自宅を追われて避難している人は約26万人と報道されています。2 万人の中には、避難中に病気が悪化してなくなられたり、避難先で体調を崩されたり、みずから命を絶たれたりしてなくなられた人が約3000人含まれています。その半分以上の1700人が、実は福島県の方であると、本日(3.11)の「ビジネス展望」で内橋克人さんが話していました。
 映画「遺言-原発さえなければ―」が上映中ですが、福島で理想の農業や酪農をめざして頑張っておられた方は多いと聞きます。自治体ぐるみで理想的なコミュニティをつくる試みも他の地域に比べると進んでいました。それらの取組が原発事故で根こそぎひっくり返されました。
 数十年の開拓によって作り上げた農地、自宅、地域ネットワーク、それらを70歳を超えた歳に全て奪われる、その後の生活支援もほとんどなく、まして事業の再生など皆目見えない。そういう状態で「生きて行け!」という方が酷ではないかと思います。
 若者は希望を託していた未来を奪われ、漁のできない漁民、工場まるごとを失い再建もままならない工場主・・。まったく救われていない数々の事例が聞こえてきます。政府の原発事故被害者対策、復興計画はこれらの人を救っていません。このまま行けば、絶望と苦悩の中で体調を崩し、あるいは自死で命を落とす人がもっともっと増えていくでしょう。

政府はいったい何をしていたのか

 原発事故直後の政府は混乱していました。ある種やむを得ない状態でした。何よりも事故を止める!ということが最大の課題だっただろうと思います。東京電力は一度、この事故を放り出そうとしました。当時の菅直人総理が東電本店に乗り込み、逃げるな!と恫喝(東電によれば)したことは、その言葉がどうであれ正しいことだったと思います。それによって、かろうじて東京も日本という国も維持されたのかもしれないからです。
 しかし事故被害者の救済について、政府は決定的な間違いを犯しました。避難の基準を1ミリシーベルトでなく20ミリシーベルトに設定したことです。ちなみに、この数字は年間被爆線量の基準。空間線量にして毎時0.12マイクロシーベルトのところに1年間いると1ミリシーベルトの被曝をします。20ミリシーベルトなら毎時2.4マイクロシーベルトまで許されます。
 事故後、原発の周辺とくに放射能の雲が流れた双葉、浪江、飯館などでは毎時10マイクロシーベルトを超えるようなところもありました。中通りに入って放射能雲は南下し、それが通った福島市や郡山市内でも毎時5マイクロシーベルトをこえるようなところがありました。汚染はいつもまだら模様で一様ではありません。毎時10ミリシーベルトは年間で605ミリシーベルト、毎時5マイクロシーベルトは43.8ミリシーベルトの被曝をするということです。年間1ミリシーベルトの50倍、500倍というようなところで、チェルノブイリ事故では強制的避難地域です。日本は、そんなところに人を住まわせ続けたのです。
 飯舘村は事故後半年後くらいに避難地域となりましたが、中通りは現在までそのままです。この地域が県庁所在地もある福島県の中心地であること、人口100万人以上で、避難しようにも行き場所がないこと、などなどいろいろな理由はあるのでしょうが、結果的にとても多くの人が被曝を強要されました。その放射線影響は、すでに子どもたちへの甲状腺がんとして現れていますが、これから大人も含めてもっと顕在化してくるでしょう。
 政府はまず「被曝を最小限におさえる」という原発事故の鉄則を守らなかったのです。

被害者の救済よりも賠償の最小化

 次に政府がやったことは「被害者を選別」することです。被害をうけたもの全員に損害賠償をすると膨大な金額になります。どうせ賠償するのは東京電力だから、そんなの気にしなくて良いのでは・・と思われるかも知れません。しかし東京電力には事故後の3月31日には、もうお金はありませんでした。金融機関からの借入れの返済期日を迎え倒産するしかありませんでした。倒産したら被害者に賠償する責任者はいなくなります。官僚から「どうしますか?」と聞かれた、当時の民主党の政府は、東電を救済することで被害者への賠償を行なう道を選んだのです。
 それが第二の間違いでした。政府の支援をたてに、東京電力は金融機関から2兆円の借入れを行ない(普通は倒産寸前の会社に銀行はお金を貸しません)、息を吹き返したのです。政府は原子力損害賠償支援機構をつくり、当面は税金を「交付」して損害賠償を行なわせるという仕組みをつくりました。したがって損害賠償に支払われているお金は東電のお金ではなく、私たち国民の税金です。しかも、本来は貸しているのに「交付」です。借金にすると東電がたちまち債務超過になって倒産するからです。潰さないために「お金をあげる」ということをやっているのです。
 政府のお金ですから、賠償額が無限大に広がっていくのは困ります。したがって政府があれやこれや制限して、被害者を選別し、本当は被害者なのに被害者でないことにするのです。その典型が「自主避難者」でした。政府が認めた避難地域ではなく、放射能レベルの高さを恐れて自力で避難した人。この人たちは意図的に切り捨てられました。
 いま政府は「帰還政策」なるものを開始しています。放射能の汚染レベルが十分に高い汚染地域に、もう大丈夫だから帰りなさい!と。その基準は年間20ミリシーベルトですが、前にも書いたように汚染はまだら模様です。20ミリシーベルトでもまったく安全と言えないレベルですが、それ以上のところも必ずあります。そんなところへ帰り、被曝は自力で測りながら避けなさい・・と。それを断ると、これも「政府の言うことを聞かないのだから」被害者からの除外!です。いや、帰っても、もうちゃんと帰れたんだからねと、被害者から除外!です。
 まったくこの国は、国民を何だと思っているのでしょうか!これをやっているのは、今度は自民党と公明党の政府です。この点では政策はしっかりと継承されています。(つまりベースは、同じお役人たちがやっているということです。)

事故原発の処理費用まで政府に丸投げ

 政府は先日、原子力損害賠償支援機構を「原子力損害賠償・廃炉支援機構」と変えると発表しました。いままでは税金を東電による損害賠償のためにあげるという仕組みだったのを、事故を起こした原発の事故処理費用まであげるという仕組みに変えるということにしたのです。それが安倍さんの「政府が前に出る」という意味なんだそうです。
 事故処理と言っても、そもそも原発事故はまだ終わっていません。4つの原子炉の中で溶けている核燃料が十分に冷えて固まっているのか、3年経ってもまだ確信は持てないのです。冷やすのをやめたら、また爆発するかもしれない。爆発しないまでも溶けはじめたり、臨界状態になって近づけなくなるとか、何が起こるかわからない。だから水をかけ続けていて汚染水が、どんどん溜まりあふれる状態になっているのです。
 それでなくても原発の下には川のような地下水が流れており、そこには汚染水は接してないと言われているのですが、希望的観測に過ぎません。その地下水脈から原発を隔離するための手段が凍土壁です。前政権時代に馬渕衆議院議員(当時首相補佐官)が遮水壁を計画したのに、それを東電に待ったをかけられたということも報道されています。その費用は1000億円と見積られ、それを支出すると東電は倒産していたからだと言います。
 凍土壁はそれより費用は安いと報道されていますが、このように大規模に使うことははじめてということですし、凍らせるのは電気のはずなので、ランニングコストのことはきっと伏せられているのでしょう。今回は政府丸抱えで、遮水をすることになったわけですが、東電を潰さないという選択が、あらゆることを後手後手にして来たことがわかると思います。

アベノミクスが果たした決定的な復興の破壊

 さて最後にアベノミクスが何をやったのかを指摘しておきたいと思います。200兆円の公共投資。無制限の金融緩和。日銀による大規模国際買入。結果的に大幅な円安により、化石燃料の輸入価格が高騰、電気料金引き上げの元凶となり、国民経済を圧迫しています。円安は海外から輸入する資材の高騰も招き、復興にとっても大きな妨げとなっています。
 過去の事例を見ると、大きな震災被害のような状況は、大きな内需でもありました。そこに資金が流れ資材が流れ、大きな経済の動きがつくられていくのが常でした。ある意味では放っておいても、東北復興が日本経済の牽引車となるはずだったのではないでしょうか。アベノミクスは、そこに200兆円という全く別の投資先を投げつけました。東北復興よりも、こっちの方がわりが良いよーと。お金は東北にも福島の被災者救援にもまわらず、どこかに消えていきました。そこに追い打ちをかけるように、オリンピックを持って来たのです。お金はさらにオリンピックに流れていきます。国内の土建業や建設業の事業所や労働人口には限りがあります。これでまた2020年まで、被害者救済も東北復興も置き去りになるのでしょう。
 同じ理由で、原発の事故収束の作業にも人が集まらなくなっていると報道されています。一つの理由は野田前総理が「事故収束宣言」をしてしまったために、この事故収束作業が緊急対策事業ではなく普通の日常事業になってしまったのだとの指摘もあります。真偽のほどはわかりませんが、さほど高額でもない賃金で、高いレベルの被曝を強いられる仕事に人が集まらなくなっているのは事実だということです。事態を良く把握しているベテランの技術者たちは、もう累積被爆線量が高くなり過ぎて現場に入れなくなりつつあるとも言います。いったい、これで事故収束はできるのでしょうか。
 よーく、冷静に起こっていることを見てみましょう。私たちは、私たちの国は、いったい何をしているのでしょうか?

 被害者の救援を放置し、事故収束を放置し、東北復興の邪魔をする。これほど愚かな政治が過去にあったでしょうか。歴史の中で、確実にこのアベノミクスの愚かさが「史上最悪の政治」として評価される時代が確実に来るだろうと思います。


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1 コメント

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いいえ (憂国烈士)
2014-03-21 02:40:57
 そんな日は来ません。
 世界の常識に合わせて特定秘密保護法案を通過させ、世界の指導者と同じく戦争に倒れられた英霊を慰め、さらにマッカーサー憲法との闘いに臨んでおられる。
 他に類例を見ない、最高の政治が進んでいます。
 本当にあなたは気の毒な方です。かわいそうです。
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