竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

いよいよ平和への七夕シンポ

2006年07月07日 | Weblog

ついに7月7日になりました。

本日の午後6時半より、日本教育会館で「07参議院選に平和共同候補を!7.7シンポジウム」が開かれます。

日本国憲法については、今や日本の中にはいろいろな考えがあります。憲法は永遠不変の不磨の大典ではありません。とはいっても、そのときそのときの時代状況によってころころ変えて良いものではありません。

一つの時代を支配しているのは多数派の意識です。価値観も美意識も、ときには正義さえも。そこでは少数派あるいは少数者の価値観、文化、言語、衣装、そして正義が踏みにじられているかもしれません。でも多数派の中で、何不自由なく暮らしている人は気がつかないかもしれません。

そういう圧殺の歴史を繰り返してきた人類が、歴史の中からつかみとってきた知恵、それが平等とか基本的人権とか思想信教の自由とか・・というものです。これらは権利と称せられていますが、実は常に不完全で、いつもいつも求めていなければ達成できない、いや求めても求めても、あちら立てるとこっちが立たず、見たいなことがあって達成できないという難しいものです。

じゃあ達成できていないから、こんな理念は捨てちゃえとなったら、ますます世界は荒れていくでしょう。達成できていなくても、目指すべき目標としての理念、あるいは誰もが守ろうと努力するべき最低限の共通ルール、それが憲法なのです。

法律は時代の多数派の意志、多数決によって決せられます。したがって法律は完全なものではありません。今日本では、次から次と悪法、ないほうが良い法律が量産されています。その法律が少数者の権利を踏みにじったり、文化をないがしろにしたり、生命に危険をおよぼしたり・・ということへの歯止めの役割が憲法なのです。

その憲法を多数派がいとも簡単に変えられることになったら・・、歯止めとしての機能はなくなってしまいます。

日本国憲法の特徴は誰もが知っている「戦争放棄」です。世界にも例がない、ということはいま「トップに位置する」ということです。世界がその高い理念を目標にし、手本にするということです。

それを世界に例がない「へんてこりん」なものだからやめてしまえと捨てちゃったらどうなるでしょう。さすがに、いま改憲といっている与党の人たちも「戦争放棄」は変えないと言っています。しかし、その憲法第9条の2項「前項の目的(戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を変えるといっています。

つまり、「戦争は放棄するが軍隊は持つ、攻めてこられれば戦う」ということです。

戦争を放棄した軍隊というのはありうるのでしょうか?攻めてこられれば戦うのはあたりまえ・・と思われるかもしれませんが、この「攻めてこられれば」が「同盟国が攻撃されれば・・」まで、いますでに他の法律によって拡大解釈されているのです。

だから北朝鮮がアメリカに向けてテポドン2を発射すると、日本が臨戦態勢に入る・・ということになるのです。

ほんとに北朝鮮は変な国です。いかなる理由があれ、近隣諸国に向けてミサイルを発射するなどあってならないのは当然です。もし、日本海で操業中の船舶に命中したりすれば、どうせ届かぬ北朝鮮の戦争ごっこでしょなどと笑っていられなくなります。

そうでなくとも、操業中止や水産高校の訓練中止や『実害』を出しています。いま、この時期にミサイルを打ち上げて何の得が北朝鮮にあるのかわかりません。6カ国協議に向けて努力している中国も、何とか南北交流をとがんばっている韓国も、とても立場を失います。

日本やアメリカの政府に対しては、格好の攻撃材料を与えるわけですし、今この時期は日本では総裁選が焦点になっているときです。タカ派の安倍さんに有利に働きはしても、中国をはじめアジアとの友好を掲げる福田氏には不利でしょう。北朝鮮は安倍さんを応援したいのかなと思ってしまいます。

ともあれ、ちょっとのつもりがいっぱい書いてしまいました。

今日の夕方、七夕の星の下、日本教育会館でお会いしましょう。

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
誤字訂正 (猫屋敷)
2006-07-09 21:44:06
7月7日記事,3段落目

「憲法は永遠不変の須磨の大典ではありません。」

「須磨」の大典ではなく,「不磨」の大典です。

尤も,この「不磨の大典」なる語は,大日本帝国憲法の「憲法発布勅語」に盛られた言説ですから,日本国憲法を擁護し活かす立場の者が,<日本国憲法を「金科玉条」にするものではない>という意味合いで使う言葉としては,あまり適切だとは思えません。おそらく,大日本帝国憲法に親近感を持つ改憲派を皮肉りたい主観的意図はあるのでしょうが,あまり上等のレトリックではなさそうです。

余計な一言,失礼しました。
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ご指摘ありがとう (竹村英明)
2006-07-10 12:28:11
イヤー、どうも失礼いたしました。

不磨と打ったつもりだったんですが・・。

早速、修正させていただきました。

後段の指摘もおっしゃるとおりと思いましたが、いまさら改ざんするわけにも行かないので・・。

今後とも、びしびしご指摘ください。
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