竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

どこに行くのか「日本人」の心

2008年06月08日 | Weblog
今日飛び込んできたのは「秋葉原の惨劇」でした。7人の方が亡くなられました。まず亡くなられた方に深く哀悼の念を捧げたいと思います。

私は本来、この手の事件はあまり取り扱わないことにしています。マスコミが事件を事細かに報道し、そのこと自体が同種の事件を起こす人の精神を振動させ、次の事件を引き起こすと考えているからです。今回の事件でも、事件がどのように起きたか、どのように惨劇が起こされたか・・などばかりを細かく報道するのだろうと思います。本当は、なぜこのような事件が起こったのか、その原因を探り分析し、社会的にこのような事件が起こる芽を詰むことこそ必用なのではないかと思っています。

私は犯罪対策の専門家ではないので、最近の同種事件をリストアップしてはいません。しかし、全国各地で無差別殺傷という事件が増えているように感じています。何かの怨恨とか、特定の相手や目的があるわけではなく、いわば漠然とした不満や、追いつめられた気持ちを「他者にぶつける」形で犯罪が起こっているのです。

不特定の人に危害を加える、「相手は誰でも良かった」的なこの犯罪心理は「社会に対する復讐」意識のように感じます。犯罪の被害者だけではなく、犯罪者側も「自分は被害者」と感じているのではないかと思うのです。「社会」から痛めつけられた。だから「社会」に仕返ししてやる・・と。秋葉原の事件の加害者は、いかにも痩せて満足に食事もしていないようにも見えました。自らが生きて行けない・・と感じたときに、他者に対して殺意を抱くというのは「甘え」と断じることもできるでしょうが、力を発揮しきっての挫折であれば「あきらめ」もつくが、その機会さえ与えられず、社会の片隅に打ち捨てられると感じていたとすれば、最後の殺戮が「自分の存在」を示す証であるとでも感じるのかもしれません。

社会のセーフティネットの必要性がいわれはじめてからずいぶんになります。しかし、実際の世の中は、勝ち組と負け組というような言葉が当たり前のように闊歩し、正社員から派遣、そして非正規不安定雇用へと労働人口の比率は移っています。非正規雇用の割合は1990年頃には20%、2002年頃に30%を超え、今は35%にせまる勢いです。

貯蓄ゼロの世帯が2割もありますが、平均貯蓄額は1600万円を超えています。これはどういうことかといえば、極端に貯蓄の多い一握りと貯蓄の少ない大多数、そのうち2割は貯蓄ゼロという、とても平均という数字が何も表していない状況であるということです。正規雇用の大部分の人ですら、貯蓄が増える状況にはないだろうと思います。

これは貯蓄ゼロに向かっている人々を「スキルの欠如」とか「無能」と切り捨てることで済ませられる問題でしょうか。多くの企業が「人間を切り捨てる」合理化(実は非合理で、そのつけは企業の売り上げ減としてかえってくるのです)を何年もかけて実践してきた結果が、現在の構造不況です。国内に購買力がないのです。企業はますます、合理化をしなければいけない。人々の購買力はますますなくなる。悪循環です。

橋下大阪府知事が府の借金を減らすため、大出血の財政緊縮をやろうとしています。お金を流れなくしようとする政策です。それで経済が活性化するのでしょうか?小泉改革といわれた「小さな政府」の基本路線も同じで、その結果として、今の停滞があるのでは。一方で、金融機関や投資家やお金を持ってる人は「金あまり」です。お金を投資するところがない。そして日本の企業を強くしたり、日本のインフラを整備するために使われるべきお金が、サブプライムローンや海外でのバイオ燃料や、はては石油への投機資金に流れて、結果としてますます日本経済を、日本の人々の暮らしを苦しめるという結果になっているのだと思います。

激しい格差社会の進行の中で、つまり去年より今年の方が手取りは少ないという状況下で、物価は石油価格をはじめ、軒並み5%も10%もあがっているのです。後期高齢者医療制度も実は低所得者の負担を大きくする制度であることが明らかになりつつありますし、消費税を上げるというのも同じことです。「公平な負担」というスローガンはたいていの場合、金持ちからも貧乏人からも同じ金額をとるという「不公平」を意味しています。

これから、金利も上がるのだそうで、住宅ローンを抱えた人(私もそう)は大変です。日本のサブプライム問題がこれから爆発するかもしれません。

このような状況と、今日の秋葉原で起こった惨劇が「無関係」としてよいのでしょうか?何が多くの人々を凶行に走らせているのか。無差別殺人だけではありません。子による親殺し(介護苦)、親による子殺し(無理心中)、夫婦同士の相手殺人というのもあります。みんな根は同じところにあるのではないでしょうか?

これを無くすには、厳罰や警備強化やお説教では無理だろうと思います。人々を追いつめている制度を変えること、余っているお金をセイフティネットに回すこと、人々の心を育てるために、社会(政治)の仕組みや思考法や問題解決法を学べるような教育にもっと力を注ぐこと、ではないでしょうか?



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