磯輪日記

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麒麟がいたら

2021年04月04日 19時31分48秒 | ビジネス・シーン

 

昨日、天下分け目の決戦の地に馳せ参じました。

 
    
 
高台に見えるのは、石田三成の陣地です。
 
    
 
その麓には、「石田三成に過ぎたふたつのもの」の内のひとつである島左近の陣がありま
した。 島左近は、わが社の経営チームで『繋ぐ』担当のNくんが最も敬愛する武将です。
 
 
そこから三成の陣地に上ってみました。 
ちょっとした丘ですが、実際に上ってみると、結構急な勾配で、ここを甲冑を着て、
刀や槍を持って、上から攻めてくる敵を相手にしつつ、草履で上るのは相当しんどい
ことだとよ~く分かりました。
 
 
 
上ってみると、こんな景色が広がっていました。
写真中央やや右よりに東軍大将徳川家康が陣取っていたそうです。
 
そして中央畑のど真ん中に小さく見える幟が先に紹介した決戦の地です。
 
 
 
    
 
こんな狭いエリアで総勢16万人が山道を行ったり、来たりしつつ、関ケ原の合戦は
行われていたんですね。 さぞぎゅうぎゅう詰めだったんでしょう。
 
道中、
こんな黒々とした物体が道のところどころにありました。
これって何かの糞でしょうか?
結構なボリュームなので、もしかしたら マンモス? (笑)
 
 
昨日は、これ以外に、
 
 


小西行長、
 
 
 


宇喜多秀家、 そして大谷吉継ら西軍の陣跡を歩いて廻りました。
 
観光客もほとんどいなくって、のんびりと、美味しい空気を胸いっぱい吸い込みながらの
最高の散歩でした。
 
 
のどかな盆地の田園風景に心が和みましたが、400年前には、ここで血で血を争う
殺戮があったと思うと、歴史のロマンというより、文字通り生き死にを賭けた厳しい
権力闘争です。
 
残念ながら400年遅れでの参陣だったので、雌雄は決していました(笑)
明智光秀はこの20年前に亡くなっていたので、『麒麟がくる』ことはありません
でしたが、もし存命だったら、歴史はかなり違ったものになっていたと思うな。
 
400年前か・・・
 
 
次は事前に岐阜関ケ原古戦場記念館を予約して、解説を聞いた上で、東軍陣地を巡って
みます。
 

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2 コメント

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Unknown (東京N)
2021-04-05 06:11:51
私も行ってみたいと思いました。
いつも新幹線で通過するたびに
気になっていましたが近くまで
行けるのですね。
次回、本社にて詳しく聞かせて
ください🙇‍♂️
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行ったことないの!? (磯輪)
2021-04-05 19:17:03
 Nくん

もう何回も行ってると思ってたのに!
それならぜひ行って。
ISOWAからなら車で1時間も掛からないんじゃ
ないかな。
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