磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
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世界一社風のいい会社を目指しています。

ジムに通いながら

2014年03月23日 20時18分41秒 | オフ・タイム

昨日、今日は、ジムでゆっくりと体をストレッチし、たっぷりと汗を流し
ました。

ジムでトレーニングをする時に欠かせないのが音楽。
iPhoneでいろんな曲を聴きながらやってます。


そしてこの週末は、サザン特集でした。

私の音楽の主流は、中学、高校時代はシカゴ、大学時代はニュー・
ミュージック、そしてトーメン時代がサザン。ざっくり言うと、こんな
具合です。


iPhoneで音楽を聴くようになって、12作目の『Young Love』(1996年)
以降はCDで持っていたけど、それ以前はすべてレコードだったので、
すべてレンタルショップで借りて、iPhoneに取り込みました。


アメリカ研修時代に日本の友だちが送ってくれたカセットの中に入って
いた1曲がサザンのデビュー曲『勝手にシンドバッド』でした。
これがきっかけでサザンのファンになりました。

当初は、

 「桑田って、一体どれだけ音楽の引き出しを持って
  いるんだろう!」

と新しいアルバムが出る度に驚かされました。
常に想定外の曲作り。新鮮さがものすごい魅力でした。




特に1作目『熱い胸さわぎ』(1978年)、2作目『10ナンバーズ・
からっと』(1979年)は、荒削りですが、勢いがあり、かつ幅が広く、
デビュー作とそれに続くアルバムということでまだ制作費も掛けられ
ない中、アレンジもシンプルだけど、35年経った今振り返ると、
最もサザンらしいんじゃないかと、私は思っています。
他人の目を気にせず、自分たちがやりたいように。『自由奔放』
という言葉が一番似合った時代でした。




3作目の『タイニイ・バブルス』(1980年)になると、さすがに
レコード会社も「サザンは売れる」と確信して、本腰を入れ出した
のでしょう。制作費もきっと大幅にアップされたんでしょう。
アレンジもぐっと手が込んだものになり、音楽に厚みがましました。
荒削りではなく、緻密になりましたが、1、2作目の勢いはその
ままに、かつ桑田の曲作りは冴え渡る。



  『ステレオ太陽族』(1981年)


  『NUDE MAN』(1982年)


  『綺麗』(1983年)


  『人気者で行こう』(1984年)


  『KAMAKURA』(1985年)


アルバムが続く内に、ちょっと気になり出したのが、桑田の作詞力。
最初は、それまでに無い珍しかったフレーズでしたが、その後も
いろんな曲で使い回しが見受けられようになり、曲は相変わらず
想定外だけど、歌詞の面ではマンネリ化して来ました。

この後は、原由子が産休に入り、各自がソロ活動をしたりするように
なって、サザンとしての活動は休止。


5年後に活動を再開したけど、これ以降はサザンは、私にはシングル
の曲優先のバンドになっていったような気がしました。

シングル先行となると、どうしても売れ筋優先、受けのいい曲に
なり、最初の頃の爆発するような勢いが失せて見えました。
もちろんバンドメンバー全員がいい言い方をすれば円熟した、
別の言い方をすると歳をとったということもあるでしょうね。

かく言う私も、桑田と同学年ですから、同じように歳をとっている
のですが・・・


やっぱり私は、まずはアルバムを出す、そしてそこからシングル
盤がリリースされる。それでこそシングル曲がただその曲だけで
終わるのでなく、アルバムの中の一連の順番の中での1曲になる
と思います。


だから、根っからのサザンファンとしては、ベストアルバムは
御免こうむりたい。アルバムに入っていないシングルもいや。

そんな訳で、最近のシングル曲はほとんど興味が出ません。


シカゴもそうだけど、やっぱり昔聞いたミュージシャンは、
アルバムで本来の曲の順番に聞くのがいいな。

だからジムでは、シカゴにしてもサザンにしても、1枚目の
アルバムから順番に延々と聞きながら、トレーニングに励む。
これが最高なんです!


ただこれは独断と偏見に満ちた私のサザン考に過ぎませんので、
怒らずに、大目に見て下さいね。


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