磯輪日記

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『蜩ノ記』

2014年06月04日 23時27分51秒 | こんな本読みました

本屋でブラブラしていて、たまたま手にしたこの本。

葉室麟という作家の直木賞受賞作で、

 「命を区切られたとき、人は何を思い、
  いかに生きるのか?」

という帯に書かれた文に惹かれて買い求めました。

メインのストーリーは、藩主の側室との不義密通の冤罪で10年後に
切腹が言い渡され、かつそれまでの期間、藩主の家の歴史をまとめる
ことを命じられた主人公の切腹の日までの生き様と、それを取り巻く
家族たちとの関わりです。

なぜ主人公の戸田秋谷が冤罪となったのか、そこに潜む藩の力学が
そのメインのストーリーを彩ります。その謎解きは確かに興味深い
のですが、それをはるかに凌ぐのがやはり主人公の生き様でした。

それは、彼を陥れようとしている家老の、

  あいつと交わるやつは、みな、変わってしまう

という言葉に象徴されています。


そんな秋谷を見て、また我が身を振り返って、本来は秋谷の監視を
命ぜられていた壇野庄三郎は、

 「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、
  と思うようになった。心の向かうところが志であり、
  それが果たされるのであれば、命を絶たれることも
  恐ろしくはない。」

と思うまでに変わっていきます。


秋谷を見送るお寺の和尚は「もはや、この世に未練はござりませぬ」と
語る秋谷に、

 「まだ、覚悟が足らぬようじゃ。
  未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うては
  おらぬと言っておるに等しい。
  この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、
  残された者が行き暮れよう」

と諭す。

そして迎えた切腹の当日の朝、妻と向き合い、

 「われらはよき夫婦であったとわたしは思うが、
  そなたはいかがじゃ」

と優しく問い掛けて、秋谷はその場に臨んでいきました。


彼を見送った秋谷の息子、郁太郎は、

 「父上も源吉も立派に生きました。
  ふたりに恥じぬよう生きねば、泣くことは
  許されぬと思います」


襟を正さずにはいられない珠玉の一冊でした。


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