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沖縄での実質初日は南部を巡りましたが、2日目は中部です。
この日は、読谷(よみたん)風の会の代表の比嘉さんにガイドをお願いして、
今回の沖縄戦跡めぐりの直接のきっかけになった山崎豊子さんの『運命の人』
で書かれていていたチビチリガマをまず訪問しました。
『運命の人』では一面のサトウキビ畑を分け入ったところにあると表現されて
いたこのチビチリガマ。今もそんな雰囲気が残る地区の一角にある小さな
駐車場に車を止めて、手すりをつかんで階段を下りていくと、ちょっとした
谷の底に着くと、急にジャングルに紛れ込んだかと思う景色が目の前に現れ
ました。
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そして木々に覆われた中、ぽっかりと空いた空間が。
奥には、『運命の人』に書いてあったように幅数十センチの小さな、小さな
川が流れていて、それが岩場の下に流れ込んでいきます。
その左手に、チビチリガマの口が開いていました。
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ここで1945年4月2日、沖縄の一般住民83人が集団自決しました。
4月2日って、どういう日かというと、アメリカ軍が沖縄に上陸した
翌日ですよ。
「上陸した翌日に、どうしてこんな分かりにくいガマを
発見したんですかね?」
と比嘉さんに聞くと、
「上陸する地点は、以前から相当詳しく調査していたんだと
思いますよ」
それくらい見つけにくい場所なんですよ。何度かアメリカ軍も降伏を促した
のですが・・・
その後、このガマから生き残った住民は誰ひとりとしてこのガマの存在、
集団自決の事実を明かしませんでした。そのためこのガマが世に知られる
ようになったのは、40年くらい経った後でした。
ガマは現在立ち入り禁止となっていて、入り口に大きな看板が立って
います。
「ガマの中には私達、肉親の骨が多数残っています。
皆様が、ガマにはいって私達の肉親を踏み残している
ことを私達は我慢できません。」
そうなんですね、ガマはお墓なんです。実に重い。
次いで、ここから800mのシムクガマを訪れました。
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チビチリガマが行き止まりのガマであるのに対して、シムクガマは海に
つながっているそうです。このシムクガマには、たまたまハワイに移民
していた兄弟も避難していて、アメリカ人、アメリカの文化を知って
いて、降伏を進言しました。猛反対する人たちと大激論になったけど、
結局全員揃って降伏することなり、一人も犠牲者を出すことがなかった
そうです。
たった800mしか離れていないのに、片や集団自決、片や全員生存。
「知らない。真実を知らせない。それがすべて」という間違った教育の
恐ろしさですね。
シムクガマはガマの中に入ることができます。
中央を水が流れています。
ヘルメットを被り、懐中電灯を握り締め、ガイドの比嘉さんの案内で
入り口から20mくらい入ったでしょうか。突然、比嘉さんが、
「じゃあ、ここで一度懐中電灯を消してみましょう」
するとどうでしょう、真っ暗になりました。2-3分じっとしました。
その間、一生懸命暗闇に目を凝らしましたが、どれだけ見つめても、
自分の手すら見えません。どこまでも暗黒の世界。
こういう中で、いつ襲ってくるかもしれない敵におびえながら、息を
潜める。どんな精神状態だったのでしょうか・・・
入り口近くまで戻ってくると、徐々に明かりが入ってくるようになり、
ついには外の景色が見えるように。
ごく、ごく当たり前の風景の、何とありがたいことか。
知れば知るほど、苦しいです。
こんにちは!
こういう戦争時代に産まれてきて、死を決意しなければならなかった人たちもいるということを我々は知っておかないといけないのではないでしょうか。
今の平和があるのも戦争で数多くの犠牲があったらこそだと思います。
教育の影響の大きさに驚くばかりです。
盲信するって恐ろしいですね。
またそうしむけてしまう社会の仕組みはもっと怖いです。