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手前には芝の増上寺、その奥には東京タワー。
増上寺では、期間限定で 徳川家の墓所 参拝ができます という看板が掲げられていました。
知っていたら、ちょっと早めに来て、ぜひ見学したかったな〜
後ろ髪を引かれながら、日本印刷産業機械工業会の理事会、総会へ。
増上寺は開山600年で、徳川家の菩提寺という、江戸の歴史そのものです。
それと対比するようにそびえる東京タワー。
江戸の今昔が凝縮されたこのアングル。。。 って思ってシャッターを切ったんですが、
考えてみれてみれば、東京タワーだって 『ALWAYS 三丁目の夕陽』の世界で、完成した
のは1958年だから、ちょうど還暦じゃないですか!
そういう意味では、東京タワーだって もう立派に 東京の歴史の一部ですよね。
理事会、そして総会を終え、帰りは別のルートでと思い、新橋方面へ歩きました。
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すると左手に愛宕神社が出てきました。ものすごく急な石段です。
登り口にある鳥居の左手前の看板に 『出世の石段』とあります。
間垣平九郎が馬に乗って駆け上った坂 と英語で説明があります。
でも日本語は無い⁉︎
ここからは、東京からの帰路、気になったので、新幹線車中で調べたことを合わせて
書きます。
江戸時代、増上寺に参った徳川家光が、その帰路、愛宕神社の前を通り掛ったところ、
石段の上にきれいな梅が咲いていたそうな。
そこで家光、
「誰か馬に乗って梅をとって参れ!」
と言われても
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斜度37度の急勾配の86段の石段に、配下の者は 皆、尻込みするばかり。
さてそこに名乗りを上げたのが くだんの 間垣平九郎。
見事に石段を駆け上り、キレイに花の咲いた梅のひと枝を家光に献上したとな。
それまで家光はまったく知りもしなかった平九郎でしたが、以来、天下の馬術の名人と
家光の覚えめでたくなりました。
こうしてこの石段は、いつしか 『出世の石段』と呼ばれるようになりましたとさ。
そういう故事は一切知らなかったけど、ただ名前だけに惹かれて、鞄をもって、この
石段を一気に上ると、
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本殿脇にはこんなキレイな池があり、鯉が泳いでいました。
まさに 都会のオアシス です。
帰りは、よくよく見てみたら、脇にもうちょっとだけ、なだらかな石段があったので、
注意して、そっちを下りてきました。
これもネットで調べて初めて知ったのですが、
行きは、男坂と言われる正面の石段を休まず一気に上り、
帰りは、脇の女坂をゆっくり下りる
これが愛宕神社の正しい参り方なんだそうです。
これで 私の出世は間違いなしですね。
めでたし、めでたし
下りは、男坂でなく女坂でいいんじゃないですか? (笑)