磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

Living in USA Vol.1

2013年06月08日 20時40分35秒 | プロフィール

大学4年になり、

1978年6月、大学4年を終えて、そのまま大学に籍を置いたまま、休学し、
アメリカの東海岸メリーランド州のボルティモアという街へ渡りました。

ここで当時ISOWAが技術提携していた Koppers社で研修生として1年間
いろんな部署で働かせてもらったのです。

工場はボルティモアのかなり郊外にあり、そんな近くに住まいを見つける
ことはできず、10マイルほど離れたボルティモアのすぐ北に位置する
Timoniumという住宅街に住むことになりました。

ということで通勤は当然車。
買い物をするにしても、何をするにしても、車は必須です。
そもそも日中であっても、自宅付近を歩いている人などいませんから。

だから住まいを決めた後、次にやったのが車選びです。

大学で自動車部でしたから、車はとても好きで、

 「せっかくアメリカに来ているんだから、日本車じゃなくって
  外車(?)に乗りたい」

と思っていました。

もちろん1年間の滞在ですし、新車など高くて買えないので、中古です。
でもアメ車はバカでかいし、自分の趣味ではなく、いくつかのディーラーを
回って、決めたのが、VWのラビットという車でした。




実際の色目はもう少しオレンジがかっていました。

このラビットというのは、VWの初代ゴルフのことで、アメリカではなぜか
ラビットという名で販売されていました。

このラビット、毎日の通勤はもちろん、買い物、銀行、たまの外食、そして
休日にはドライブと大活躍しました。

ひとりで、ニューヨークへも何度か行ったし、ボストンにいる大学の後輩にも
会いに行ったこともありました。

また弟が夏休みでアメリカに遊びに来た時は、二人でナイアガラの滝までも
延々と車を走らせて旅行したりもしました。

ボルティモア港での花火大会を見に行って、帰りに道に迷って、スラム街の
ど真ん中に迷い込んで、そこで車が故障して、九死に一生を得たこともありました。

ブリザードがやって来て、一晩で車がすっかり雪に埋もれて、姿かたちがまったく
見えなくなったこともあったし、ハイウェイを走っていて、タイヤが突然バースト
したことや、前輪が脱落するなんてこともありました。

ちょうど滞在中に石油が急騰し、ガソリン価格が倍くらいになったこともあり、
アメリカでも小型車が注目されるようになり、帰国する時に、新聞で「売ります」
という3行広告を出したら、とっても多くの人から「買いたい」という電話を
もらい、結局韓国系の女性に譲りました。


思い出いっぱいのラビットですが、私のVW好きはこの頃の淡い思い出に起因して
いるのかもしれません。


冒頭の写真は、購入時、正式なナンバーが到着するまでの仮ナンバーです。
私の貴重な思い出の品のひとつでした。



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