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大学4年になり、
1978年6月、大学4年を終えて、そのまま大学に籍を置いたまま、休学し、
アメリカの東海岸メリーランド州のボルティモアという街へ渡りました。
ここで当時ISOWAが技術提携していた Koppers社で研修生として1年間
いろんな部署で働かせてもらったのです。
工場はボルティモアのかなり郊外にあり、そんな近くに住まいを見つける
ことはできず、10マイルほど離れたボルティモアのすぐ北に位置する
Timoniumという住宅街に住むことになりました。
ということで通勤は当然車。
買い物をするにしても、何をするにしても、車は必須です。
そもそも日中であっても、自宅付近を歩いている人などいませんから。
だから住まいを決めた後、次にやったのが車選びです。
大学で自動車部でしたから、車はとても好きで、
「せっかくアメリカに来ているんだから、日本車じゃなくって
外車(?)に乗りたい」
と思っていました。
もちろん1年間の滞在ですし、新車など高くて買えないので、中古です。
でもアメ車はバカでかいし、自分の趣味ではなく、いくつかのディーラーを
回って、決めたのが、VWのラビットという車でした。
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実際の色目はもう少しオレンジがかっていました。
このラビットというのは、VWの初代ゴルフのことで、アメリカではなぜか
ラビットという名で販売されていました。
このラビット、毎日の通勤はもちろん、買い物、銀行、たまの外食、そして
休日にはドライブと大活躍しました。
ひとりで、ニューヨークへも何度か行ったし、ボストンにいる大学の後輩にも
会いに行ったこともありました。
また弟が夏休みでアメリカに遊びに来た時は、二人でナイアガラの滝までも
延々と車を走らせて旅行したりもしました。
ボルティモア港での花火大会を見に行って、帰りに道に迷って、スラム街の
ど真ん中に迷い込んで、そこで車が故障して、九死に一生を得たこともありました。
ブリザードがやって来て、一晩で車がすっかり雪に埋もれて、姿かたちがまったく
見えなくなったこともあったし、ハイウェイを走っていて、タイヤが突然バースト
したことや、前輪が脱落するなんてこともありました。
ちょうど滞在中に石油が急騰し、ガソリン価格が倍くらいになったこともあり、
アメリカでも小型車が注目されるようになり、帰国する時に、新聞で「売ります」
という3行広告を出したら、とっても多くの人から「買いたい」という電話を
もらい、結局韓国系の女性に譲りました。
思い出いっぱいのラビットですが、私のVW好きはこの頃の淡い思い出に起因して
いるのかもしれません。
冒頭の写真は、購入時、正式なナンバーが到着するまでの仮ナンバーです。
私の貴重な思い出の品のひとつでした。
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