武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

169. 帰国準備期間 2020年1月1日。

2020-01-01 | 独言(ひとりごと)

明けましておめでとうございます。

2020年が皆様にとって、そして私たちにとっても良い年になりますように。

2020年1月1日(元旦)7:55。我が家の北のベランダから撮影の初日の出。

 早いもので、と言う常套句を使わざるを得ない程、本当に早いもので、1990年の9月にポルトガルのセトゥーバルに住み始めて今年で30年になろうとしています。

 私たちも未だ40歳代前半でした。当初は5年ばかりも住んで少し絵が描ければ良いかな~。と思ってやってきましたが、5年が10年、10年が20年と長引き、間もなく30年です。30年もよく続けて来られたものだと自分自身でも驚きです。30年は少し長すぎた感が否めませんが、とても充実した30年であったかなと満足しています。

 30年と言っても丸々30年ではなく、毎年3か月足らずを日本に一時帰国して個展を催しました。1年の内9か月をポルトガル、3か月が日本というサイクルです。パリの展覧会にも出品してきました。旅もたくさんしました。

 そして、たくさんの絵を描きました。それを仕事としたのですから、毎日、絵筆を持ちますので、たくさん描いて当然なのですが、思っていた以上に描いたとは思います。でも絵とは難しいもので、何年経っても何百枚描いても、何千枚描いても、これで良し、と言う絵は未だ生まれていません。才能が無いと言われればそれまでなのですが、自分自身で目指す絵の方向性、などはもやもやとしたものがずっと当初からあるにはあるのですが、それに到達しないのです。

 最近は自分でも年齢を考える様になりました。そして自分の目指す絵は残念ながら未完成に終わるのかな、などとも思います。

 ポルトガルはたくさんのモティーフを提供してくれました。全国を歩き回って貪欲に絵にしてきました。ポルトガルの風景を油彩にするのですが、写生ではありませんので、自分の身体の中で消化したものを絵筆を伝ってキャンバス上に吐き出すといった行為なのだろうと思います。

 自分自身の全てがそのキャンバスの上に現れるとそれで構わないのだと思うのですが、それが納得のいく画面にならないのです。全てが自分の責任です。もう少し、もう少しと思いつつ、どんどん目標は遠ざかって逃げて行ってしまいます。いや、目標はどっしりと不動なのかも知れませんが、自分が近づくことが出来ないのです。

 数年前からはそれも諦め気味で「まあ、仕方がないか」などと思い始めています。

 当初は油彩を描くためのエスキース・スケッチを先ず描くことにしていました。それを油彩にしてきましたが、それが1000枚程も溜り、数年前から油彩とは関係なく、ブログに載せるための淡彩スケッチ、毎日1景の掲載をし始めました。それが間もなく2000景に達しようとしています。ブログに載せて皆様に見て頂くのですが、比較的上手に描けた時も、見るに堪えない下手糞な時も全てを掲載しています。当初は絵の写真撮影も巧くはいきませんでした。濃く焼き過ぎたりもしましたから、今見ると恥ずかしい限りです。

 全体を通してはあまりにも下手すぎます。でも油彩とそれのエスキースだけの時よりも何か膨らみを感じながら描いています。もっと早くブログ掲載を始めれば良かったかな、などとも思っています。

 今年9月で30年と書きましたが、ポルトガルの滞在許可も確か10年前からか「パーマネント」(永住権)となっています。それでも我々の場合は5年ごとに更新手続きが必要で、その更新が先日あり、何の審査もなく、また2020年2月から5年間が頂けました。

 でも年齢も年齢。今までのことを考えると、この先の5年は瞬く間でしょう。その5年以内の早いうちには帰国をと考えています。

 帰国まで何枚の油彩、何枚のスケッチが描けるのかは判りませんが、せいぜい描きたいと思っています。今、描けば次の課題は必ず見えてきますし、今日描けば明日の課題は自ずから教えてくれています。それに従って絵筆を動かすだけの作業です。いつまでもそんな作業を続けたいとは思っているのですが。30年はあまりにも長すぎました。2020年は一つの区切りでしょうか。そろそろ帰国のための行動を起こさねばなどと思っています。

 気に入らなくなったから帰ると言うものではありません。セトゥーバルの生活自体は尚増々気に入ってはいるのです。でも元気な内に、自分の足で歩けるうちに、と思っているだけです。

 30年前はトランク一つでやってきました。その時の空気感、細かな所作まで、昨日のことの様に覚えています。そして時代も変わりました。ポルトガルという国の良い時代、セトゥーバルという町の温かく包んでくれる環境の30年を過ごせたものだと感謝しています。

 絵を描くための道具の他に衣食住のありとあらゆるものが30年の間に山の様に溜まりました。何でも取っておくという厄介な性格がゴミの山を作りました。将棋の山崩しの如く、何処からどう手を付けて良いのやらですが、出来ることならトランク一つで帰りたいと思います。

武本比登志

 

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

 


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 168. クリスマスツリー  Ar... | トップ | 170. 展覧会ハガキ案内状 C... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして。 ()
2020-01-23 15:42:06
10代の頃にラジオの深夜番組で
道頓堀の5spotの招待券を
頂戴して何度か通っていた者です。
Twitterで店を思い出し検索した中で
貴ブログに遭遇しました。
店でバイトをしていた後にスイング
ジャーナル誌の編集長になった中山
康樹は亡くなりましたし東司丘さんは
キタで大成功を収められましたし
それぞれの其の後があるんだなと感じ
ます。
自分が古希前後の年代になるなんて
当時には思いもしなかった現実が迫って
来ていますね。
返信する
Unknown (武本比登志)
2020-01-23 19:44:18
コメントをありがとうございます。恐らく同世代だと思いますが、僕はホール主任の名前は中野さんだったと思うのですが、僕の思い違いか、少し世代が違って別人かでしょうね。大阪の5SPOTに居たのは高校を出てすぐ、大学に入るまでの僕も10代の頃の僅かな期間でしたが、僕にとっては貴重な青春時代です。
返信する
追伸 (武本比登志)
2020-01-23 19:54:35
失礼しました。中野さんとは違う中山康樹、東司丘さんですね。その方たちは残念ながら存じ上げませんが、恐らく同世代、本当にいろんな人生がありますね。
返信する

コメントを投稿

独言(ひとりごと)」カテゴリの最新記事