【台湾】台湾の日本時代は和暦の使用を
日清戦争の結果、約半世紀の日本統治時代を経た台湾。
その近現代史は複雑だが、台湾の学校教科書や歴史教育
などで日本統治時代の台湾の歴史に触れる際、西暦とともに
「明治」「大正」「昭和」といった日本の元号(和暦)を
併記すべきだ、という意見書が現場の教育責任者から
教育部(文科省に相当)に提出され、注目されている。
意見書を提出したのは、7月まで台湾北東部の宜蘭県政府
の教育処長だった陳登欽さん(48)。
台湾の歴史教科書では一部を除き、清国から日本への割譲
が決まった下関条約(1895年)から、第二次大戦の終結
(1945年)までの「日治時期」の台湾の出来事は西暦
のみで表記。日本統治以前は西暦と清の元号を、以後は西暦
と民国暦を併記している。
また学校史や史跡などの案内板は、日本時代でも、
辛亥革命が起きた1911年までは西暦と清の元号、12年
からは西暦と民国暦を併記しているケースなどもあり、
統一されていないのが実情だ。
陳さんが疑問を持ったのは、6月、宜蘭市で同県最古の
小学校の案内板設置式に出席した際、記載されていた学校史
を見たのがきっかけ。日本時代の校歌制定や、日本人校長の
着任などが西暦と民国暦の併記となっていることに困惑した。
自らも日本時代の鉄道敷設に関する修士論文を当時の文献を
参考にまとめた経験から、「和暦を知らなければ教育現場が
混乱する」と実感したという。
提案では「台湾に過去半世紀の日本統治時代が存在した
のは歴史的事実だ」「子供たちには事実を知る権利がある」
「1945年以前の日本領台湾と中華民国は無関係である」
などを柱とした。
同様の混乱は宜蘭県に限らない。台北市内でも、総統府の
隣の台湾銀行は市の史跡指定を受けているものの、案内碑
には「光緒三十四年」と清の元号を用いて表記されている
だけ。和暦(明治41年)や西暦(1908年)の表記が
なく、歴史研究者らは「見る側を混乱させている」と指摘
していた。
「歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したりする
ことはできない」という陳さんの提案に、教育部では
「敏感な問題であり、十分に諮(はか)ったうえで回答を
示したい」として、教育研究院の教科書発展センターなどで
審議中。その成り行きが注目されているが、果たして…。
(28日産経ニュースより引用させていただきました)
>>“歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したり
することは出来ない”
…どこかの国の人たちにも聞いていただきたい言葉です。
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日清戦争の結果、約半世紀の日本統治時代を経た台湾。
その近現代史は複雑だが、台湾の学校教科書や歴史教育
などで日本統治時代の台湾の歴史に触れる際、西暦とともに
「明治」「大正」「昭和」といった日本の元号(和暦)を
併記すべきだ、という意見書が現場の教育責任者から
教育部(文科省に相当)に提出され、注目されている。
意見書を提出したのは、7月まで台湾北東部の宜蘭県政府
の教育処長だった陳登欽さん(48)。
台湾の歴史教科書では一部を除き、清国から日本への割譲
が決まった下関条約(1895年)から、第二次大戦の終結
(1945年)までの「日治時期」の台湾の出来事は西暦
のみで表記。日本統治以前は西暦と清の元号を、以後は西暦
と民国暦を併記している。
また学校史や史跡などの案内板は、日本時代でも、
辛亥革命が起きた1911年までは西暦と清の元号、12年
からは西暦と民国暦を併記しているケースなどもあり、
統一されていないのが実情だ。
陳さんが疑問を持ったのは、6月、宜蘭市で同県最古の
小学校の案内板設置式に出席した際、記載されていた学校史
を見たのがきっかけ。日本時代の校歌制定や、日本人校長の
着任などが西暦と民国暦の併記となっていることに困惑した。
自らも日本時代の鉄道敷設に関する修士論文を当時の文献を
参考にまとめた経験から、「和暦を知らなければ教育現場が
混乱する」と実感したという。
提案では「台湾に過去半世紀の日本統治時代が存在した
のは歴史的事実だ」「子供たちには事実を知る権利がある」
「1945年以前の日本領台湾と中華民国は無関係である」
などを柱とした。
同様の混乱は宜蘭県に限らない。台北市内でも、総統府の
隣の台湾銀行は市の史跡指定を受けているものの、案内碑
には「光緒三十四年」と清の元号を用いて表記されている
だけ。和暦(明治41年)や西暦(1908年)の表記が
なく、歴史研究者らは「見る側を混乱させている」と指摘
していた。
「歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したりする
ことはできない」という陳さんの提案に、教育部では
「敏感な問題であり、十分に諮(はか)ったうえで回答を
示したい」として、教育研究院の教科書発展センターなどで
審議中。その成り行きが注目されているが、果たして…。
(28日産経ニュースより引用させていただきました)
>>“歴史事実を覆い隠したり、歴史事実から逃避したり
することは出来ない”
…どこかの国の人たちにも聞いていただきたい言葉です。
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