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抜粋  蔵本由紀『新しい自然学』非線形科学の可能性 ちくま学芸文庫 二〇一六年

2018年05月24日 | 物理学






 文庫版への序


 この「無知への自覚」こそ、すべての考察における建設的な出発点になるべきではないか。原子力をまともにコントロールできず、自然の底知れぬ破壊力にほとんど無力な人間が、一方では最もデリケートな自然である生命の操作と改変に向けて驀進している。



まえがき


 「科学は、自然を従来のような描法でしか描くことはできないのか」


 私はかねがね、現代における科学的な知のあり方は相当に〈いびつ〉なのではないかと思っている。


 本書では、試みに垂直と水平両方向へ伸びる二本の概念を用意し、これらを座標軸とする二次元概念空間の中に物理的科学を置いてみた。


 垂直方向には、M・ポラニーの「周縁制御の原理」という、いわゆる「創発」概念に密接に関係した概念を採用した。水平軸としては、前記小論文(開放系の非線形現象)でもその意義を強調した「述語的統一」という概念を適用した。


 古代ギリシャの自然学から現代科学にいたるまで、自然の中に見出される「同一不変なもの」を通じて多様なもの変転するものを理解するという態度は一貫している。


 近代科学革命は、そのような同一不変構造を、観察言語と理論言語を用いて孤立分断的に、(すなわち、それをとりまく状況に言及することなく)切り出す方法を確立したのであった。

 同一不変構造には主語的なものと述語的なものとがある。上位レベルに行けば行くほど、述語的な同一不変性の重要性が増す、というのが本書を通しての私の主張である。


 現代の科学的自然観に偏りがあるとすれば、その一因として述語的統一の契機の弱さということがあるのではないか。書名の「新しい自然学」とは、このようないびつさを是正するような来るべき科学に仮に冠せられた名称である。


 科学的自然描写というものが基本的に孤立分断的記述でしかありえない、という立場は、本書における私の一貫した立場である。



 Ⅰ 科学描写の構造


 現代科学は少々バランスを欠いているのではないか、科学にはもう少し違ったあり方が可能なのではないか、と言いたいだけなのである。いびつに肥大化した知は無知につながる。


 それは、自然の基本法則の探求、すなわち自然の多様性の背後に潜む普遍的な数理構造の探求を最大の使命と心得る物理学が、地上に生起するさまざまな複雑現象にも並々ならぬ関心を示し始めたように見えることである。


 複雑な経験世界のまっただ中にも、目を凝らせば見えてくるような「基本法則」や「普遍の原理」がないといい切れようか。「基本」や「普遍」の意味をもう少しゆるやかに理解することで、物理学をもっと豊かでみずみずしいものにできるのではないか。


 もつとも、このような学問をしいて物理学と名付ける必要はないのかもしれない。自然学と呼ぶのがむしろふさわしいようにも思える。実際、このようなまだ形の定かでない、しかし大きな可能性を予感させる自然科学の領域を私は便宜的に「新しい自然学」とよぼうと思う。


 しかし、研究者としての実感から言うと、硬質の物理学というものをゆめゆめあなどるべきではない。


 だからといって森羅万象の探求ははたして量子力学の「応用問題」に過ぎないのだろうか。


 現代の「脳科学」の主流が「脳部品の科学」であるのと同様である。それらとは違って、「生命性の物理学」とでもよびたいようなもののことを私は言っている。


 ただ悪いことに、ミクロ法則だけでは解決できないことがあまりに多いということだけがはっきりわかってきたのである。


 私としては以前からしきりに気になっているにもかかわらず、科学哲学や科学論の方では一向に取り上げてくれる気配のない問題が一つある。それは、複雑多様な生ける現実世界の科学描写の可能性というものをどう考えたらよいのか、という問題である。


 複雑世界を前にして、多少の科学的精神の持ち主ならば、「科学的に世界を理解するとはいったいどういう認識の仕方をいうのだろうか」という基本的な問題に思いを馳せてしかるべきなのである。


 その中で私にとって大いに助けになったのは、M・ボラニーによるいわゆる「創発」概念、あるいはそれに密接に関係した「周縁制御の原理」という概念である。


 ただそのように見ること(同一不変の基底を持っている)で混沌の世界に秩序が導入され、それが理解可能なものになるのであろう。モノの同一不変性にもとづいたこのような世界把握の様式を以下では主語的統一とよぶことにしよう。


 ヘレン・ケラーのWATER経験→主語的な統合の重要性


 個物が互いにばらばらではなく、さまざまなつながりをもってこの世界を構成していることが知られるのはこのような見方、つまり述語的統一によっている。述語的統一においても、通常私たちは惰性的なものの見方しかしていない。しかし、思いがけない述語的統一が導入されると、それによって個物間の関係が一新され、そこに新鮮な世界像が現われる。


 西欧文明において主語的統一が優位であるのに対して、日本は伝統的に述語的統一が優位な文化を発達させてきた、という趣旨のことがしばしば言われる。(時枝文法)


 数理言語というものは、それを誰がどのような状況で受け取ろうとも同一の確定的な意味が伝えられる最も公共的な言葉である。


 科学用語として共有されるべき意味の芯を理解した上で、その周囲にさまざまな意味を感じとる自由が禁止されているわけでは決してない。極端な場合には、科学的言明が詩的言語にも似た強いイメージ喚起力さえもつことがある。


 明晰判明性に病的に固執すれば、科学的自然描写の可能性はひどく狭いものになる。多義的解釈の余地を一切排除することが科学的記述の一つの理想と考えられていることは確かだと思うが、現実の科学はその意味で理想に近い数理的物理科学から数式をほとんど用いない記述的科学まで広いスペクトルをもっている。


 生命の生命らしさ、その多様性・全体性を損なわずに科学的記述を試みようとすれば、たとえば中村桂子の「生命誌」のように、近代科学の概念から相当に離れた歴史的・物語的な様相をも呈することになる。


 すでに述べたように、述語的な世界というものにより関心を向ける態度から生まれる科学描写を私は念頭においているのであるが、


 科学にとって宿命的とも思われる「孤立分断的記述」ということについて少し考えてみたい。


 デカルト『方法序説』は分析の重要性を強調するが、総合の困難性にはわりに無頓着だったように見える。


 それは、科学における「孤立分断的記述」が「全体的記述」に安易に対比されてしまうということである。


多少挑発的な言い方をすれば、科学描写であるかぎり創発的諸性質もまた孤立分断的に記述される以外にない。創発とは部分と全体との関係に関わる概念では必ずしもなくて、対象の切り出し方に関わる概念であると私は考えたいのである。


 大森荘蔵は科学の自然描写に対して「抜き書き」という巧みな表現を用いている。私もこれにならい、以下では「抜粋描写」あるいはそれに類した言い方を併用したい。


 ニュートンの運動法則がもつ不変性の高さは驚異的である。この法則は、第一に微分方程式の形で表現され、第二に力という量を含んでいるが、これら二つの事実のおのおのに巨大な不変性を見ることができる。


 日常の経験世界では、場所と時間はその場所その時間に固有の意味をもっている。ミクロ世界の科学的記述ではこの事実はひとまず視野の外に置かれ、ひたすら不変性の高い法則が追及される。


 粒子運動に関するニュートンの力学法則が時間のみをパラメタとするいわゆる常微分方程式であるのに対して、マクスウェル方程式は時間と共に空間をもパラメタとするいわゆる偏微分方程式である。


 基本的実体とそれに対する「いつでも」「どこでも」成り立つ局所法則、それに含まれる途方もなく巨大なブランク、これがミクロ法則の基本的性格である。この巨大なブランクをデータで埋めてはじめて現実世界を具体的に語ることができる。


 ボラニーの創発概念
  この概念を、「ブランク」へのデータ入力による基本法則の具体化という意味で使用したい。


 このように、現実界は一般に階層構造をなしていて、上位レベルに行くごとに下位レベルの法則によっては表現できない組織原理が現われる。これを創発という。もう一つの例は発話である。


 このように見てくると、ここにいう創発は先に述べた「基本法則の逐次的実現」とほとんど重なるのである。


 自然法則の逐次的現実化


 「周縁制御の基礎科学」とでもよぶべき科学の領域がきわめて大きな重要性をもってクローズアップされてくることが分かる。


 非線形科学は、物質の高次の組織化原理に関して、非平衡統計力学という強固な物理学的基礎をもっている。さらに、カオスの発見がもたらしたインパクト、分岐理論を始めとする充実した数理的基礎、シミュレーション手段のとしてのコンピューターの驚異的な進歩等々がある。


 構造の自発的形成過程とよばれるような現象


 非線形科学は物質科学にとっては周縁的な条件の制御に関する科学であるから、これまでの物理学とは関心の置き所が異なるのは当然である。それだけではなくて、自然における同一不変構造の切り出し方において従来の物理学とはかなり趣を異にするのである。


 境界条件を具体化することで一般に現象は飛躍的に多様化する。


 物理学には「これ以上の多様性には関わりあいたくない」という秘められた姿勢があるのではないだろうか。


 分類というものは領域の区分けであり、仕切りを入れることによって混沌とした対象に秩序性を導入しようとするのである。


 もみじの葉によって赤子の手を表わすのは隠喩であり、ポストによって手紙を表わすのは換喩である。隠喩では、関連付けられる二者は普通の意味において近いものではなく、したがつて関連性は伏在しているが、換喩においては二者の近接性はあらわである。


 隠喩・換喩にしても主語的・述語的統一にしても、人間の精神活動全般に関わる二つの基本軸の現れと考えられるが、科学的描写という限定された営みに対しても、これらを参加軸として眺めれば良い見通しが得られるように思う。


 そして、物質の周縁制御に関わる複雑世界の科学描写においては、隠喩的ないし述語統一的性格がいっそう濃厚になると思われるのである。


 一般には、さまざまな度合いの確実性をもつさまざまな力学モデルが存在する。信頼するに足る力学モデルを構築すること自身がしばしば重要な目的となる。


 時間経過を連続的に追跡するのではなくて、ストロボスコビックに追跡することがより有効な記述になるケースもしばしばあり、その場合は微分方程式モデルの代わりに差分方程式モデルが用いられる。


 このような力学系(発展方程式)は一般に「非線形」の「散逸」力学系である。非線形とは、フィードバック制御機構を内在させたシステムということができる。もちろんここでは自然的な制御を問題にしているわけである。


 このような、自然自身がもつ自己調節機能が数学的には発展方程式の非線形項として表現されているのである。


 非線形系は、一般に正と負のフィードバックをあわせもっており、それらの発現のタイミングによってはきわめて複雑な現象が生じる。


 それは何らかの方法で再組織化されなければならないのであるが、分類学的な組織化ではない隠喩的・述語統一的な記述による組織化が有力な可能性として浮かび上がってきた。


 不安定化を通じて新しい時空構造がまさに出現しようとする状況においては、数学的な普遍構造が顕在化するというこの事実は、かつて数学者ルネ・トムによって主張されたように自然観にとって重要な意味をもつ。


 錯雑した現象世界を眺める人間にとって、特に注意を惹かれる現象とは不安定現象ではなかろうか。それはカタストロフィーと呼んでもよい。


 ものの様相が、ある時点を境にシャープに変貌するときこそ決定的な瞬間であり、そのような臨界状況に注目することで、混沌の世界にくっきりとした分節構造が導入されるのではないだろか。


 ところが、「似通ったもの」という人間の直感の一つをすなおに数学的に表現したものとして、「トポロジカル(位相幾何学的)な同一性」というものがある。


 二十世紀初頭に数学者・物理学者ポアンカレによって創始された現代数学の一分野であるトポロジーは、さまざまな違ったものをごく自然な見方によって「同じもの」としてまとめてみるための数学だともいえる。


 これ(フラクタル)は、自己相似性によって数学的に特徴づけられる図形を意味する概念である。


 惰性化された世界像に揺さぶりをかけ、精神の新しい地平を切り開く機能はもっぱら芸術によって担われると考えられているが、まったく別の角度からとはいえ、現代科学もまた類似の機能をもちうるのである。それは現代科学の一部に顕著に見られる述語統一的性格に負うところが大きい。


 軌道不安定性(カオス)とは、状態の微小なズレが時間の経過とともに幾何数列的に増大するという性質である。


 実際、科学はもっぱら人間にとって制御のしやすい側面にこれまでひたすらエネルギーを投入し、人々はそこから多大な利便性を引き出すことに成功したのであるが、制御や予測を頑強に拒む自然の別の顔に十分注意を払ってこなかったのではないかと思われる。


*原子力発電所・福島の惨劇の真因


 近代科学以来の、モノ的な孤立分断的記述を追求するかぎり、科学がこのような体質にならざるをえないことはこれまで述べてきたことから理解されるであろう。地上の複雑現象に関わる科学は別の記述方式を採用しなければならないのである。



 Ⅱ 非線形科学から見る自然


 エネルギー散逸による不可逆性という性質はきわめて普遍的であって、熱力学の第二法則あるいは別称「エントロピー増大の法則」として言明されている。


 非線形現象、あるいは非線形系とはそもそも何を意味するのであろうか。大雑把に言えば、非線形現象とは何らかの形でフィードバック機構、つまりあるプロセスが進行すればそれによって生じる事態がそのプロセスの進行を促進したり阻害したりするような機構、それを内蔵しているシステムを非線形系とよんでよい。


 この世界は無秩序性の指標であるはずのエントロピーを不可逆的に生成しながらも、構造・秩序の崩壊とともに、それらの形成発展も同時進行しているのである。


 地球は一個の巨大な非平衡開放系であり、何十億年もの間解消されることのない内外の温度差によって駆動されたダイナミクスが進行しているシステムである。


 生命はこのような駆動力が生んだ最高度の非平衡開放系である。


 熱平衡にあるシステムは、温度や圧力などの環境条件が変化するとある臨界点を境にしてその姿を一変させるが、ミクロに見ればしばしば、秩序性の発生または消失が同時に起っている。新しい環境条件に適合した熱平衡状態をシステムが実現するために、ミクロな要素(原子・分子など)が互いに協力しあって、このような秩序構造が形成されるとも言える。


 あるいは、システムが自発的に一つの可能性を選び取ったのである。


 対称性の自発的破れ


 非平衡開放系では自発的運動が現れるということが非常に重要であって……


 化学反応という現象は、流動現象とならんで、自然において最も普遍的な非平衡の過程といえる。いずれにおいても非線形性が重要で、これが現象の自己組織性や複雑性のもとになっている。


 ラシェフスキーとチューリングの関心は共通していて、いずれも形態形成に関するものだった。すなわち、どこから見ても一様で対称な球状の受精卵が、その空間対称性を破って生き物の形へと自己組織できるのはなぜか、という問題意識である。


 組織形成のさまざまな段階で、空間的に不均一な構造が自発的に形成されるという事実がある。


 それを生成する反応がそれ自身の存在によって促進され、したがつて自己増殖的に量が増大するような物質である。増大一方ではシステムは崩壊する。これを防ぐために活性化物質の崩壊反応を促すのが抑制因子である。そのような抑制物質は活性化物質の存在下で生成され、その支えなしには自ら崩壊するという性質をもつ。


 活性化因子―抑制因子系は、最も原初的な空間・時間秩序を示す非平衡開放系のメタファ(隠喩)であると言える。メタファは、具体的な観察事実を説明するための実体的なモデルとは異なり、それを通じて個別現象の中に自然が潜ませている、ある普遍的な「仕掛け」を見ようとするものである。


 自励発振現象は、化学反応以外にも流体運動、機械振動、電気振動など身辺のなじみのある現象として広く分布している。また、生物リズムという言葉にも見られるように、生命現象との関連でも振動は広く見られる。


 振動現象と近い関係にある現象として、興奮現象というものがあり、これも生命過程との関連できわめて広く見られる。システムに外部から微弱な刺激を加えたとき、その強度がある値(しきい値という)を超えるとシステムが一過的な強い反応を示すことがあり、これを興奮現象とよぶ。


 すなわち、反応の過程で溶液の色が約一分周期で周期的変動を示したのである。(ベルーソフの実験)しかし、物質濃度が振動するというベルーソフの主張は、当時の学会の常識がうけいれるところとならず、彼は不遇なままに生涯を終えた。


 しかし、構造安定性は状況の変化とともに突如失われる。そしてこのような不連続や断絶をとおして、対象は「別のもの」に変化し、そこに新しい構造安定領域が現れる。数学者ルネ・トムは、このような不連続や断絶を「カタストロフィー」とよんで、構造安定性とその喪失という立場から自然現象を見直すことを提案した。


 分岐理論は、非線形現象の解明にとって大変な強力な武器を提供する。


 要素的なリズム間の相互同期から生まれる集団的リズムは心拍にもみられる。人間の場合では、洞房結節というという部位に局在する振動的細胞の集団から、リズミックな電気的活動が発生する。これが心室に周期的シグナルを送り、心筋の周期的収縮運動を引き起こす。


 脳内のニューロン(神経細胞)は、一定の入力を受ければ周期的にパルスを発生する振動子としてふるまうが、このような神経振動子が複雑なネットワークを組めば、そこでどれほど高度な情報処理が行われるか測りがたい。


 ミクロの複雑きわまりない運動と、それゆえにこそ保障されるマクロな安定した性質という、統計力学の基本的な思想がここに明瞭に見られる。(マクスウェルの速度分布則)


 「初期状態への鋭敏な依存性」


 ポアンカレ断面、「安定および不安定多様体とその交差」


 マクスウェルやポアンカレがいかに天才であったとしても、彼らの考えを推し進め発展させるには、カオスをその目で「見る」必要があった。ポアンカレが、複雑運動発生の条件として安定多様体と不安定多様体の公差を述べても、具体的な力学系でそれが成立しているかどうかを確かめるには、素手ではどうにもならない。現在のコンピューターならそれを確かめることはいともたやすい。


 理論とコンピューター・シミュレーションは、カオスの研究やより広く非線形科学にとっては車の両輪である。


 マクスウェルやポアンカレによってとらえられたカオスは、エネルギー散逸のないニュートン力学系のカオスである。これに対して、散逸をともなう力学系におけるカオスの存在を最も説得的に示した最初の人はE・ローレンツであろう。(一九六三年)


 吸引的なオブジェクト(相空間の点集合)は一般にアトラクタとよばれるが、カオス的なアトラクタは特にストレンジ・アトラクタ(奇妙なアトラクタ)ともよばれ、実に精妙な数学的構造をもっている。


 自然というものは対象の物理的素材には無頓着に、同じ数学的構造を、ところ構わず実現しようとするもののようである。


 ミクロな世界の空間スケール・時間スケール(一億分の一センチ程度・一億分の一秒ごと)


 一原子の広がりの大きさや、結晶において互いに隣接する原子間の距離は一億分の一センチ程度である。


 感覚的なマクロ世界がセンチや秒のスケールを基準とすることを考えれば、両者(ミクロとマクロ)の間には圧倒的な開きがある。この落差のゆえに統計力学という学問は大成功を収め、ミクロな知識にもとづいてマクロな性質を首尾よく説明することができた。


 唯一の例外は相転移点の近傍であるとされた。そこでは、ミクロ由来のゆらぎがそのスケールを増大させつつ、マクロな状態変化につながっていくのであるから、両世界をきっぱりと分離することができず、そこにあらゆる中間的なスケールが現れることになる。



 Ⅲ 知の不在と現代


 世界から聖性が脱落し、上記のような科学の根本想定が神の支えなしに成立しうると考えられるようになったのは、十八世紀の啓蒙主義を通してである。


 それは「二元論的な下絵の定着」によって特徴づけられるような思想状況である。哲学思想がそれぞれの時代における人々の世界像を色濃く反映するものならば、二元論を下絵とする世界像は哲学にとどまらず、日常生活におけるものの見方・考えに深く浸透し、それらを根底から支配してきたと考えられる。


 「物」の世界と「心」の世界が、相互に独立なものとして、世界観の下絵として描かれることになります。(藤沢玲夫)


 問題の根は科学記述が価値抜きの事実記述であるということにあるのではない。むしろ、科学記述が宿命的に部分記述にとどまらざるをえないため、一面的な知の推進がなされやすいということに問題があるのではないか。


*科学の部分記述性


 むしろ価値抜きの記述であることによって、人間のもつ本来の肯定的な働きが最も自然に発動するのだと思う。このことに関して私は完全なオプティミストである。


 シンプル・ロケィションの観念が科学的世界像を支え、そのような科学的世界像が人々の世界像を強力に支配しているという基本的構図は、現代においてもまつたくゆらいでいないのではないかと思われる。


 人間の理解様式が主語と述語という二つの基本軸をもっているという事実に対応して、これをすなおに反映した科学のあり方こそ、二十一世紀に求められる科学のあり方ではないだろうか。


 科学描写に限らずあらゆる描写は抜粋描写であるともいえる。


 描写における抜粋の仕方をまったく変えることによって、しばしば「全体性」の名でよばれていたものが回復されるのである。


 このような同一不変構造は著しく個別的情報を欠いているが、それにもかかわらず、個別のシステムの挙動を理解するうえで大きな力を発揮するのである。


 生活の快適性への欲望を直接間接の動因として、人間は自然の部分に関する知識を頼りにして自然に働きかけてきたのであるが、生態系の破壊や大気汚染に見るように、それがときに巨大な損失となって人間に跳ね返ってくるという構図は、いまや誰の目にも明らかになっている。


 これは知識と価値との分裂から来るというよりも、知のいびつさから来るものと思われる。その場合いびつさとは、部分知に比しての全体知の貧困という見方も成り立つかもしれないが、むしろ個物の相互関連の中に同一不変構造を求めるような知、すなわち述語的世界の記述における知の発達が遅れているということも重要なのではないかと思う。


 どれだけのものが失われるかに関して、前もって知識をもっていれば人は決して無謀なことはしない。問題は価値の不在ではなく、知の不在だと考えたい。


 大森荘蔵にしたがえば、原理的に真偽をもって答えようのない問題を、真偽問題と見誤るところから、不毛な議論が生じる。


 科学的描写のみが真実の描写なのではなく、可能な描写の一つと心得るべきである。


 E・マッハにとって、世界とは互いに関数的関連をもつ感覚的諸要素の集合体であった。


 自然現象の総体は、三次元ならぬ超高次元クロスワードパズルにおいて、さまざまな場所におけるさまざまな方向へのヒントの集団に譬えられるだろう。


 あらゆる感覚的性質を心に配属させることで外界をひどく貧しいものにしてしまったデカルト二元論は、まさにそのことによって心の観念をも貧しいものにしてしまったのではないだろうか。


 二元論的世界像がこの世の事実を忠実に反映していない不自然な描像であることが明らかになってくるように思われる。


 答はおそらく、「物語る」という形によってしかあたえられない。その「語り」が人を深く納得させるなら、それこそが正しい答えである。


 事実的な知のみが知であるはずがない。物語的な知によって適切に答えられるべき問いが、不当に抑圧されている時代は豊かな時代とはいい難い。本書の最大のテーマである、現代の「知のアンバランス」の究極の姿をここに見る。





*平成三〇年五月二十三日抜粋終了。
*著者の論理の詳細を極める展開が素晴らしく、快感に酔いしれつつ読書を楽しめた。
*堅固な物理学的基盤にしっかり足を置きつつ、奔放に視野拡大を図る柔軟性は一般の学者にあるまじき姿勢に見え、次の文章を期待させた。
*「S(主語)はP(述語)である」(アリストテレス)の断定または仮置きには、常に溢れ出す余剰がある、というのが、抜粋者の下記のような取り組みのメイン・テーマであった。
・昭和三十四年~昭和三十七年 「雑感雑記」大学ノート五〇冊
・昭和四十二年 学部卒業論文「ヤスパースの暗号について」400字詰め原稿用紙一〇〇枚提出
・昭和五十六年 小説『述語は永遠に・・・・・・・』400字詰め原稿用紙六百三十六枚脱稿
・平成七年 評論『情緒の力業』(400字詰め原稿用紙五百五十三枚)近代文芸社 出版






抜粋 蔵本由紀『非線形科学』集英社新書 2007

2018年04月29日 | 物理学



 まえがき


 私たちのごく身近にありながら、近年までは現代科学からるあまりかえりみられることのなかった自然現象や社会現象が、最近大きな関心を呼んでいます。


 非線形現象
  カオス・フラクタル・ネットワーク理論・バターン形成・リズムと同期



 プロローグ


 「非線形」という言葉から、何をイメージされるでしょぅか。


 自らの状態に応じてその変化を自己調節しているシステム


 個別の要素をどこまでもこまかく追及していく現代科学の驚異的な発展と比較しますと、創発の科学ははるかに立ち遅れているように見えます。


 「では、創発という概念を拠り所にした複雑現象の科学は、原理を探求する基礎科学として本当に成り立つのか、その根拠は何か」という問いです。



 第一章 崩壊と創造


 一九七〇年代の初頭といえば、非線形現象の科学はまだ荒れ地に小道が切れ切れに散在する程度の未開拓な分野でした。

 イリヤ・プリゴジン『構造・安定性・ゆらぎ―その熱力学的理論』


 「崩壊」を「エネルギーの散逸」に、「創造」を「自己組織化」に言い換えてみれば、多少は物理学的に響くでしょうか。


 「散逸」と「構造(形成)」は一見相反する概念のように見えます。エネルギーのたえまない散逸の中から立ち現われる構造を意味する「散逸構造」は、その逆説性もあってでしょうか、鮮烈な印象を人々に与えました。


 氷、水、水蒸気のよう物質のマクロな姿は、相とよばれています。個体、液体、気体は物質の代表的な相です。温度を変えていくと、一般に相は突如変化しますが、これを相転移とよびます。


 非平衡開放系の自己組織化現象



 第二章 力学的自然像


 この章では、対流現象の中でも特に熱対流現象とよばれるものに注目します。そして、この特別の現象を例にとりながら、科学者たちは非線形現象を理解するために、どのような姿勢で臨み、どのようなアブローチを試みてきたのかについて述べようと思います。


 一般に、複雑な対象を理解するには、基軸あるいは座標軸になるようなものをまず確立することが非常に重要です。座標軸を持つことで、個々の現実がそこからどのようにずれているかを測ることが可能になります。現象の根幹をなす主要な情報と副次的な情報を選り分けるという作業が、複雑現象の理解にとっては欠かせません。


 熱対流のパターンは、プリゴジンが提唱した散逸構造の典型的な例です。


 これら四つの量を座標軸とする四次元の空間を考えます。これは状態空間とよばれる抽象的な空間です。四種の物質の量が時間と共に変化する様子は、この空間の中の一点の運動で表すことができます。


 ルネ・トムのカタストロフィー理論
 一九七二年『構造安定性と形態形成』
 「散逸力学系の分岐現象」


 状態の断絶というものに着目することによってこそ、錯綜した自然現象に一つのくっきりとした輪郭を与えることができるという考えが、トムの自然学の根底にあります。


 熱対流現象の研究が非線形科学の発展にとって牽引車の役割を果たしてきた


 コンピューター・シミュレーションの大きな利点として、環境条件を自由に変えられること、そして現実の実験では観測が困難な物理量を「観測」できるということがあります。これらの利点もあって、シミュレーションは現象の予測、新種の現象の発見、現象を支配しているメカニズムの解明などに絶大の威力を発揮しています。


 それはカオスと今日よばれているような複雑な運動が、いとも簡単にこのような単純なモデル(ローレンツ)から出てくるということを主張したかったがためです。……。カオスの存在は、今日では誰の目にもまぎれもない現実です。この現実に人々の目を開かせるために、あえて現実離れしたモデルを導入するというパラドクスがここにあります。これこそ非線形科学の特色を鮮やかに示すものです。


 アトラクター(状態点の集まり)とは「引きつけるもの」という意味で、「落ち着く」というものとほぼ同じ意味です。安定な定常状態は、ただ一つの点からなるアトラクターです。


 座屈にしても相転移にしても、熱平衡状態でみられるさまざまな分岐現象は、カタストロフィー理論で扱われた勾配力学系の分岐現象として理解することができます。


 定常状態から振動状態への分岐を一般にホップ分岐とよんでいます。


 分岐点の近くにはシステムの重要な情報が凝縮されているのです。



 第三章 パターン形成


 この章では、……自然の「潜在的な駆動力」が顕在化することで生じる構造や運動に焦点を当てたいと思います。


 均一な状態は拡散の効果によってかえって不安定化し、不均一なパターンが生じうるのです。これは「拡散に誘導された不安定性」または「チューリング不安定性」とよばれている現象です。


 活性化物質の拡散が非常に遅く、抑制物質の拡散が非常に速い場合にチューリング不安定性がおこります。


 今風な言葉でいえば、「対称性の自発的破れ」のメカニズムは何かという問題です。


 対称性の自発的破れが広く見られる現象は相転移です。


 縮約とは、ある方針に従って非線形の発展方程式を扱いやすい形に変形することです。


 システムに含まれる多数の自由度の中から特に重要と考えられる少数の自由度だけを選び出し、それのみによってシステムの振る舞いをうまく記述するという工夫がなされます。これが縮約の最も重要なポイントです。



 第四章 リズムと同期


 空海『声字実相義』→五大にみな響きあり


 同期現象では、リズムが互いに相手の行動を知っているかのように振る舞い、これがしばしば微弱な相互作用で起こるので、とりわけ人々の好奇心を刺激するのです。


 バクテリアから人間にいたるまで、およそすべての生物にはこのような体内時計(サーカディアン・リズム)が備わっていて、約二十四時間の周期で生理や行動、生化学的活動などを変動させています。


 人間も含む哺乳動物では、サーカディアン・リズムの発生源は脳の視床下部にある視交叉上核という部位です。ここに二万個程度の「時計細胞」があって、それぞれがリズムを刻んでいます。これらの細胞リズムが協調することでマクロなリズムを生み出しています。


 *非線形科学の対象は膨大な数で構成されている。


 細胞集団が協調して生み出すマクロなリズムの別の例として、心拍があります。心拍の発生源は、一ミリ程度のサイズをもつ洞房結節とよばれる細胞の塊です。


 洞房結節はしばしばペースメーカーともよばれますが、それ自体は自律的なリズムを示す約一万個のペースメーカー細胞からなるリズム集団です。


 これらの細胞が生み出すマクロリズムが電気的な刺激として心筋に伝えられ、それをリズミカルに収縮させます。多数のミクロリズムの協調によるマクロリズムの発生は、まさに私たちの命を支えているのです。


 スティーヴン・ストロガッツは著書『SYNC』の中で、(ミレニアム・ブリッジの事例)を紹介している。


 一般に、相転移は秩序を作り出そうとする傾向と、それを壊そうとする傾向の優劣関係が逆転することから起こります。これが徐々にではなく、秩序相と無秩序相との間に明確な転移点があるということが重要です。


 そのような、自然の重要な一側面を明らかにしていこうという魅力に富んだ科学(ウィンフリー)が実際にあるということに感動しました。それを物理とよぼうと数学とよぼうと、はたまた生物学とよぼうと、それはどうでもよいことでした。


 一般に、何かに惚れ込む(惚れ込める対象に出会う)ことがないと、ほんとうに満足のいく仕事はできないのではないかという気さえします。


 私は彼(ウィンフリー)の振動子モデルに修正を加えて、数学的にきちんと解けるモデルにできないかと考え、一九七五年に一つのモデルを提案しました。その修正とは、振動子間の相互作用を、両者の位相に別々に依存するのではなく、位相差のみに依存するものとし、それをもっとも単純な周期関数、すなわち正弦関数で与えることでした。


 *蔵本モデルは蔵本由紀によって提案された同期現象を記述する数学モデルである。特に、相互作用のある非線形振動子集団の振る舞いを記述するモデルである。このモデルは化学的、生物学的な非線形振動子系の振る舞いを示唆するものであり、幅広い応用が見られる。
このモデルの前提として、完全に独立(またはほぼ独立)した振動子に弱い相互作用がはたらくこと、そしてこの相互作用は二つの振動子間の位相差の正弦関数として与えられる、という仮定がある。(ウィキペディア)


 平均場理論


 *たった今、南北朝鮮が握手し、会合が始まった。(2018.4.27.10:00)


 ウィンフリや私のモデルのように、「どの要素も他のすべての要素と等しい強さで相互作用する」という特別な場合には、相互作用する多数の相手のほとんどは共通ですから。粗い近似ではなくなり、ほとんど正確な記述になります。要素の総数を無限大にすると、「ほとんど」は「厳密に」に置き換えられます。


 「Xによって決まる個別要素の状態の総体がXそのものを決める」という要請は「自己無撞着条件」というぎごちない言葉で呼ばれますが、……つまり「つじつまが合うための条件」という意味です。


 互いに強く相互作用した多数の要素からなる非線形システムでは、個と場の相互フィードバックという見方がしばしば有効ですが、それを最も素直に理論化したものが平均場理論だと言えるでしょう。平均場理論はその単純さにもかかわらず、要素間の強い相互作用による集団状態の突然の変化という創発性を記述できる理論としてきわめて重要です。



 第五章 カオスの世界


 カオスの発見は何といっても非線形科学の展開における最大のできごとでした。


 数学者アンリ・ポアンカレは、誰もが認めるカオス科学の先駆者です。


 保存力学系ならぬ散逸力学系でカオスの存在をはっきりと示した一九六三年のローレンツの業績は、何といっても偉大です。


 カオスの定義はやかましく言えばいろいろありますが、少なくとも正のリヤブノフ指数をもつ決定論的運動であるということが、カオスの最大の特徴だといえます。


 ローレンツ・モデルや後に述べるレスラー・モデルではもちろんのこと、一般にカオスを生み出すような力学系で状態点の集団の動きを状態空間の中で追跡するとき、これと同様な「引き伸ばし」「折り畳み」という過程が見られます。「引き伸ばし」と「折り畳み」は、カオスを生み出す普遍的なメカニズムです。このようなメカニズムは、パイこね変換の名でも知られています。


 プランク定数や素電荷、光速などのように、人間的なスケールからはるかに隔たった世界に物理的な普遍定数が存在することはよく知られています。しかし、五感で経験されるこの複雑な現象世界の中に、しかも物理的な成り立ちがまったく異なるシステムの間に、このような普遍定数が見出されることは驚愕に値します。この事実は、複雑世界にはまだまだ多くの普遍的な法則が隠されているのではないかという予感を与えます。


 ファイゲンバウムの理論は、繰り込み群として知られる理論的方法にもとづいています。繰り込み群理論は、ケネス・G・ウィルソンが一九八二年度のノーベル物理学賞の受賞対象となった相転移の理論で用いた方法であり、またそれ以前からも場の量子論で用いられ、素粒子物理学の進展に大きな役割を果たした理論でもあります。素粒子、相転移、カオスという、一見まったく異なる分野に共通する強力な理論的方法があるということは、驚くべきことです。

 抑制として働く要因が具体的に何であれ、一般的に言えば、それは個体数の増大によって生存環境が劣悪化し、成長率が鈍化するということでしょう。つまり、マルサスの法則において一定とされている成長率αを一定と考えないで、それを個体数の増大と共に減少するような、Xに関係した量だと考えるのです。



 第六章 ゆらぐ自然


 ゆらぎとは平均からのランダムなずれである、という響きがそこにはあります。ゆらぐ現実をこのように「平均値とそこからのゆらぎ」として眺めるという物の見方は根深いものです。


 自然は、個々のものに対してはそれぞれか勝手に振る舞うことを許容するように見えながら、大きなスケールではきついしばりを課しているといえます。


 「大きなスケールでのきついしばり」と表現されるようなゆらぎの基本的性質は、数学的には大数の法則や中心極限定理の名で知られています。


 ゆらぎの相関距離が無限大に伸びることを通して、ゆらぎがマクロな秩序に変貌するのです。


 マクロな物質、たとえば一〇〇グラムの鉄はそのようなブロックを一〇の二〇乗個程度含みます。


 ベキ法則にしたがうさまざまなゆらぎ


 フラクタルは一九七〇年代の中頃に、ブノワ・マンデルブロによって命名された幾何学概念です。


 なぜ自然はこれほどまでにフラクタル構造を〈好む〉のか


 フラクタル構造の成因は様々かも知れませんが、現象のクラスを限定すれば、その限られた範囲内の、しかしなおかつ広範な諸現象に共有される普遍的なメカニズムがあるのではないでしょうか。


 ベキ法則で記述されるような、特徴的なスケールをもたない対象として、スケールフリー・ネットワークとよばれるものが最近注目を集めています。


 要素や結合の内容をいっさい問わないというのは、ひどく乱暴な抽象化であるのは確かです。しかし、複雑な対象に切り込むために、無謀とも思える大胆さが要求されることはこの場合においても真実です。



 エピローグ


 科学の言葉で自然を描くとは、「不変なもの」を通して変転する世界、多様な世界を語るということにほかなりません。自然の中に潜んでいる不変な構造を探り当て、数理言語をはじめとするあいまいさのない言葉を用いて、そのような構造を誰にとっても共通な意味内容をもつ表現に定着させることで、科学は成立しているのではないでしょうか。


 では、古典物理学の成立から二〇世紀の後半まで、物理学はその主力をどこに投入していたのでしょうか。
 物理学の主要な関心は、実は〈別種の普遍構造〉に向かっていました。それは物質を構成する
微小な要素という普遍な実体とそれを支配する法則です。


 要素的実体にさかのぼることをしないで複雑な現象世界の中に踏みとどまり、まさにそのレベルで不変な構造の数々を見出すことは優に可能です。たとえば、同期という現象は数理的に表現可能ですが、それは振り子時計にも、サーカディアン・リズムにも、ホタルの集団にも、心拍にも実現される不変の数理構造です。物質的な成り立ちを不問に付したまま、そこに進化発展の契機をもつ科学の一領域が成立するのです。


 じつさい、私たちは「何がどのようにある」という基本パターンに従って、物事を理解しています。「何」と「どのように」が変数になっていて、そこに値を入れる、つまり可変部分を普遍にすることで知識が確定するわけです。


 主語的不変性と述語的不変性の両軸があり、いずれを欠いても認識は成り立たないわけですが、特にここで注目したいのは述語的不変性です。


 さまざまな実体が一つの述語的不変性によって互いにつながること、これはまさに非線形科学がカオスやフラクタルという概念を通じて、モノ的にはまったく異質なものを急接近させるという構造に酷似しています。


 非線形科学で見出された現象横断的な不変構造は、単に術語的というよりも比喩、とりわけ隠喩に近い働きをもっているように思います。


 隠喩とは、たとえば「玉虫色」とか「氷山の一角」という表現に見られるように、元来何の関係もない異質な二物が突如結びつくことで新鮮な驚きを誘発する表現技法です。それに似た意外性が、非線形科学における現象横断的な不変構造にはあります。


 現象を支配する数理構造というものは、外見からはうかがい知ることはできないものですから、共通の数理構造という深層でのつながりが表層では意外性をもつのでしょう。


 新しい不変構造の発見によって、個物間の距離関係が激変し、新しい世界像が開示される。


 複雑な現象世界には、数多くのこのような不変構造がまだ潜んでいるに違いありません。その発掘は、今世紀の科学の主要な課題の一つです。






*二〇一八年四月二十八日抜粋終了。
*物理学とか数理とかがこんなに身近なものだとは思いもしませんでした。
*拙著「述語は永遠に……」満たされない故に、情緒の力業が発動する。


抜粋 S・ストロガッツ『SYNC』なぜ自然はシンクロしたがるのか 蔵本由紀監修・長尾力訳 ハヤカワ文庫 2014

2018年04月15日 | 物理学

 著者のスティーブン・ストロガッツ氏は、非線形科学分野の第一線で現在縦横の活躍を見せている研究者である。(監修者まえがき)
 

 宇宙の心臓部では絶え間なく、執拗に鼓動が鳴り響いている。それは、同期したサイクルの音だ。その音は原子核から宇宙に至る自然界に、あらゆるスケールで充ち広がっている。


 同期という妙技は自然的に生じているのだが、それはまるで自然が、秩序を異常に渇望しているかのようだ。


 「同じことが同時に起きる」というごく単純な可能性ですら、実に微妙であることがわかっている。これこそが、「同期」と呼ばれる秩序なのだ。


 「つかの間の」同期現象


 それ以上に衝撃的なのが、意識を欠く物の集団がひとりでに同期していくという現象だ。


 同期現象の科学


 こうした生まれたての学問領域の研究者は、次のような問いを立てている。
・結合振動子はどんなふうに同期するのか?
・その条件とは何だろう?
・同期現象が起こり得ないのは、どんな場合なのか?
・逆に、それが必ず起きてしまうのは、どんな条件下なのだろう?
・同期が破綻すると、どんな状況が生まれるのだろうか?
・そして、これらを知ることにどんな実際的意義があるのだろうか?


 「代数学Ⅱ」の授業で習っていたのとまったく同じ放物線が、振り子運動を密かに取り仕切っていたのである。こうして私は、驚きと恐怖とが入り混じったような感情に襲われてしまった。啓示にも似たその瞬間に私は、数学を通じてでしか垣間見ることのできない、「隠れた美しい世界」の存在に気づくようになったのである。あのときのショックから、私はいまだにさめることができずにいる。
 あれから三十年たった今も私は、自然界に見られる数理現象の虜になったままだ。


 本書は、学問領域や時代、国境といった垣根を越えて研究を進めてきた科学者が切り開いてきたテーマについての、膨大な知識を総合する試みである。



 第一部 生体における同期(シンク)


 「かれこれ二十年も前のことになるだろうか。ホタルがいっせいに光るのを見たことがあった。いや、ただそう思っただけのことなのかもしれない。私は、自分の目がどうしても信じられなかった。というのも、そんな現象は、あらゆる自然法則に反することになるからだ。」(F・ローラン)


 レニーの考えによれば、ペスキン・モデルに備わった唯一の本質的な特徴とは、各振動子が閾値へ向けて上昇するさいに、充電曲線を減速しながら辿る点にある。


 自己組織化臨界性


 電気工学者にインスピレーションを与えただけではなく、ホタルの集団行動には、科学全般にとって、さらに広い意義が含まれている。それは、複雑な自己組織系の中でも、比較的扱いやすい事例の一つなのだ。そこでは無数の相互作用が同時に生じている。つまり、いずれかの要素が状態を変化させると他のすべてに影響する。実際、現代科学の主要な未解決問題はすべて、これと似た複雑な性格を帯びている。


・細胞がガン化するさいの分裂過程で生じる一連の生化学反応。
・株式市場で見られる急騰と暴落。
・脳内に存在する数兆個ものニューロンが相互作用することで生じる意識。
・原子スープ内で生じた化学反応網に端を発する「生命の起源」。
 こうした現象は例外なく、複雑なネットワークをなしてリンクされた膨大な数の構成要素がかかわるものだ。どの場合にも、驚異的なパターンが自然発生的に生じる。環境世界に見られる豊かさはおおむね、「自己組織化」という奇跡の賜物なのだ。


 残念ながら、ヒトの知性は、この種の問題を解くのが苦手である。ヒトは、中央集権体制をはじめ、一連の明快な命令、因果関係のようなわかりやすい思考法に慣れ切っている。ところが、大規模な相互作用系では、各構成要素が最終的に影響を及ぼすため、標準的な思考法で歯が立たない。単純な図式や言葉に頼った議論など、あまりに説得力がなさすぎるのであり、あまりに近視眼的なのだ。


 とはいえ、結合振動子理論に磨きをかけていけば、振動子のある集団が同期するかどうかを予測したり、同期現象で決定的に重要な役割を果たしている要因を突き止めたりすることもできるはずだ。


 アルファー波とマスター・クロックが時を刻む音なのではないか(ウィーナー)


 線形問題では、部分の総和はまさに、全体そのものなのだ。
 ところが、線形系からは、物や生きものの興味深い振る舞いが出てこないという恨みがある。伝染病の蔓延をはじめ、レーザー・ビームに生じる強烈なコヒーレンスや乱流運動といった現象は例外なく、非線形方程式に従っている。


*コヒーレンス
 物理学において、コヒーレンス (coherence) とは、波の持つ性質の一つで、位相の揃い具合、すなわち、干渉のしやすさ(干渉縞の鮮明さ)を表す。(ウィキペディア)


 相互作用する無数の非線形振動子の集団力学


 また、より実践的なレベルで言うなら、統計物理学の誇る解析手法がいまや、脳細胞をはじめホタルやその他の生物の同期メカニズムを解明するさいにも応用しうるようになったのだ。


 その数年後、蔵本由紀という名の若き日本人物理学者が、ウィンフリーの研究を知ることになった。蔵本もまた、時間的な自己組織化というものに魅せられており、その数学的本質を突くような方法を模索していた。一九七五年に蔵本は、ウィンフリー・モデルを抽象化したいわば簡易モデルと言うべきものに焦点を絞り、まばゆいばかりの巧みな発想の才を発揮して、その厳密解を求める方法を提示したのだ。


 今回、蔵本の分析のおかげで明らかになったのが、集団同期の本質だった。


 蔵本が開発した画期的な方法とは、ウィンフリー・モデルの影響関数と感度関数に代えて、ある特殊な相互作用を持ち込むことだった。すなわち、それはきわめて対称性の高い相互作用規則であり、それによってウィーナーの「周波数の引き込み」という考えに磨きがかかり、それを具体化することになるのである


 こうした混乱した状況を分析するに当たって蔵本は、集団同期の度合いを「秩序パラメータ」と名付けられた数によって定量化することが有益であると考えた。




 蔵本は、大胆な数学的飛躍により、直感と一致する方程式の解だけを探し求めた。


 つまるところ蔵本は、ウィーナーとウィンフリーの編み出したモデルがどちらも正当であることを一撃のもとに示してしまったことになる。


 蔵本モデルの魅力は、秩序がランダム性から創出するプロセスを扱っている点にあった。いったいどうしたら無数の粒子から構成された系が、自然発生的に自己組織化していくことができるというのか? こんな問いは、神秘家が問うのにふさわしいと思われるかもかも知れない。


 インコヒーレンスとは、単一の状態ではなかった。それは、無限に多様な状態の集まりに他ならなかった。


 私はまさに、自然発生的な同期現象が最初に生じる「凝固点」ともいうべき相転移の、新たな計算方法を探り当てていた。


 こうした二つの世界のつながりがあきらかになったことで、ランダウのテクニックを蔵本モデルに応用することができるようになり、長年解明されできた謎が解かれることになった。


 ウィーナー『ランダム理論における非線形問題』一九五八年


 一九九五年、ウェルシュとレパートが、脳内に多様な周波数を持つ振動子集団が存在しており、それらが互いを引き込みあうことで同期する事実を突き止めた。


 この交響曲を指揮しているのがサーカディアン・ペースメーカー、すなわち脳内にある数千個もの時計細胞が同期して一つのコヒーレントなユニットとなることでできる、神経集団である。


 この、外界とのかかわりで生じる外的同期プロセスが、「引き込み現象」と呼ばれるものだ。


 「約」という意味のラテン語circaと「一日」という意味のdiesに由来する「サーカディアン・リズム」という言葉がつくられたのだ。


ゾンビ・ゾーン
 午前三時から午前五時にかけての時刻で、労働者の電話や警告信号に対する反応速度が一番鈍く、計器の数字の誤読が一番起こりやすくなる。この時間帯は、目を覚ましているには適さないのだ。


 「急速眼球運動は、身体が最低体温期を脱した直後に最も起こりやすい」


 遺伝子変異の事例が数多く確認されるようになれば、ヒトのサーカディアン・リズムを支えている分子的・遺伝的基盤の解明が急ピッチで進むものと期待できる。


 第二部 同期の発見


 「思わぬ発見の才」(セレンディピティ)が果たす役割についてはよく知られているのだが、ほとんど理解されていないのが、セレンディピティと運の違いだ。


 ホイヘンスは、森羅万象にあまねく見られる駆動力の一つを突き止めたのだった。彼は、非生命的な同期現象を発見したのである。(時計の共感)


 ホイヘンスの振り子時計は、生物ではなかった。
 心もなく、命をも欠いた対象ですら、自然発生的に同期することがありうる。


 同期を生み出す能力は、知性はもちろん、生命や自然選択とも無縁である。それは、森羅万象の本源とも言うべき、「数学と物理学の法則」に由来するのだ。


 強度を備えた、針のように細くコヒーレントなレーザー・ビームは、無数の原子がいっせいに
光波を放射することで生じるのだ。


 多種多様な色と位相とを備えた不協和な光とは異なり、レーザー光には、一種類の色と一つの位相しか備わっていない――あたかも一つの音のみで歌う合唱団のように。


 励起状態にある原子にぶつかるたびに 、光子の数は二倍に増え、同じ方向へ向かう光量を増幅させる。それがまさに、レーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation
:誘導放射による光増幅)という頭文字が意味している現象なのだ。この放射が(「自然発生的に」とは逆の意味で)「誘導されている」と言われるのは、光子が飛んでくることで、励起状態にある原子が新たな光子を放射することになるからである。


 電気工学者が、並列につないだ発電機には回転率を同期させる傾向が元来備わっているということを突き止めたのである。つまり、並列型高圧送電線網は、自己同期を見せる傾向があるのだ。これは自発的同期現象の美しい事例であり、ホイヘンスの「共感」した振り子時計と同じ精神を共有するものである。
 それは、無数の電子が電気抵抗をいっさい受けず、完璧に同期しながら金属内を滑りぬけるように進んでいく現象だ。そこでは、摩擦や熱のようなかたちでのエネルギー浪費は生じない。この、考えられないほどの滑らかさを持つ電気伝導現象は現在、「超伝導」の名で呼ばれている。振り子時計に現われた同期現象と同じく、この現象も思いがけない局面で発見された。それは、絶対零度付近での電気特性を問題にしていたさいに発見されたのである。


 高圧送電線網は、複雑極まりない力学系である。これはとてつもなく大きな仕事をする。しかるべき電圧と周波数を備えた電気を、必要に応じて直ちに供給するという仕事だ。


 つまり、月は地球の周囲を巡るたびに、軸を中心にそれ自身きっちり一回転しなければならないのだ。そしてこれこそが、月の今見る姿に他ならない。それは、公転と自転の一対一スピン-軌道共鳴、つまりは、「潮汐固定」の名で知られる現象なのである。




 場の量子論によれば、真空とは無からにわかに生じてはあっという間に姿を消す、粒子と反粒子が乱舞する狂乱の舞台に他ならない。


 この莫大な電流はたとえば、列車を線路から宙に浮かせ、車輪とレールの間の摩擦をなくすことができるほど強力な電磁石を駆動させるために使うこともできる。これが、現在日本で実験研究が進められている、超伝導磁気浮上式鉄道を支えている原理なのだ。一九九七年に「超伝導磁気浮上式鉄道山梨実験線」の走行実験が開始され、その二年後、MLX01試作車両が時速五五二キロメートルという驚くべき高速を達成した。


 それに対して、超伝導接合はほとんど異世界のもののように異質であり、せいぜいバクテリアほどの大きさしかなく、心臓搏動の一千億倍という気違いじみた速さで電気的振動を見せるもので、突き抜けられない障害物を幽霊のようにすり抜ける電子たちのシュールな振る舞いによって生まれる。


 ここでの論の核心は、振り子とジョセフソン接合を支えている力学が同じ方程式に司られており、そしてその方程式が非線形だという点だ。


 この問題を解き得るのはやはり、幾何学・可視化・大域的思考といったものに重きを置く非線形力学をおいて他にないだろう。


 自己組織化する臨界性(カート)


 それは(自己組織化する臨界性)、これほど多くの複雑系が常にカタストロフィーの縁にあるように見えるのはなぜか、という謎を解明するものと期待された。


 一九九六年以降蔵本モデルは、結合レーザー・アレイから「ニュートリノ」という極微の素粒子が見せる仮設上の「振動」現象にいたる、さまざまな物理現象に顔を出すようになった。


*蔵本モデルは蔵本由紀によって提案された同期現象を記述する数学モデルである。特に、相互作用のある非線形振動子集団の振る舞いを記述するモデルである。このモデルは化学的、生物学的な非線形振動子系の振る舞いを示唆するものであり、幅広い応用が見られる。(ウィキペディア)


 これだけ多くの病(てんかん、心臓の不整脈、慢性不眠症)が同期、および同期の喪失に関係して起こることが判明しており、これだけ多くの装置(ジョセフソン・アレイ、レーザー・アレイ、高圧送電線網、GPS)が、同期現象抜きではなりたたないとすれば、より深く理解していけば具体的な利益につながるはずだ、と言っても間違いではないだろう。


 この誰も予期しなかった連鎖反応(歩行者と橋との間に見られた正のフィードバック)こそ、ミレニアム橋の揺れを生み出した元凶だった。



 第三部 同期の探求


 決定論的非周期的な流れ(ローレンツ)


 生命を御しているのは非線形性である。全体が部分の総和でなかったり、個々の様相が単純に足し合わず、物事に協調ないしは競合関係が成り立っているときには必ず、非線形性が潜んでいると言っていい。


 非線形系に見られるこのような共働作用的効果こそまさに、非線形系の分析を困難にしている
元凶と言える。


 一九六〇年代、七〇年代に研究を始めたウィーナー、ウィンフリー、蔵本、ペスキン、ジョセフソンといった同期研究の先駆者たちによって、多数の振動子からなる巨大系でなぜ秩序が自然発生するのかという、いわば人を寄せ付けない巨峰を登る道は切り拓かれていた。


 ファイゲンバウムが示したのは、秩序からカオスへの「相転移」を司る普遍法則のようなものがある、ということだった。


 律動性とは、何らかの対象が一定のインターバルをおい反復行動するということを意味するが、一方、同期現象とは、二つの対象がいっせいに同じ振る舞いを見せるということだ。


 口語用法では、カオスと言えば、完全な無秩序状態を意味する。ところが専門的な意味では、「一見ランダムに見えるだけで、実際にはランダムではない法則から生み出される状態」のことを言う。


 円が周期性を象徴するかたちだとすれば、「ストレンジ・アトラクタ」(無数の複雑な面)は、カオスを象徴するかたちだと言える。それは、ある物理系が持つすべての変数を座標軸とする、
「状態空間」なる数学上の抽象空間に存在している。


 同期現象と言えばもっぱら、ループや同期・反復に代表される律動性のみが引き合いに出される時代は終わったのだ。同期するカオスのおかげで人類は、この宇宙に秘められた目もくらむような新種の秩序と直面することになるだろう。


 ちなみに主流派とは、タコツボ型の狭隘な専門分野に閉じこもり、還元主義アブローチに固執することで、ただひたすら研究の細分化を目指すような連中のことである。


 小さなシステムの気まぐれな振る舞いに焦点を絞る代わりに、複雑系理論家は、大きなシステムの組織化された振る舞いに興味をそそられるようになったのである。


 この数十年で心臓学者は、そうした「回転するアクション・ポテンシャル」つまりは、「旋回運動」が、心悸高進(心拍数が異常に速まる病理)へと発展し、やがては「心室細動」と呼ばれる致命的な不整脈へと変わることを突き止めていた。心室細動が生じると、心筋は異常なまでに身を捩じらせ、ひきつけを起こして震えるのだが、一滴の血液も全身に送り出さなくなってしまう。


 ジャボチンスキー・スープは、見るものを決して飽きさせないだけの「めくるめく刺激」に富んでいる。


 それは、回転しながら自己を維持していくらせん状の波である。幾何学構造は優雅でも、それがもたらす結果は破壊的だ。心臓上を回転して進むらせん波は、心悸高進を引き起こす元凶であり、最悪の場合には心室細動に続いて、急性の心臓死を誘発するのである。


 歴史にそのヒントを求めるとすれば、最も洞察に富む発想を提供してくれるのは、数学ということになるだろう。


 ネットワーク理論とは、個別要素間の関係性、つまり相互作用のパターンを問題にするものである。


 秩序とランダム性のごつた煮のようなもの


 構造は常に機能に影響を及ぼす


 この類のごくシンプルなモデルは、以前にも蔵本と彼の同僚、坂口英継、篠本滋によって研究されたことがある。


 (この特殊な構造が何を意味しているかは、バラバシの近著『新ネットワーク思考』で詳しく論じられている)


 ニューロン間の連絡は同期発火によって強化されることがわかっているからだ。それはしばしば、「同期発火するニューロンは、結び合わされる」と要約される原理である。脳内の重要な部位に存在するニューロン間の結び付きをより強固なものにする同期現象が引き金となって、最終的に短期記憶が生み出されていくのかもしれない。


 「意識には、ミリ秒レベルでのニューロンの同期発火が関わっているが、必ずしも歩調の揃わないニューロン発火によっても、同期という能内での特殊な興奮を伴わずに行動に影響が及ぶ可能性がある」(コッホ、クリック『内なるゾンビ』)


 意識を生みだしている物質的基盤とは、何なのだろうか?



 結び


・一九六〇年代 サイバネティクス
・一九七〇年代 カタストロフィ理論
・一九八〇年代 カオス理論

 全体とは部分の総和ではないというわけだ。そうした現象は、宇宙に見られる大半の現象同様、基本的には非線形的なのである。
 だからこそ、科学の未来を担うのは、非線形動力学 ということになる。


 この点で唯一成功を収めてきたのが、同期現象の科学ではなかろうか。(純粋にリズミカルな動きを見せる構成単位を扱う科学として)非線形科学の中でも最も古く、最も基本的な部分を扱う同期現象の科学は、心臓の不整脈から超伝導、あるいは睡眠周期から高圧送電線網の安定性にいたる、さまざまな現象に鋭い洞察をもたらしてきた。


 蔵本由紀は退官間近だか、今なお新たな研究領域を次々に切り拓いている。
  大域結合→中間的結合


 複雑な非線形系に現われた集団行動の研究(ストロガッツ)


 その理由をぜひ私も知りたいと思うのだが、同期現象はなぜかわれわれの心の琴線に触れる深遠な現象である。





*平成三〇年四月十五日抜粋終了。
*物理学がこんなに面白いとは承知していなかった。


ストロガッツ