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はじめての哲学

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抜粋 『禅家語録集』 「盤珪禅師語録(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月31日 | 宗教


盤珪(1622~1693) 播州揖西群浜田村に生まれる 浄土教・密教・禅宗 弟子四百 
「不生でおれとすすめて、不生になれとは言わず」 一切の工夫を排して本来の仏心にめざめることだけを強調


 私のところでは、そんな時代ものの書き付けなどの詮議はいたさぬ。


 これまでに見たり聞いたりした経験に刺激されて、その経験が霊明な仏心に映っている状態、それが念というものでございます。


 女性といいますものは、特になにかにつけて、つまらないことに腹を立て、不生の仏心を修羅につくりかえ、愚痴の畜生につくりかえ、欲の餓鬼につくりかえまして、種種様々に流転して迷うわけでございます。


 私の言いますのは、この仏心を三毒につくりかえないということは、大変重要なことであるから、ここをよく聞いておいて、不生の仏心をほかのものにつくりかえないように、よほど気をおつけなさい。


 「大疑団」 全身がある問題意識そのものとなった状態。(『無門関』第一)


 この人間の世界に生まれたのは何のためかと考えますと、仏になるべきために、心と体を得たのです。


 遠慮せずに、自由に、平生の言葉で問答して、らちを明けなさい。らちさえあけば、使いやすい平生のことばほど便利なものはないではないですか。





*平成二十八年十二月三十一日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「驢鞍橋(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月30日 | 宗教
 

 驢鞍橋は〈馬の鞍のはしくれ〉の意で、中国に、愚男がこれを亡父の遺骨に間違えた故事があり、誤見・謬見の戒めであり、その意のもとに発言されている。(weblio)


驢鞍橋(ろあんきょう)
江戸時代初期の禅僧鈴木正三の法語類を弟子の恵中が編録したもの。3巻。慶安1 (1648) 年成稿,万治3 (60) 年刊。三河藩の武士として戦場を駆け回った経験から,正三が死によって生きる真実を体得し,煩悩破砕の勇猛心を死の心法に見出し,仁王の機を修すべきはただ死ぬことを仕習うべきであるとし,みずからの仏法を死習い仏法,果報仏法と呼び,坐禅と念仏をも強調している。(コトバンク)


鈴木正三(しょうさん) (1579~1655) 三河武士の出身 六十一歳で無師独悟


驢鞍橋 上


 「仏道修行は仏像を手本にしてするがよい。仏像と言っても、初心のものは、如来蔵に狙いをつけても、如来座禅はできまい。如来や不動明王に狙いをつけて、仁王座禅をするがよい。まず仁王は仏法の入り口、不動は仏の始めと考える。


 自分は殊勝くさいことも悟りくさいことも知らぬ。二十四時間心で万事に勝つことばかりを考えておる。諸君も、仁王・不動の堅固の気合を受けとめ、それを鍛えて、それを使って悪業、煩悩をほろぼすことだ。


 そこで師は眼をすえ、拳をにぎり、歯ぎしりをする形をして、「キッと張りつめて自分を守るときは、ちょっかいを出すもの何もない。結局、この勇猛の気合一つで修行はなるものだ。別にいるものはない。どんな修行もぬけがらになってやっては役に立たぬ。はりきって禅定の気合いを鍛え出すがよい」と言われた。


 この気合で心身を攻めほろぼす以外、自分は別に仏法を知らぬ。


 一切の煩悩は機の抜けたる処より起こるなり。


 強く眼を著け、幕妄想の一句を轡づらと成して、急度(きっと)引詰めて守るべし。刹那も
機を抜かすべからず、となり。


 修行と云ふは機を養ひ立つる事なり。


 慙愧懺悔の法と云ふは、我が悪しき処をぶつ曝す事なり。


 「あんたの胸の中の知識や妄想をすべて打ち捨て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなえることによって道理を尽くし、我を棄て切って虚空とぴったり一つになるのを、馬鹿になって成仏する修行というのである。」


 また謡曲などうたうにも、『これは諸国一見の僧にて候』と言えば、ぴたりとそれになりきる気合いである。自分も、舞い扇の使い方は知らないが、曲にまかせてそれに打ち乗り、自由に舞うことはできる。ものに応じて形をとるというのも、無念無心のところをいうのである。


 修行と云ふは勇猛の機一つなり。


 「命を捨てて死んでいくものは、多く有るとは思えぬ。みな命を惜しみつつ死んでいくものだ。ここは大事なところである。お坊様がた、常に命を捨てていつづけられることだ。」


 しかし上手芸を初心のものに教えても無駄だ。初心のものにはまず仁王座禅が格好だ。


 次第に鍛えて熟練してくると、謡や拍子などにも合い、万事に調和して、一切の働きが整う。このようにするのが仏教である。


驢鞍橋 下


 いざという場合に臨む心である。また殺気をおびてじりじりとつめよるときの心である。この気合がなくては、万事に役に立たぬ。仏道修行というものは、初めから終わりまで、ただこの気合一つで生死を離れることだ。生死をさえ離れれば成仏だ。であるから、この気合一つによって成仏することだ。ほかに必要なものはない。


 ただ歯を喰いしばって、死ぬこと一つをきわめるのだ。実際、若い時から八十歳の今まで、このように心得て来ているのみだ。全然仏教ではない。


 ……、恥知らずの正三であるからこそ命を保ち、今日に生きながらえて、修行もおおかた仕上げたのである。


 「およそ修行者たるもの煙草をのんでもよろしくない。」


 ある日の食事のおり愕然として言われた。


 ある日のこと愕然として言われた。


 若者たちに茶のたてかたを教えようと、自ら茶をたてる格好をして言われた。「幕妄想幕妄想とたつべし」となり。


 いったい仏道修行の本意は、形や名前のとらわれを離れて自由になるということ一つにある。


 ある日の食事のおり、愕然として言われた。「なんともはやしようのないことだ。毎日毎日喰っているのはいったいなんのためだ。食っては娑婆を楽しみ、楽しみしておる。ああ、たわけたことだ。


 昔もほんとうに自由を得たのは釈尊お一人だけだろう。そのほかの祖師がた、ことに我が日本の伝教大師、弘法大師など、まだ仏の境界には遙かであろう。


 安然として遷化し給ふなり。





*平成二十八年十二月二十九日抜粋終了。

抜粋 『禅家語録集』 「夢中問答集(抄)」 訳・注古賀英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月28日 | 宗教


 無窓国師(1275~1351) 伊勢の源氏の出身 真言密教から宋禅宗


夢中問答集 上


 小乗 自分だけが救われることを求めてする修行の有り方を、利他主義に立つ大乗の側から、くさして呼んだ呼びかた。


 しかし、いまだこの真理(密教)を洞察できない人を導くために、現世利益を言うのである。このような手立てを一般仏教にゆだねるゆえに、禅ではひたすらに本分のみを示すのである。



夢中問答集 中


 ただかやうなる一切の解会を放下して、放下の処について二六時中猛烈に参究せば、次節到来して本分の大智に契当すべし。


 ただこのような一切の考えを放り出して、放り出したところについて、四六時中猛烈に参究するならば、時いたって本当の智慧につき当たるであろう。


 最高の修行者は、分割された修行の段階を経ることなく、一挙に基本的な智慧を体得する。古人が「ひととびしていっぺんに如来の領域に入る」と言っているのはこの意味である。『華厳経』にも「初めて発心した時すでに悟っている、など」と言っているのである。


 六ハラミツやいろいろな修行の仕方を説き、いろいろな修行の段階を立てるのはすべて中以下の修行者のためにするに過ぎない。


 昔、無業国師という人は、一生の間、仏教を学ぶ者の問に答えるについて、ただ「莫妄想」――ぼんやりするな――の一句をもってした。もしこの一句がものにできれば、基本的な智慧の働きが、たちどころに現前するであろう。


莫妄想


――仏教における修行者の程度の中に上中下の三種がある。


 初心の行者、若しかやうの心のおこらんときは、我いまだ無上道に相応せざる故に、此の妄想は起れりとしりて、一切放下して直下に参究せば、かならず相応の時節あるべし。


 自他の区別を見ないから、是非を言わないのである。


 はしりさわいで


 問ふ、万事の中に工夫をなす人あり、工夫の中に万事をなす人ありと申すは、何とかはれることやらん。
 答ふ、工夫と申すことは唐土の世俗のことばなり。日本にいとまといへる語に同じ。


 いとま=【暇】休みの時の意。「いとまなく海士(あま)のいざりはともしあへり見ゆ」<万3672> 出所:岩波古語辞典


 修行の工夫の外に世事はない。



夢中問答集 下


 瑞巌和尚は毎日自分で「主人公」と呼びかけては自分で「はい」と返事をし、「めざめていろよ」「はい」「いつなんどきでもだまくらかされてはならんぞ」「はいはい」と、会話をしていた。
                        『無門関』


 「真実は完璧であって、概念の及ばないものである。もともと世界や衆生は存在しない」
                              『首楞巌経』巻七


 日ごろの迷いが忽然として消え失せて、一挙に肝心のところを悟るのを見性成仏というのである。


 禅宗においては、ずばり本当のところと合致するのを悟りというのである。仏祖の教えを理解することを悟りというのではない。だから人に示す言葉も、理解されることを目的とするものではない。禅を学ぶものをしてただちに悟らせようとする手段である。


*小玉(下女)を呼んで、あれこれさせるのは若い男に自分を気が付かせるための間接的な方法


――ブッダが一生のあいだに説法された時も、このような手段を用いられた事があるのであろうか。
――禅の眼によって見ると、ブッダが一生のあいだに説かれたことは、すべて小玉を呼ぶ手段である。


一代の所説も、皆な是小玉を呼ぶ手段なり。





*平成二十八年十二月二十八日抜粋終了。




抜粋 『禅家語録集』 「大燈国師語録(抄)」 訳・注柳田聖山・古賀 英彦 筑摩書房 日本の思想一〇

2016年12月27日 | 宗教
 

 大燈国師(1283~1338) 播州揖西群生れ 日本の禅宗が台密の影響を脱して、宋朝禅独自の開花を示すのは、じつに大燈においてである。


 竜宝山大徳寺語録(抄)


 「千里に連なる峰の雪は白く、万派に分れる谷川より吹きよせる風は寒い。」


   明星を一見して雪重ねて白く、
   眼裏の瞳人、毛骨寒むし。
   大地もし此の節を知ること無くんば、
   釈迦老子も出頭し難からん。
                  大燈国師


 「如来とは即ち諸法が如なる義なればなり」(『金剛般若経』)



 頌古(抄)


 一喝に耳聾して、天地黒し、
 機に当たって舌を吐いて、荊棘を生ず。
 虚を承け響を接して、意は論じ難く、
 両両三三、動著するに好し。




*平成二十八年十二月二十七日抜粋終了


抜粋 『禅家語録集』 「解説 禅と歴史」 唐木順三 筑摩書房  日本の思想10

2016年12月23日 | 宗教


 「山僧、二十年後、自己が自己を管帯し、三十年後、自己が自己を忘却し、四十年後、自己只これ自己」(無学祖元)


 時間が空間化されて、一瞬の今に凝縮される。


 一休の母は死に臨んで、「釈迦、達磨をも奴となしたまふ程の人になり給へ。」


 理性をもって、対象を思惟する能力とすれば、理性が迷いのもとである。自己或いは人間の計らい、或いは尺度で、自己或いは人間に都合のよい世間を区切り、埒を設けること、そしてその埒内にあって、対象を実験し証明し、利用するという、自己或いは人間中心主義、ヒューマニズムは迷いである。


 「巳共が所で其のやうな、古ほうぐ(古反古、この場合は、百丈野狐の公案を指す)のせんぎはいたさぬ。そなたはいまだ不生にして、霊明なる仏心じやといふ事をしらぬ程に、いふて聞かしませう。それで埒の明く事じや程に、身どもがいふをとっくりと、能きかしやれい、と有って、常のごとく不生の示しをしたまふなり」(盤珪『御示聞書』)


「埒が明く」「埒を明ける」→埒もない


禅の系譜
 釈迦牟尼→迦葉→二十八祖菩提達磨→中国禅→日本禅


 師資嫡々相承、面々授受は禅家の特に重んずるところである。それが正法の正伝の仕方、正法眼蔵涅槃妙心の歴史的な伝わり方である。


 蒙古民族の圧迫のもとにあった南宋の朝廷には、自国を維持するために国家民族意識を高揚する必要があり、禅僧たちもまたそのために動員され、興禅が直ちに護国と結びつかざるをえなかったという事情があった。


 柳田聖山氏はその「中国禅宗史」の中で、宋朝の滅亡によって、中国の禅宗の「海外亡命」が始まり、鎌倉時代以降の日本の禅宗の成立は、この亡命禅によるところ大きいといっている。


 正三の『驢鞍橋』を読んで気づくことは、しきりに次のようないいまわしが出てくることである。「ひしと諸行無常の意移りたり。」「家屋、金銀、万事目の前にぎらりとあることなれば。」「きっと守り終わるべし。」「この糞袋(わが身)をかたきにして、ひた責めに責むべし。」「心、はつしと用ゐて。」「機をきつとして。」「じりじりと睨みつけ。」「必ず死をはつしと守るべし。」


 詩興のない(正三)のは窮屈である。


 「ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。」(道元『正法眼蔵』)


 私は鎌倉時代の親鸞、道元によって、仏教が日本で初めて、自己実存の生死にかかわるものになつたと思う。


 山門をまたげば、そこは俗塵を洗った深山幽谷、そこに住むのは求道、学道の衆僧、即ち叢林ということになる。


 禅師(盤珪)は実に日本の生んだ禅匠中の最も偉大なる一人と謂はなくてはならぬ。(大拙)





*平成二十八年十二月二十三日抜粋終了


抜粋 無門慧開『無門関』 西村恵信訳注 岩波文庫

2016年12月15日 | 宗教
 
大道無門、千差路有り。
此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。


 しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。


 無門曰く、「参禅は須らく祖師の関を透るべし。」


 平生の気力を尽くして箇の無の字を挙せよ。


 趙州が狗の仏性に対して有と無を同等に示したことが、宋代の看話禅によって、有無の二元を超えた「無」とされ、学人を論理以前の体験の世界に導くために有効な公案となったもの。


 無門は言う、「禅に参じようと思うなら、何としても禅を伝えた祖師たちが設けた関門を透過しなければなるまい。素晴らしい悟りは、一度徹底的に意識を無くすることが必要である。」


 ここに提示された一箇の「無」の字こそ、まさに宗門に於いて最も大切な関門の一つにほかならない。そこでズバリこれを禅宗無門関と名付けるのである。


驀然打発、驚天動地。


驀然(まくねん)として打発(だはつ)せば、天を驚かし地を動ぜん。


驀の意味 のりこ(える)・の(る)・まっしぐら



禅の世界には、驀然打発(まくねんたはつ)といって、突如として爆発し突き抜けることを意味する言葉があります。


 ひとたびそういう状態が驀然として打ち破られると、驚天動地のハタラキが現われ、……


例えば、次のような問答となります。

(隠山派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「その「無」の証拠をここに出してみよ」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「お前はどうやって仏になるか?」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「趙州は別の機会には「ある」と答えた。これをどう思うか?」
答:「たとえ趙州があると言ったとしても、私はただ、「無ー!」と叫ぶのみです」
問:「「無」の本質(体)とはどのようなものか?」
答:何も言わず、両手を胸に当てて(叉手当胸)立ち上がる。
問:「「無」の働き(用)とはどのようなものか?」
答:立ち上がり両腕を前後に振りながら、5、6歩歩き「行くべき時には行きます」。もう一度座って「座るべき時には座ります」
問:「無字の根源、それはどのようであるか?」
答:「広大な大地で極小の砂粒を動かす風がそよとこ吹かないところから、空や地や山や川、すべてが現れます」


(卓洲派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と言わないとすれば何と言うか?」
答:「有(ウ)ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」を区別してみよ」
答:「無ー!」「有ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」はどれくらい離れているか?」
答:部屋の敷居や戸などを指差して「ここから敷居まではこれこれの距離、あそこの戸まではこれこれの距離です」
問:「「無」を私に手渡してみよ」
答:何でもよいから自分の手にあるものを師に手渡す」
問:「「無」を手軽に使っているところを見せてみよ」
答:「ジャン・ケン・ポン」と言いながらジャンケンをする
問:「「無」の根源はどうだ?」
答:「馬鹿なことを! そんなものがあってたまるものか。顔でも洗ってこい! アッカンベー」と言って立ち去り、ふすまを閉める。

出所: http://morfov.blog79.fc2.com/blog-date-201108.html


 鬼眼=人が大事を前にして光らせる凄まじい眼ともいう。


 もしこういう場面に直面してたじろがず、きちんとした対応ができたならば、


 無門曰く、「若し也た直下に明らめ得ば、眼、流星に似、機、掣電の如くならん」


趙州「如何なるか是れ道」
南泉「平常心是れ道」
趙州「還って趣向すべきや」
南泉「向かわんと擬すれば即ち乖く」
趙州「擬せずんば、爭でか是れ道なることを知らん」
南泉「道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不議の
道に達せば、猶お太虚の廓燃として洞豁なるが如し。豈に強いて是非す可けんや」
趙州、言下に頓悟す。


 無門は言う、「南泉和尚は趙州に問い詰められて、ガラガラ音を立てて崩れたな。もう何の言い訳も出来ないだろう。趙州の方だって、たとえここで悟ったといっても、本当にそれが身に付くためには、まだあと三十年は参禅しなくてはなるまい」。


 聞名不如見面 見面不如聞名  (百聞よりは一見だ、一見よりは百聞よ。)


百聞は一見に如かず

 言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。
 言を承くるものは喪し、句に滞るものは迷う。


 『法華経』に、「止めよ、止めよ、説いてはならぬ。我が法は微妙であって思惟を超えている」


解説

『無門関』中国宋代禅宗の公案集 南宋の無門慧開(1183~1260)
日本にもたらしたのは法灯円名国師 心地房無本覚心(1207~1298)


「青天白日一声の雷。大地郡生、眼、豁開。万象森羅、斉しく稽首す。須弥ぼつ跳して三台に舞う」 無門慧開



*平成二十八年十二月十五日抜粋終了。




The Japanese people saw the United States 401k

2016年12月03日 | 電子書籍
ただいま、googleを使って翻訳中です。





The Japanese people saw the United States 401k



July 18, 1999
US 401k survey memorandum
Yoshihiro Takano





CONTENTS

1  401 (k) look
2  Visit to individual company Matter
3  The trial 401 (k) theory

*Material obtained in the United States
*Schedule
*Photo album




1 401 (k) look

  ① Investigative team
From June 6 to 13, 1999, the private research institute planned and sponsored the "US 401 (k) plan inspection tour". I went around New York City, Boston, San Francisco on this tour. We have visited 10 corporate surveys, site visits and university co-ops (?).

The members of the investigation team are DB (Defined Benefit) group of five members including the president of the Welfare Pension Fund, the Executive Director, the Secretary General, and others. A DC (Defined Contribution) group of five young people in the 30 years old personnel staff of a large company. There were also 3 organizers and interpreters, 13 small groups in total.








翻訳終わりました。→Amazonでお楽しみいただけます。